歴史の外には出られない 月刊[文庫情報誌]IN★POCKET 10所収
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| 人間は歴史に学ぶというが、にもかかわらず同じ過ちを繰り返す。それは人間の愚かさや忘れっぽさに、単純に起因するものなのだろうか。歴史の学び方、あるいは歴史叙述のあり方そのものに、つまずきの石が隠されているのではないだろうか。 20世紀、人類は宇宙空間から地球を俯瞰する視座を手に入れた。だが私たちは、地球という有限な空間の外部には出られても、歴史という無限定な時間の外部に立つことはできない。歴史を超然と俯瞰することは、「神の視座」に立つことであり、別言すれば時間軸に沿って広がる情報を完全に把握するということだ。 だが私たちは、時間の制約からは逃れられず、従って歴史を俯瞰することも、歴史の絶対的な法則を見出すこともできはしない。法則を見出しえたと豪語したことは、マルクス主義者の犯した大いなる誤謬である。ポッパーの言う通り、未来は開かれているのだ。人がそこに希望を見るか、おぞましい虚無を見出すかにかかわりなく。 冷戦によって凍結していた世界史は、80年代末からにわかに熱をおび、怒濤のごとく動き出した。ベルリンの壁の崩壊、ソ連邦の解体。そうした事態に一観察者として遭遇した私は、この歴史のうねりの外に身を置いて、俯瞰しているかのような素振りだけはすまい、と自らを戒めた。 歴史の記述者はしばしば、歴史をながめわたす外部の立脚点が存在する「かのように」ふるまう。読み手もまた、そうして整形された物語を好む。しかしそんな立脚点など、実際には存在しないし、歴史の動く瞬間に、「完全」な情報など得られはしない。それでも人は、不充分ながらその時点で得られた情報にもとづき、果断に決断しなくてはならない。個人が、自分の実人生を「生きる」ときと同じである。歴史の外に立つ素振りをするのではなく、歴史の中でうろたえながらも全力で生き抜くこと。その右往左往をありのままに記録しようとつとめた、その結果が本書である。 一部からは、ノンフィクション文学作品としては、構成が不完全であるとの批判を受けた。近代小説の結構の模倣を「文学作品」などというならば、私は限りなくそんな「ブンガク」からは遠くありたいと願っていた。今にして思えば、あの批判は逆説的なほめ言葉であったようにも思う。 |