TOP | Profile | These Days | Works | Child | Link | Books

「別冊宝島233 陰謀がいっぱい 世界にはびこる『ここだけ』の正体」 1995 宝島社

日本ロッジ元グランド・マスター・ロングインタビュー

ベールを脱いだ日本のフリーメーソンたち




陰謀の代表にさせられているフリーメーソンの組織は日本にもある。世界にネットワークをもつ、その秘密結社は日本で何をしているのか? 謎につつまれていたその真実を当事者がいま語る!


 さる7月8日、オウムについてのあるシンポジウムにパネラーとして参加したときのこと。思想家・吉本隆明氏の、討議に先立つ特別講演を聴いていて、肩すかしを食わされたような気分を味わった。吉本氏は、かねてよりヨガの行者としての麻原彰晃を高く評価してきた。その「評価」が妥当かどうかは別にして、少なくともそうした、大勢におもねらない特異な視点をもつ氏が、陰謀史観に彩られたオウムの世界観については、ただ「バカらしい、くだらない」とあっさり片づけてしまったからだ。それですむのかなと、つい首をひねりたくなった。「ユダヤ=フリーメーソンが世界の征服を企んでいる」という、ナチスのプロパガンダそのままの陰謀史観は、確かに「バカらしい」。同感である。しかしいま重要なことは、オウムがその「バカらしい」歴史観、世界観に衝き動かされ(あるいは利用して)、サリンをバラまくまでに至った”事実”(吉本氏に言わせれば法的に未確定の容疑)を真正面から受けとめることだろう。
 知識人たちが「バカらしい」と切り捨て、サブカルチャーの薄暗がりへ追いやってきた超能力や終末予言などのオカルト、あるいはユダヤ=フリーメーソン陰謀論などの「トンデモ本」的ジャンク情報が、いつのまにかある臨界点を超えるまでに無批判に積み上げられ、ついに爆発した。その結果がサリン事件ではなかったか。
 「もともとこの世の中を動かしているものは、『石工』と呼ばれるフリーメーソンである」
 93年3月25日の説法で、麻原彰晃はそう断言している(『ヴァジラヤーナコース数学システム教本』所収)。
 麻原に言わせると、フリーメーソンは「人間を完全に無智化させ、動物化させ、そして国家そのものが成立しないような状態をあちこちにつくり、それを一部のものがコントロールし、そして、この地上が完全に動物的自由、あるいは動物的な平等というものを与えることを目的として動いている」ということになる。
 さらに、95年1月発行のオウム真理教の機関誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』No.6では、特集「恐怖のマニュアル」の冒頭で、こう宣言している。
 「人類55億人を代表し、ここに正式に宣戦布告する美辞麗句の影に隠れて、人類を大量虐殺し、洗脳支配することを計画している、『闇の世界政府』に対して!」(原文ママ)
 「闇の世界政府」とは何か? 「自分たちだけが世界に君臨し、全世界を統一し、人々を大量虐殺し、洗脳支配しようとしている奴ら」それが即ち「闇の世界政府」であり、その正体はフリーメーソンであり、ユダヤ系財閥であり、国際連合なのだという。
 作家の高橋克彦氏が、『夕刊フジ』(7月4日発行)紙上で、フリーメーソンの存在は「オカルト雑誌を通じて多くの若者の間に浸透」しており、オウム信者たちは「仮想敵であるフリーメーソン」に「本気で立ち向かっている」。だからこそマスメディアはこの問題に踏み込むべきなのに、避けているのはおかしいと述べている。
 この主張に私は共感をおぼえる。こうしたパラノイアックな妄想じみた言説は、けっして麻原彰晃ひとりの独創ではない。独創はゼロと言ってもいい。だからこそ、「バカらしい」とただ排除するだけでは、もはやすまないはずだ。事実をきちんと検証し、妄想や誇張されたデマからはっきり峻別すべき時が来ている。


フリーメーソンは
「闇の世界政府」なのか?


 フリーメーソンとは、一体何者か。
 正式な名称はフリー・アンド・アクセプテッド・メーソン。「メーソン」とは、「集団としてのフリーメーソンリーに属する構成員」を指す。その存在は秘密でも何でもない。日本グランド・ロッジは、東京・港区の東京タワーのすぐ隣にビルを構えており、NTTの電話番号案内に問い合わせれば、ちゃんと電話番号を教えてくれる。今年の4月のある日、私はそうやってフリーメーソンの日本グランド・ロッジの電話番号を調べ、連絡をとってみた。電話はあっさりと通じ、片桐三郎氏という広報責任者の方に、拍子抜けするほど簡単にアポイントがとれた。
 4月14日、第38森ビルに隣接している、日本グランド・ロッジを訪ねた。片桐氏は、今年70歳になるというが、とてもそうは見えない。この世代には珍しい、ダンディーで気さくな人物だった。
 メーソンについてはさまざまなフォークロアがある。まずはその話から切り出した。
 たとえば、ケンタッキー・フライドチキンの店頭に立っているカーネル・サンダース人形の左胸についているバッジは、メーソンの高位階をあらわすバッジだという「風説」。どうでもよい噂話に思えるのだが、この話が陰謀マニアにかかると、一挙に飛躍して、「ファースト・フードの蔓延は、日本人の食文化を破壊しようとするフリーメーソンの陰謀である」という妄想にまで膨らんでいくのである。
 あるいは、アメリカはフリーメーソン国家であるという「神話」。アメリカの歴代大統領の多くは、メーソンのメンバーだった。また、アメリカの1ドル札にはピラミッドと、その頂上に輝く不気味な一つ目の絵柄が描かれているが、これこそはメーソンのシンボルマークである……。
 そして、日本はメーソンによって支配されているという妄想。マッカーサーはメーソンのメンバーであり、戦後の日本国憲法を起草したGHQのメンバーも多くはメーソンだった。戦後憲法の理念の多くは、メーソンの理念である。戦後、皇族や有力な大物政治家もメーソンのメンバーになった等々……。
 こうした話は、信頼のおけそうな体裁の研究書にも、安っぽくいかがわしい「ユダヤ=フリーメーソン陰謀論」の本のなかにも書かれていて、信じていいのかどうなのか、確認された事実なのかどうなのか、さっぱりわからない。まずはそうしたフォークロアの数々の確認を求めたのだが−−。
 「ああ、カーネル・サンダースさんですか。私、彼が来日したとき、ロッジの集会であったことがありますよ。ええ、彼もメンバーです。彼はメーソンであることを非常に誇りにしていましたね」
 片桐氏はあっさりと、「ケンタッキー・フライドチキンの創業者=フリーメーソン説」を肯定したのだった。
 「皇族では戦後の一時期、首相をつとめた東久邇宮さんが会員でしたね。自民党初代総裁の鳩山一郎元首相も会員でした。もう昔の人ですから秘密にすることはないでしょう。ただ、鳩山さんが入ったときは最晩年でしたよ。病気がちで動けないというので、当時のメーソンのグランド・マスターが彼の自宅まで出向いていって入会の儀式を行ったのです。
 1ドル札のマークですか? ああ、あれも確かに『万物を見通す目』というメーソンのマークの一つです。このマークは、アメリカの国璽(こくじ)にも用いられているそうです。
 初代のジョージ・ワシントンをはじめ、米国大統領にはメーソンのメンバーは確かに少なくない。リンカーンもセオドア・ルーズベルトもフランクリン・ルーズベルトもトルーマンも、最近ではフォードもそうでした。確認されているだけで、歴代の米国大統領のうち、15人がメーソンです。アメリカ独立と建国の歴史そのものが、フリーメーソンリーにサポートされているのですから、これは当然でしょう」
 正直、驚かないわけにはいかなかった。フリーメーソン「伝説」の多くが事実であり、それをフリーメーソンリーの広報責任者が実にあっさりと認めてしまったのだから−−。
 片桐氏に案内されて、地下にある、儀式を執り行なうホールにも足を踏み入れた。円い天井に星があしらわれ、床には市松模様、中央には宣誓のための祭壇、そして正面には<G>という文字が高く掲げられている。確かに壮麗な空間ではある。しかし、そうはいってもやはり、何ということはない、ただのホールにすぎない。とてつもない秘密がこのホール自体に備わっているとはとても思えない。なぜ、ごく最近まで、徹底的に非公開を貫いてきたのか、その理由がかえってわからなくなる。
 「昔は何でもかんでも秘密にしていたものです。ロッジの内部も非メーソンには見せませんでしたし、ジャーナリストの方に、私のような人間がこうして率直にしゃべるということもありえなかった。最近になって少しずつ変わってきているんです」と片桐氏は語る。
 「私に言わせると、メーソンは非常に頑固で保守的なんです。会員も高齢者が多く、40歳以下は25%くらい。みんなひどく頑固です。僕個人は、伝統は守りつつも不必要に世間の誤解を受けるような秘密主義は変えていった方がいいと思っていますが、そういう考え方の持ち主は、まだまだ少数ですね。この流れを変えるには、ひょっとしたら100年かかるかな、とも思います。そのくらいの保守性はメーソンにはありますよ」
 片桐氏は、「自分の個人の話ならば話しやすいから」と言って、自身の体験を語りはじめた。


▼入会金四万円の「秘密結社」


 1925年(大正14年)、横浜の貿易商の息子として生まれた片桐氏は、横浜高等商業学校(現・横浜国大経済学部)を卒業後、陸軍に入り、「特攻隊の生き残り」として終戦を迎えた。「しばらく闇市をうろうろとした」後に、外国船の乗組員となり、その後、東京オリンピックの開催された1964年に日本コカコーラに入社、5年後には役員に就任している。
 82年に独立、友人と会社経営を始め、三越がシンガポールに造った「レジャー・パーク」を買い取り、代表取締役社長として現地で約10年間経営にあたった。心臓を患ったためリタイアし、日本に帰国したのは、92年のことである。
 「今から30年以上前のことです。メーソンリーに加入している友人がいて、最初は好奇心から入会を希望したわけです。当時、私は外国船のパーサー(事務長)の仕事をしていましたから、欧米人とのつき合いも多く、欧米の一流のビジネスマンにはメーソン会員が多いということを知っていましたから、興味もありましたし、入会すれば顔も広くなって仕事にも役立つのではないかとも考えました。実際にはそんな思惑ははずれてしまいましたけどね。ロッジのなかでは宗教の話、政治の話、そしてビジネスの話はしてはいけないんです。俗っぽい動機だけでは続きませんよ。なにしろ繁雑な儀式のために、覚えることがすごく多いですから。入会したのはいいけれども、面倒くさくなってやめてしまう人も多いんです。お金も時間もロスしますからね。ビジネス的にはマイナスの方が大きいでしょう」
 片桐氏が入会した当時、入会金は4万円で年会費が4〜5千円。30年以上も前のことだから、けっして安いとはいえない。しかし、この金額は30年間ほぼ据え置かれているという。
 「今では、そのあたりのスポーツクラブに入るより、ずっと安いんじゃないですか。以前はともかく、現在は金持ちのクラブじゃありません。僕らのような役員は、選挙で選ばれて就任するんですが、完全に手弁当で、報酬はありません。書記役だけ例外で実費が支払われますが、でも月に2万円くらいのものですよ。みんな完全に持ち出しです。
 入会に際しては、二人以上の会員の推薦が必要で、条件としては、職種は問われませんが正業に就いている成人男性であること、それからどんな宗教でも構わないが、信仰心を持っていること、この二つです。無神論者はだめなんですよ。したがって共産主義者の入会は認められません。これはイングランド系の伝統的なフリーメーソンリーの入会条件です。入会を希望したら誰でも入れるというわけでもありません。そのロッジのメンバーが投票を行ない、全員が同意した時のみ、認められるのです。
 入会の時には儀式があります。世間から何か怪しげな秘儀をしているではないかという、おどろおどろしいイメージを持たれがちなんですが、どうということはありません。マスターから兄弟愛とか隣人愛とか、ある意味では常識的な道徳観念を諭されるだけのことです。こうした儀式というのは形式的なもので、一種のお芝居のようなものですよ。オカルト的な興味で、入ってくる人も少なくないのですが、そういう人は決まって失望します(苦笑)」
 部外者に理解しがたいのは、なぜ、古めかしい儀式を後生大事に守らなければいけないのか、しかも、それをなぜ秘密にしなくてはいけないのか、という疑問である。
 私の質問に、「実は私も不思議でした」と片桐氏は笑って答えた。
 「一つには、ある程度秘密を保つことで会員同士の連帯感が生まれるということもあるでしょう。儀式を繰り返すことで、そこに込められた道徳律を染み込ませ、体得していくという建前もあります。しかし、現実的に必要なのは、会員相互の確認です。たとえば私が外国を旅行したとします。見知らぬ土地で、知り合いがいないのは心細いですから、その土地にあるロッジを訪ねるとします。すると、簡単な証明書の提示を求められ、儀式の内容を尋ねられ、メーソン独自の握手の方法などで、訪問者である私が、本当に会員かどうか確認するわけです。会員であるとわかったときから、『ミスター片桐』ではなく『ブラザー片桐』となり、いわば身内の人間として扱ってくれるようになる。原始的といえば原始的な方法ですよね。これだけ通信とコンピュータ・ネットワークの発達した時代に、口伝の儀式とか身振り手振りのサインに頼っているわけですから。これは起源に原因があるんだと思います。
 メーソンの起源については、諸説さまざまあります。人類最初のメーソンはアダムであるとか、ノアの箱船で有名なノアが初代のグランド・マスターであるとか。そうした話は山ほどメーソンのなかに伝わっていますが、でも、あくまで伝説です。
 伝説はともかくとして、実在するフリーメーソンリーは12世紀頃から記録があるのですが、その頃は世界各地の建築現場を移動しながら仕事をする石工の集団でした。当時は一部の上流階級をのぞき、文盲が普通の時代でしたから、口伝で建築の技術を伝え、仲間同士であることを確認するサインが生まれたわけです。その伝統が、近代に入って、石工の組合から一般の人たちの友愛団体となり、そして現在に至っても続いているわけです。ちなみに、伝統的な石工を実務的(operative)メーソン、石工ではないが哲学的探求を志して入会してきた人を思索的(speculative)メーソンと呼んで区別しています。近代以降のメーソンリーは、完全に後者で占められています。
 現代では正直言って、秘密の儀式とかサインというのは、時代錯誤という感じはしますよ。儀式を全部暗記するのも、大変面倒です。でも、わざわざこういう面倒な手続きをふむのも、長い間続けていると、悪くはないものだなと思えてくるから不思議ですよ。大人のお遊びみたいなところがありますが、やはり、連帯感というものは生まれますからね」


▼まるでロータリークラブ?


 「秘密の儀式」という「大人のお遊び」を楽しむ「社交クラブ」。片桐氏の話に耳と傾けていると、氏の語り口の穏やかさも手伝ってか、どこへ取材にきたのか、ふとわからなくなってくる。フリーメーソンリーは「秘密結社」のはずである。
 こんな微温的な組織でいいのだろうか!? これではまるでロータリークラブではないか。
 「ええ、そうです。フリーメーソンリーはロータリークラブの原型なんですよ」と、片桐氏はまた、事もなげに言う。
 「ロータリークラブの創始者の方は、メーソンだったといわれています。おそらくこの方は、閉鎖性、秘密性をなくす必要を感じて、より開かれた社会団体であるロータリークラブを始められたんでしょう。私は、これはいい考え方だと思います。
 信仰・集会・結社の自由や、人種的・階級的平等のなかった時代にフリーメーソンリーは誕生したわけですから、その当時、秘密の厳守を誓わされ、組織全体としても閉鎖性の強いものにならざるを得なかったのは仕方のないことだろうと思います。しかし、現代では、自由や平等といったフリーメーソンリーの憲章に盛り込まれてきた価値観は、当たり前のことになりました。そういう時代に、昔からの伝統だからという理由だけで閉鎖的な姿勢をとり続けるのはどうか。実際、この20年間に会員数はじりじりと減っているんです。と同時に、会員の老化も進んでいる。ひと頃は全世界で400万人いたといわれていました。このうち半数はアメリカのロッジに所属しているのですが、これが現在、300万人ぐらいにまで減ってきているのです」
 一度、ロッジを訪れて、幹部の一人に話を聞いたぐらいで、フリーメーソンリーの実態がわかった、などと言うつもりはない。だが、それにしても「風説」とあまりにも落差がある。高度情報化社会の現代において、これほど情報落差のある団体は、他にちょっと思いつかない。おそらくその理由の一つは、フリーメーソンリー自らが、自己を語ってこなかったためだろう。
 「フリーメーソンには、中傷に対しては沈黙で応ずるという伝統があるんです。しかし、今後は、あまりにもひどい中傷に対しては法的手段に訴えることも考えようかと内部では話し合ったりしています。
 オウム真理教のデマ宣伝もひどい。でたらめもいいとこです。そもそも、彼らはフリーメーソンリーについて、何も知らない。一例をあげましょう。オウムの機関心『ヴァジラヤーナ・サッチャ』No.6のなかに、小和田雅子さんや、緒方貞子さんの写真が出ていて、いろいろと中傷されており、その下にメーソンのシンボルマークである『コンパスと直角定規』が記されている。僕らとすれば、これは大笑いです。女性はメーソンにはなれないんですよ。どこかの世界の片田舎にあるロッジが女性をメンバーに加えたとしますと、他のグランド・ロッジはそのロッジとの関係を切ってしまうんです。オウムが、実際にはごく基本的なレベルでも正確な知識を持ち合わせていないことがこれですぐわかる。
 もっともオウムに対しては、具体的な行動を起こすことを僕らも躊躇してしまいます。あれがオウム真理教でなければ、正面切って法的に訴えたいところですけど、正直言って怖いです。オウムに対して反論して、彼らを刺激したくないですよ。メーソンの会員は、みんな普通の市民ですからね。家庭もあり、正業に就いている。一人ひとり、狙われたらひとたまりもありません。しかし中傷をすべて無視しておいていいというものではない。以前、コメ問題で日米関係がギクシャクしたときに、何者かに空気銃でこのビルのガラスを撃たれたことがある。我われはコメ問題とは何の関係もないのに−−。警察に届けましたが、でたらめな陰謀論の本を読んで、そういう暴力的な行動にでてくる人間たちがあらわれると、沈黙してばかりもいられない。
 私が広報委員長に就任したのは今年なんですが、私自身の考えとしては、ある程度、メーソンとは何かという啓蒙活動や、中傷に対する反論に積極的に取り組みたいと思っています。メーソンが陰謀結社だなどと言うと、普通の先進国では笑われますよ。メーソンの実態が、社交のための友愛団体だということは世界の常識なんですから」
 片桐氏と会った後、改めてフリーメーソンリーに関する文献を読みあさってみた。わかったような気になってはいたが、調べてみると驚くような話ばかりである。
 モーツァルトのオペラ「魔笛」は、フリーメーソンリーの参入儀礼にもとづいて生み出された作品である−−。
 ベートーヴェンの「第九」の一節、「喜びの歌」の詩を書いたのはドイツの代表的詩人シラーだが、それはもともとメーソンリーのあるロッジの参加として書かれたものだった−−。
 ゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』の主人公は、「塔の結社」の導きによって人間的成長をとげていくが、この結社のモデルはフリーメーソンリーであり、ゲーテ自身もメーソンだった−−。
 18世紀から19世紀にかけての啓蒙主義の時代の知識人で、メーソンでない人間を探す方が難しい。主要な人物では哲学者のカントくらいなものである。そのカントも、非メーソンではあったが、必ずしも反メーソンであったわけではない。また、メーソンの方は、カントを「メーソンリーにとって最も重要な哲学者」として称揚している。(『18世紀ドイツ思想と「秘儀結社」』田村一郎著より)
 なぜ、こうした事実が大学の一般教養課程も含め、学校教育で一切ふれられないのか。なぜ、権威あるアカデミズムやジャーナリズムは、フリーメーソンリーに言及することを避けているのか。謎というほかない。フリーメーソンリーが「世界を支配する秘密結社」であるとは思わないが−−世界の複雑な動態を単一の要因に還元する強引な還元主義的思考法それ自体がおかしい−−しかし単なる社交クラブともやはり言い切れない。明確な像を結ぶことができるまで、取材と検証を重ねるほかはない。
 現役のメーソン会員たちへの取材を重ねる一方、私は再び、片桐氏に連絡をとり、元グランド・マスターのリチャード・クライプ氏と会う約束をとりつけた。
 7月15日、クライプ氏と片桐氏の待つ日本グランド・ロッジを再訪した−−。


「陰謀団と言われるのは、
先進国では日本だけです」


クライプ まず最初に、私は世界中のフリーメーソンを代表して何かを言う権限も権威も持ち合わせていません。ですから、私がこれから述べることは、あくまでも私の個人的な意見だと理解してください。
 とかく、フリーメーソンリーとは一つのユニットとか組織みたいなふうに誤解されがちなんですが、そういう中央集権的な組織ではありませんし、組織全体を代表して話すような、スポークスマンみたいなものも実はいないんです。そこのところに注意してください。フリーメーソンリーの組織形態というのは、ピラミッド型の上意下達の組織ではなく、各地のグランド・ロッジが並立していて、それぞれが相互に承認し合っている。国と国との間の外交関係のようなものです。我われの正式な名称に、フリー・アンド・アクセプテッド(承認された)とつくのは、そういう意味もあります。つまり我われのグランド・ロッジは世界各地のグランド・ロッジから承認されていますよ、ということを意味するのです。フリーメーソンリーのあるロッジが伝統的なルールを破った場合、行なわれる最大の”制裁”は、他のロッジから承認を取り下げられることです。そうなるとつき合いが断たれ、他のロッジを訪問することができなくなる。世界的なフリーメーソンリーのネットワークの一員として認めてもらえなくなるんです。

 フリーメーソンリーのグランド・ロッジ・マスターに就く人物とは、どんな人物なのか。クライプ氏のバイオグラフィーを訊いた−−。
 1944年、米国インディアナ州の生まれ。「典型的な中流クラスの核家族」出身であるという。62年にハイスクールを卒業したが、経済的な余裕がなく、「奨学金をもらうほどにはスマートではなかった」ので、大学進学を断念し、空軍に入隊。10年間、下士官を務めた後、サクラメント州立大学の電子工学部に入学。卒業後は再び空軍に戻り、将校として10年間、82年に退役するまで在籍した。退役後に来日し、翻訳の会社で文章を校正する仕事に就く。その後、独立してフリーランスの校正者として働くうちに、宇宙開発事業団と仕事をする機会に恵まれ、現在は日本宇宙有人システムのコミュニケーション・エンジニアとして、事業団の人たちがNASAの書類などを理解することができるよう、英語をただしたり、教えたりしているという。

クライプ フリーメーソンリーに興味を持ち始めたのは、1972年頃、つまり将校になった頃です。つき合っていた人たちのなかで、素晴らしい人たち、楽しい人たちがフリーメーソンリーのメンバーだったということがわかったんです。それで関心がわき、1973年にフリーメーソンリーに入会しました。
 米国にいる時には、メンバーとしてそれほど積極的ではありませんでした。フリーメーソンとしての活動を積極的にするようになったのは、日本に来てからですね。
 日本には、グランド・ロッジの傘下に18のロッジがありますが、そのうちの一つのロッジのマスターを6年間務めました。その後、だんだん役職があがっていって、1992年にグランド・ロッジのグランド・マスターに選出されました。

 −−選挙で選ばれるんですか?

クライプ はい、選挙です。しかし、大事なことなんですが、政治の選挙のようなことはありません。選挙運動をやってはいけないというルールがあるんです。「私に投票してください」とは言えないんです(笑)。


▼フリーメーソンリーは宗教ではない


 −−あなたの宗教は?

クライプ メソディストだった父親はとても信仰心が強くて、子どもの頃、よく教会に連れていかれました。しかし、私は大人になってからほとんど教会に行っていない。
 そのことに少し罪悪感を感じています。

 −−あなたは現在、自分をクリスチャンだとお考えですか? それともフリーメーソンの信徒なのでしょうか? あるいは、フリーメーソンリーはただの友愛団体であって、あなたの信仰はキリスト教なんでしょうか?

クライプ これはとてもデリケートな問題なので、丁寧に答える必要があります。
 私にとっては、宗教というものは魂の救済と関わるものです。それは、神と個々人の魂の関係なんですね。そういう意味ではフリーメーソンリーは宗教ではない。フリーメーソンリーでは、魂の救済に積極的に関心があるわけではないんです。それよりも、個々の人間同士の関係が重要であると教えられる。人間同士が、お互いにどんなふうにしたら仲良く、友愛をもってつき合っていけるか。そうした人間関係を通じていい社会を築いていくこと、そこがメーソンリーの教えのメインになる。

片桐 クライプさんの今のお話は非常に大事なポイントです。僕は難しいことが苦手なので、ごくくだいた言い方で補足します。
 近代フリーメーソンリーの歴史は、1717年にロンドンで4つのロッジが集まって、最初のグランド・ロッジを作ったときから始まるといわれています。18世紀の前半のことですから、宗教界が英国のなかでもゴチャゴチャに混乱していた時期なのです。まず、カソリックとプロテスタントの対立がありました。プロテスタントのなかでも英国国教会派と非国教会派とがいます。そして国教会派のなかでも長老はとそれに反対する勢力という具合に、細かく枝分かれして対抗していたわけです。人びとは互いに相争い、非常に疑心暗鬼になっていた。そうした時代を背景として、「宗教的寛容」を説く、フリーメーソンリーが登場したわけです。時代が、フリーメーソンリーのような団体を求めていた、ともいえるでしょう。その結果、宗教対立にうんざりしていたさまざまな宗派の人たちがフリーメーソンリーに入ってきたのです。
 フリーメーソンリーでは、抽象的な概念としての「至高の存在」(Suprem Being)に対して尊崇をあらわす。これは儀式や集会のなかで必ずやります。しかし、この場合の「至高の存在」とは、キリストでもないし、お釈迦様でもないし、マホメットやアラーの神でもないんですよ。僕は一応、仏教徒ですから、心のなかで仏様に向かって祈るわけです。クライプさんはキリスト教徒だからキリスト教との神に祈ってる。それでいいんです。「至高の存在」とは、いろいろな宗教の最大公約数的な概念なのです。

クライプ フリーメーソンリーに対するいちばん主要な批判というのは、あらゆる宗教からあまりにも無節操に多くの人を受け入れすぎるという批判です。たとえば、バプティスト教会。この宗派はいちばん保守的な教会で、「あなたがバプティストでなければ、あなたは悪魔だ」とまで言い切ります。
 フリーメーソンリーは、そういう人たちにとってはまさしく悪魔そのものなんです。フリーメーソンリーでは、自分とは違う宗派の人びとに対して寛容であれ、友愛の精神を持てと説くのですから、自分の宗派以外の人間は救われないとする人びとからは、「悪魔」呼ばわりされるわけです。

 −− キリスト教のなかでも、とりわけカソリックはメーソンを認めないという点では強硬ですね。1738年に教皇クレメンス12世が、フリーメーソンに対して最初の破門令を発表してから、現教皇のヨハネ・パウロ二世まで17回以上も破門の回勅が出されたそうですが、カソリック教会のこうした姿勢を、どうお考えですか?

クライプ 教会の公式見解はともかくとして、信徒個人のレベルでは、実は、カソリック教徒でメーソンの会員という人もとても多いのです。たとえば、フィリピンはご存知のとおり、非常にカソリック教徒が多い国ですが、メーソンも非常に多い。カソリック教会のなかのビショップ=司教がメンバーだったりすることも珍しくありません。
 私個人としては、人を見る場合、その人個人の資質を見ますから、その人がどういう宗教の人かということは重視しません。ただし、カソリックの信徒で、メーソンになりたいと希望する人に対しては、カソリック教会はフリーメーソンリーを否定していますが、いいのですか、と一応確認します。どうしてかというと、本人はいいとしても、家族のなかにカソリック信徒がいる場合、問題が生じる可能性がある。そんな事態になってしまうのは、私としてはやはり心が痛むからです。

 思索的メーソンを中核とする近代フリーメーソンリーは、明らかにその出発点から、「脱カソリック」というオブセッションを内包していたといえるだろう。言い換えるならば、それだけカソリックの教権支配が、近世までヨーロッパでは強く、そうであるからこそ、その支配から逃れようとする衝迫も強かったに違いない。
 『フリーメイソン』(講談社現代新書)という著書もある名古屋大学教授の吉村正和氏は、「フリーメーソンリーには独自の思想というものがあるわけではない。それはさまざまな思想を受け入れる中空の受け皿であり、実際に盛り込まれたのは18世紀ヨーロッパの時代精神でした」と言う。
 「18世紀の時代精神」とは何か。啓蒙主義であり、理神論であり、「自由・平等・友愛」の精神であり、エキュメニズム(宗教的寛容と統合の思想)であり、またときに無神論でもある。イングランド系の「正統」フリーメーソンでは、<G>という一文字であらわされる「至高存在」への崇拝を求められるが、大陸で独自の発展をとげた分派には、この「至高存在」を認めない無神論的セクトもある。この点が、実は英米系のメーソンリーと大陸系のメーソンリーを分かつ決定的なポイントとなるのだが、それは後でふれる。


▼至高の存在<G>の秘密


 −−フリーメーソンリーでは「至高存在」を<G>という一文字であらわしますよね。フリーメーソンリーに入ると、最初に<G>について、ゴッドあるいはグレーと・オブ・ザ・ユニバース(宇宙の創造者)と説明される。ところが、そのうちにこれはジオメトリー(幾何学)だと教えられるという話を聞いたことがあります。これは何を意味しているのですか。人間の理性や知性への信仰ですか。

クライプ 最初に<G>はゴッドで、そのあとでジオメトリーだと明かされるということではありません。最初のレクチャーの二、三分の間に、<G>は神を意味すると同時にジオメトリーであるということを明かされるわけです。それは基本的には、教育を受けるとか、何かを学ぶということに関係があるんです。特に、幾何学がなかったら何も作れない。これは、フリーメーソンリーが、もともとは建築家の集団であったことに由来しますが、それだけではなく、今まで無知だった人間に知識が与えられる。そういう「啓蒙」の意味がこめられているんです。

片桐 幾何学がなぜ、フリーメーソンリーのなかで重視されるのか、これはイギリスの建築史を知る必要があります。12世紀から16世紀ぐらいの間にイギリスではゴシック建築が隆盛をきわめました。この400年間に1万2千の建物ができたという記録が残っているんです。ゴシック建築にはいくつかの特徴がある。一つはとんがった尖塔を造る。あれは、神様が上にいるから、なるべく近いところに行きたいという発想ですね。それから2番目の特徴は、丸いドーム型の天井です。複雑な力学的計算ができないと、これは造れない。
 こうしたデザインの建築物を造るには、当時としては、非常に高度な幾何学=ジオメトリーの知識を必要としたわけです。それを、12世紀から16世紀の間、メーソンたちはギルドを作って、自分たちで囲い込んで、絶対に外に出さなかった。出せば、自分たちの利益を損ないますからね。
 しかも、その頃に字を読める人ってほとんどいないわけです。だから、彼らは口から口へと口伝で秘密の技術を伝えた。その前に、「お前、秘密を漏らしたら首を切るぞ」というような脅かしをして、絶対の宣誓をさせて、それで教育していったわけです。それが、実務的メーソンの時代で、400年も続いていったわけです。
 今のは技術面のことですが、もう一つ、若手の人格教育の側面があります。ギルドの中に若者が入ってくると、技術教育だけではすまなくなってきて、人格教育も必要になる。ところが、教える方も教わる方も字が読めない。それで彼らがやった方法は、工具だとか石とか自分の身のまわりのもので、寓意的、寓話的にわかりやすく教えたわけです。たとえばどこのロッジにも、石切場から切り出してきたばかりの原石と、きれいに正方形に磨きあげた石とがおいてある。「お前は、今箱の原石と同じなんだ。原石は、親方メーソンが描く設計図にしたがって、切って磨きあげないと使いものにならない。石も人間も同じ。磨いてはじめて一人前になれるんだよ」と−−。
 こうした象徴的な教え方によって、人格教育をしようとした。それが今でもメーソンのなかに儀礼として残っているわけです。


▼石工の集団になぜ貴族が?


 −−伝統的な実務的メーソンが、集団を維持し、自分たちの利益を守るために閉鎖的な共同体を作る必要があった。これはわかるのですが、ではなぜ、上の階級に属する知識人や貴族やブルジョアなどが、この集団に入ってきたのか。どうも、その動機がよくわからない。当時のヨーロッパは強固な階級社会でしょう。上流階級の人間が、身分が高いとはいえない石工の集団に、なぜ自ら入っていったのでしょうか。

クライプ 私は歴史家ではないので、正しいことは言えないんですが、「フリー」という言葉が示すように、フリーメーソンはいろんな国へ移動して仕事をする事由が特別に認められていた。当時のヨーロッパは、現代のように交通も通信網も発達していないし、もちろんマスコミもない。移動の自由も制約されている。そんな時代にいろいろな場所を旅行する人というのは珍しい。フリーメーソンといわれる人たちは、いろんな場所に行って、そこにある程度住み着き、また戻ってくる。そうすると、普通の人が絶対に持ち得ないような知識や情報や見聞を持ち帰ってこれる。そうしたフリーメーソンだけが持ち得る貴重な情報や見聞に、知識階級や貴族は非常に強い関心と好奇心を抱いたのではないでしょうか。

片桐 実務的メーソンたちの結社に、石工ではない人間が入ってきたのは、最初は1600年といわれています。スコットランドのエジンバラ・ロッジです。オーチェンレックという土地のジョン・ボズウェルという小領主が入会したという記録が残っているのです。これが思索的メーソンの始まりとなるわけですが、その1600年から最初のグランド・ロッジの発足まで117年あるわけです。
 その頃の英国史を見ますと、カソリックと英国国教会とピューリタン(清教徒)などが入り乱れて、非常に激しい宗教対立に見舞われた時期だったことがわかる。1640年に始まったピューリタン革命では、国王のチャールズ一世が処刑されている。1649年のことです。その後、ずっとそういう血なまぐさい事件が5、60年の間連続しています。
 すると、これはまったくの想像ですけれども、前後の事情から判断して、貴族だろうが、領主だろうが、我が身かわいさから、宗教的に寛容なフリーメーソンリーに、ある種の連帯感や信頼感を求めて入っていったとしても無理はないなという感じがします。要するに、文化的な好奇心だけじゃなくて、身の安全を図るという功利心があったとしてもけっして不思議じゃなかった、そういう時代だったと思います。
 いずれにしても、フリーメーソンリーは、最初のグランド・ロッジが結成され、「憲章」が発表されて以後、まるで火がついたように大流行となりました。1717年にたった四つしかなかったロッジが、12年後には50になり、30年後には世界中に広がってしまったんですからね。

 前出の吉村正和氏は、「フリーメーソンリーは、一面ではイギリスの社交クラブ文化の産物」であると言う。
 フランスにおいて社交サロンの文化的伝統が息づいているように、イギリスにも、パブ(居酒屋)を舞台とした社交クラブの文化的伝統が根を張っている。最初にグランド・ロッジを形成した四つのロッジも集会所はパブであり、各々のロッジの名称もパブの店名をつけていた。
 「集まって何をするかといえば、要するに宴会を開き、酒を飲むのです。つまりはフリーメーソンリーといえども、幾多ある社交クラブの一つにすぎなかったわけです」
 考えてみれば不思議な話である。フリーメーソンリーがその出発点において、どこにでもある、パブの常連客の親睦会にすぎないような社交クラブの一つだとするならば、なぜそのなかでフリーメーソンリーだけが、「火がついたように大流行」したのだろうか。現代のカルトのように、フリーメーソンリー自身が、積極的に宣伝や勧誘を行なって、会員を増やしていったというならばまだわかる。しかし、事実はまったくその逆なのである。
 宣伝も行なわない。入会に制限を設ける。そんな団体が、なぜ最初のグランド・ロッジの誕生から30年ほどの間に、カソリック教会に匹敵するほどの世界的なネットワークを形成しえたのだろうか。『フリーメーソンリー』(中公新書)を著した京都府立医大教授の湯浅慎一氏は、「いくら研究してみても、メーソンの拡大の真の理由はよくわからない」と率直に述べる。
 「教会の世俗化という時代の流れのなかで、ゴシック建築が衰退してきた17世紀後半、石工たち、すなわち実務的メーソンは失業の危機に瀕していた。そのため、自分たちのギルドの保護者を建築社集団の外に求める必要があり、積極的にブルジョア貴族を勧誘しようとした。実務的メーソンの側にはそういう動機はあると思うのです。しかし、貴族やブルジョアや知識人たちが石工のギルドに喜んで入ろうとする積極的な動機を説明するのは難しい。あえていえば、メーソンリーの内部に、あたかもそこに古代からの伝統的な神秘思想や叡智がひそかに温存されており、入会したものだけにその秘儀が明かされるという、好奇心をかきたてられるもったいぶった誘惑があっただろうとは思います」


▼「オカルト」を期待すると失望する


 −−近代フリーメーソンリーのなかには、成立当時の18世紀の最先端の思想だった啓蒙主義などが取り込まれている。と同時に、キリスト教会から異端として排除されてきたグノーシス主義や、ユダヤ教神秘主義のカバラ思想、錬金術などのオカルティックな思想やシンボルも盛り込まれている。合理的な啓蒙主義と非合理的な神秘主義という、一見、相矛盾する思想が共存しているのは、なぜなのでしょうか。

クライプ これも、私の個人的な意見なんですが、神というのは無限の存在です。そして人間には限界があります。有限な存在が、無限の神について判断することはできません。ですから、無限な存在である、あの神、その神、この神のどれが正しいということを、有限な存在である「私」が判断しようとすることは傲慢であり、実際、不可能なんですね。フリーメーソンリーのロッジのなかでは、宗教とか政治の話をすることは一切禁止されており、常に周囲との調和を大事にするように求められます。その一方で、ありとあらゆる宗教の信者、そして、いろいろな政治的理念を受け入れてきたのです。さまざまな思想やシンボルがフリーメーソンリーのなかに保存されているのは、そうした寛容の精神がもたらしたものではないでしょうか。

片桐 フリーメーソンリーは、オカルト結社である、とたびたび批判されています。33もの階級に分かれていて、階級を登るたびに秘密の教えを順番に説かれていくともいわれている。しかし、こういう話は、半分は本当ですが、半分は誤解です。まず、フリーメーソンリーには徒弟・職人・親方という三つの階級しかありません。しかしこのメーソンリーの付属団体として、スコティッシュ・ライト、ヨーク・ライトという二つの団体があり、こちらには一応、高位階が用意されています。とはいえ、メーソンリーの上部団体ではありえません。この二つはメーソンリーの哲学を詳しく勉強したい人のための団体なのですが、その教えをひとことで言えば、個人の尊厳が大事だということを説いているだけのことです。オカルト的・秘教的な教えを期待した人は、必ず失望します。
 スコティッシュ・ライトの33番目の階級というのは、これは名誉階級で、儀式の世話役などを長く務めてきた功労者に与えられるものです。実質的には32階級で、私もその32番目の階級に属するんですが、これは丸二日、講義を受講さえすればもらえちゃうんです。外から見ると、何かすごいことのように思えるのでしょうが、大したことないんです。この階級の名前の一つに「薔薇十字」という名前の階級があります。有名なオカルト結社の名前から借りてきちゃったわけです。そういうことがあるために、オカルト結社だと言われてしまうんでしょうけど。
 メーソンのなかで教えられることは、神秘主義的な教えではなく、もっと世俗的な道徳ですよ。ただ、生と死については、真面目に考えられています。人間は死後に、シュープリーム・ビーイング(至高存在)によって審判が下される。そのとき後悔することのないように、まじめに生きろと諭されるわけです。当たり前の道徳という以上のことはないですよ。


▼ユダヤ人とフリーメーソンリー


 前出の湯浅氏は、フリーメーソンリーが爆発的な発展をとげたもう一つの理由として、大英帝国の帝国主義的拡張期に重なり合ったため、という説をあげる。
 「英国の権力者が、国際的なネットワークをすでに確立していたフリーメーソンリーを、大陸政策のために利用した、ということは充分考えられます。フリーメーソンリーの拡大の歴史は大英帝国の帝国主義的な膨張の歴史とぴたりと重なりますし、そう考えれば、貴族や王侯がこぞって参入した理由も説明がつく。メーソンリーを情報ネットワークとして利用できますから。
 ローマ・カソリックの教権支配からの解放という過程も、純粋に思想史上の問題としてみるのではなく、イギリスの地政学的利害がそこにからんでいたと考えた方が、歴史の実相により近いと思います。批判を加えるためにも頭から無視してはいけない。もっとも、ユダヤ人陰謀論は問題外ですけれども」

片桐 フリーメーソンリーのなかに、ユダヤ人が多いのは事実です。特に米国のニューヨークのロッジとか、ユダヤ人の居住人口が多い地域には多い。それでも、全米国のメーソン会員のなかに占めるユダヤ人の割合は一割に満たないはずです。一般の人口比から考えれば多いと思いますけれど、それはユダヤ人が一般社会のなかで差別されてきた、それに対し、メーソンは差別をしなかった、そういう歴史的理由によるものです。ユダヤ人あるいはユダヤ教徒は、キリスト教社会のなかで徹底的に差別されていましたから、彼らにとって、宗教によって差別をしないメーソンリーはオアシスのようなものだったでしょう。ロッジの外ではまともに相手にしてもらえないキリスト教との市民たちと、同党に友愛を結ぶということが可能となったわけですから。彼らが「こんなにありがたいものはない」とこぞって入会したのは当然だと思いますよ。宗教によって差別をしないということは、先ほども言いましたが、もともとはキリスト教内部の問題だったのです。18世紀に入るまでに旧教と信教の対立があり、そのために戦争まで起きていた。そういう悲劇を繰り返さないためにも、宗派を超えて友愛の関係を結ぼうという考え方が生まれ、それを実践に移そうとしたのがメーソンだったわけです。後にこうした宗教的寛容の精神が拡大され、ユダヤ教徒や仏教徒やイスラム教徒にも適用され、今日のような世界的な広がりをもつに至ったわけです。もちろん、ユダヤ人がフリーメーソンリーをコントロールしているとか、フリーメーソンリーはユダヤ人の秘密結社であるとかいった噂は、根拠のない中傷にすぎません。そもそもフリーメーソンリーには、組織全体をコントロールする中央指令部のようなものは存在しません。
 今は、米国でもユダヤ系のメンバーが減りつつあるそうです。100年前ならば、ユダヤ人は対等の立場での人間関係を強く求めていました。しかし、現在では、ロッジの外の一般社会のなかでちゃんとした社会的地位を持っています。メンバーが減りつつある理由はそういうことでしょう。

クライプ フリーメーソンリーがユダヤ人と君で世界を支配しようとしているなどというのは、まったく無責任なデマです。そもそもフリーメーソンリーが政治的に動いて政府を倒すとか、団体として政府に反対することは不可能なんです。
 ある人がマスターになる前には、次のようなことを誓わなければいけないんです。
(1)あなたは、良識ある人間、真実の人間になることに同意し、そして以下に述べるモラルとルールに従うことを厳しく誓います。
(2)あなたは、平和的な市民になり、そしてあなたが住んでいる国の法律に快く同意することを誓います。
(3)あなたは、政府に対して陰謀を企てたりすることなどなく、忍耐強く(日本の)国法に従うことを誓います。
(4)あなたは、法的秩序と司法・治安機関に尊敬の念をもち、勤勉に働き、すべての他者に尊敬されるような行動をすることを誓います。
 マスターは、こういうことを必ず遵守するということを誓わなければいけません。ロッジのマスターがこういうことを誓うということは、ロッジの全員もこれに従わなければいけないわけです。つまり、平和な市民として、国の法律に従うわけですから、国家に対して陰謀を企てたりすることは許されないんです。

片桐 フリーメーソンリーは決して、反社会的行為を認めない。入会の儀礼のときにも、自分が住んでいる国の法律を厳守することを誓約するのです。たとえば、私は十年あまりシンガポールに住み、ロッジにも入会していましたが、そこではシンガポールの法律を守らなくてはいけないと約束させられました。このルールを破った者がいたら、我われはきちんと処分します。その場合の処分は、三段階に分かれます。まずは警告。次に資格停止。最後には追放です。追放処分となると、他のロッジに入ることも二度とできません。
 以前、イタリアで、グランド・ロッジの傘下にあったP2というロッジが、組織ぐるみで大規模な政府転覆の謀議に関わっていたという事件がありました。この事件のためにP2は解散させられ、関係者はすべて追放させられました。P2を傘下におさめていたイタリアのグランド・ロッジは、承認こそ取り消されませんでしたけど、監督不行き届きということで各国のメーソンリーから非難を浴びて、大恥をかきましたよ。

 −−大変うがった見方かもしれませんが、こういう規則はフランス革命と米国の独立戦争のあとから作ったんじゃないですか? それともその前からあったんでしょうか? フランス革命に関わった有名なオルレアン公やロベスピエール、ミラボーなどはみんなメーソンでしたね。彼らは革命を扇動する演説をしたり、革命的な行動をとったということで、フリーメーソンリーから除名されたんでしょうか? 私が調べた限りでは、そうした事実は認められないのですが。

クライプ いま言われた、フランス革命などについては、私に歴史的な知識がないのでなんとも答えられません。
 私が述べた規則は、マスターの人が自分のロッジを支え、まとめてやっていくための規則なんです。ですから、マスターは、ロッジのなかではそういうことはやらないけれども、ロッジから一歩でも出たら、政府に反対の意見を持っていて、政治的な行動を起こすかもしれない。でも、その個人的な意見を、ロッジをまとめる上で持ち込んではいけないということなんです。ロッジの規則と個人とは別なのです。

片桐 現在ある憲章のすべてが、ずっと昔から成文化されていたとは確かに言えないでしょう。あらゆる人間の集団のルールがそうであるように、試行錯誤を重ねてできあがったものだと思います。「居住する国の法を守れ」という規則が生まれたのは、やはり苦い経験を積んだからでしょう。フリーメーソンリーは世界各地にありますが、現地の法律を守らないと、やはりその国の政府ににらまれますから。「違法行為」の最たるものは、やはり国家権力の転覆をはかる革命の謀議でしょう。
 フランス革命に数多くのメーソン会員が関わった。これは歴史的な事実だろうと思います。その史実が、「政治的陰謀を企む秘密結社」という風評のもとになっているのかもしれませんが、逆を言えば、だからこそ現在のイギリス系メーソンリーでは組織としての政治活動を禁じる厳しい憲章が確立されたのかもしれません。これはあくまで私の推測ですが−−。


▼イルミナティとグラントリアン


 先にふれたように、フリーメーソンリーは大別して、英米系と大陸系に二分される。ドイツでは、インゴルシュタット大学の教員アダム・ヴァイスハウプトによって1776年にイルミナティという秘密結社(「啓明結社」とも「光明回」とも訳される。渋澤龍彦は著書『秘密結社の手帳』のなかで「バヴァリア幻想教団」と呼んでいる)が創設された。この結社はイギリス系のフリーメーソンリーとは違って、超越的存在(神)を認めず、君主制を妥当し、急進的に共和制の政権を樹立しようとする純然たる政治的秘密結社であった。このイルミナティをフリーメーソンリーの一つとみなす論者は少なくないが、メンバーが重複していただけで、別の結社であると考えるのが適切なようである。
 「バヴァリア幻想教団とフリーメーソンとを混同する歴史家もいるが、両者はまったく別のものである。ただ、フリーメーソンの非政治主義にあきたらず、メーソンのなかから幻想球団へ加入した者も、大勢いたらしい」と、渋澤龍彦も前掲書のなかで述べている。結局、このイルミナティは1785年に、バヴァリア選挙候カール・テオドールによって禁止令が出され、90年にはほぼ消滅したといわれている。
 今日においてなお歴史的評価が難しいのは、イギリスの次にグランド・ロッジが成立したフランスのメーソンリーであろう。世界史の展開に深く、しかも劇的に関わったという点では、フランスのメーソンたちは、本家イギリスのメーソンをしのぐ。オルレアン公フィリップ、ヴォルテール、ミラボー、ロベスピエール、ラファイエット、モンテスキュー、ディドロ等々、フランス革命の名だたる立役者がフリーメーソンであったことはまぎれもない史実である。
 ここで注意を要するのは、1771年(73年という説もある)にフランス・グランド・ロッジから独立する形で創設されたグラントリアン(大東社)である。日本において公刊されているフリーメーソンリーの研究書は、ほとんどがこのグラントリアンと、イギリスに誕生した「正統」フリーメーソンリーとを並列するか、あるいは曖昧に混同して記述している。しかし、イギリス系はすでに述べてきたように、教会と王権の支配を相対化したものの、「至高存在」と王政を否定しはしなかった。それに対し、グラントリアンは実際、急進的な啓蒙主義の影響を受けて、「至高存在」に対する尊崇を排し、無神論的な政治結社になっていく。明らかに両者は、ある時期から別種の思想を報じる別種の団体となっていったのである。もっとも、英米系と大陸系メーソンリーが混同されがちなのは、仕方がないところもある。本家のイギリス系メーソンリーが、グラントリアンに対する承認を取り消し、絶縁を宣告したのは、フランス革命勃発から約80年後の1868年のことである。言い換えるならば、イギリス系の「正統」フリーメーソンリーは、一世紀近くもの間、グラントリアンを「承認」し続けてきたわけである(その後、フランス・グランド・ロッジとグラントリアンが再統合して1914年にグランド・ロッジ・ナツィオナルが創設され、イギリス系メーソンリーとの間に承認関係が復活した)。一時絶縁したとはいえ、歴史的にこの無神論的政治結社と「まったく無関係」とは言い切れないだろう。


▼マッカーサーとトルーマン


 −−ドイツのイルミナティやフランスのグランドトリアンについては、本当にまったくご存じないのですか?

クライプ 聞いたことはありますけど、歴史的なことはよくわかりません。
 とにかくまず強調したいのは、各国のグランド・ロッジは独立しているということです。もともとはイギリスから始まりましたから、ドイツやフランスに入った当初は、とてもイギリス的でした。しかし、それぞれの国や地域のグランド・ロッジは独立していき、なかにはイギリスのフリーメーソンリーとは違う思想を持った組織をつくり出す場合もある。ここで重要なことは、相互承認の原則なんです。相互承認が成り立てば、双方のグランド・ロッジの間に友好関係が生まれるわけですが、原則が一致しない場合は、互いに承認しません。
 問題は、世界中の正統なフリーメーソンリーのグランド・ロッジが承認していないにも関わらず、勝手に「私たちは、フリーメーソンリーのグランド・ロッジなんだ」と名乗っている団体がいるわけです。私たちはこういう団体に対して、「承認しない」という以上の「制裁」を加えることができません。そうした団体がフリーメーソンリーと名乗るのをやめさせる強制力は、私たちにはないのです。でも、外部の人から見たら、どの団体もすべてフリーメーソンリーと見えるでしょう。ここが頭の痛い点です。

片桐 繰り返しになりますが、団体としてのフリーメーソンリーと、個人としてのフリーメーソンは別だということを忘れないでください。フランス革命に数多くのメーソンが関係したとしても、革命期には多くの市民が、それぞれの立場で革命に参加したでしょうから、その中にメーソン会員がいても不思議ではない。個人として、自分の政治的な信条に従って行動することはひとつも悪くありません。組織としてのフリーメーソンリーはそのことに全然介入しません。個人の自由意思を尊重しますから。
 同じことは、米国初大統領のジョージ・ワシントンにもいえることです。ワシントンがフリーメーソンだということはよく知られていますし、彼の部下も多くはフリーメーソンでした。彼らが独立戦争を戦ったのは、まぎれもない史実です。しかし、革命の敵軍である英国軍にも、フリーメーソンのメンバーが大勢いたのです。そういう記録がちゃんと残っています。英国軍側のフリーメーソンは祖国に対する忠誠から戦い、米国側のフリーメーソンは、独立を求めるのは正しいと信じて戦ったんでしょう。それでいいんです。そこにはぜんぜん矛盾がない。

クライプ メーソンの間ですごく人気のあるエピソードがあります。第二次世界大戦中、メーソンのメンバーは三つめのボタンに赤いリボンをつけて戦場へ赴いた。ナチスの兵隊と米国の兵隊が、互いに撃とうとして照準を定めた時、そのリボンが見えた場合、引き金を引くのをやめるということがあったそうです。また、米国の南北戦争のさ中に、昼間は敵味方に分かれて戦争をしていて、夜になると同じロッジで出会ったりしたという話もあります。昼は戦争していても、夜は「ブラザー」としてつき合うわけです。そういう逸話が数多く残っています。自分の帰属する国家に忠誠を誓い、自分の政治信条に従って行動している時も、心のどこかで友愛の精神を忘れずにいる、それがメーソンなんです。

片桐 マッカーサーもメーソンでしたが、彼にも面白いエピソードが残されています。

 −−マッカーサーはグランド・マスターだったのですか?

片桐 いやいや、そんなに偉くない。ぺーぺーです(笑)。だけどまあ、オナラブル・メンバーです。横浜に、スコットランド系の「東方の星」というロッジがあるんですが、そこの名誉会員に叙されていました。
 マッカーサーは、朝鮮戦争中に旧・満州地方を原爆攻撃しようとしたんです。中国軍の人海戦術におされ、米軍はひどく苦戦していました。挽回するには、後方基地である中国の東北地方に原爆を落とすしかないと考え、ワシントンに上申したのですが、トルーマン大統領は大反対した。結局二人は、太平洋上のウエーキ島で会談したのです。しかし大統領がいくら説得しても、マッカーサーが折れないので、とうとう最後には大統領は「サノバビッチ!(クソったれ!)」と言い放ったそうですよ(笑)。
 それでマッカーサーを解雇しちゃったんです。ところが、このトルーマンも有名なメーソンです。もし仮に二人が激論を交わしたその日、近くにロッジがあって、二人がここでも会っていたとしたら、会見の席では「プレジデント」「ジェネラル」とお互いを呼んでいた二人が、今度は「ブラザー」と呼び合うことになったでしょう。
 だから、メーソンであるということと、ビジネス上の利害や職務や政治的立場はまったく別問題なんです。関係ないんです。


▼日本だけの陰謀説


 −−わかりました。話をオウムのことに戻しましょう。クライプさんは、オウム真理教の事件についてはご存じですよね。

クライプ もちろん。ニュースで聞いて知っています。

 −−彼らは、妄想であるにせよ、何者かと戦っているつもりなのです。問題は、彼らが戦っている相手なのですが、それは、ときに日本の政府だったり、ライバルの宗教団体であったりもするのですが、それ以上に「ユダヤ=フリーメーソンに支配されている世界」そのものなのです。自動小銃を大量に密造したり、サリンを製造したりしたのは信じがたいことですが、どうやら本気で世界を相手に戦争を仕掛けるつもりだったらしい。彼らのこうした世界観や行動を知って、メーソンリーの一員であるあなたは、どうお考えですか?

クライプ 今までの歴史において、たびたびメーソンリーは攻撃を受けています。そういう時には、私は弱気になって、自分がメンバーであることにがっかりしたり、後悔を覚えたりします。確かに今までフリーメーソンリーは歴史において、誤解されるような行動をとったこともあったでしょう。しかし、総じていえば、プラスになることをしただろうと思っています。
 今回のオウムの事件についていえば、思想以前の問題として、地下鉄でサリンをバラまき、無差別に人を殺すなんてことが許されてよいわけがない。ほとんどの日本人がこのテロ行為を許さないでしょう。オウム真理教は、とんでもない悪事をしでかした。ということは、そういうテロ集団であるオウム真理教が攻撃を加えているフリーメーソンリーは、逆に日本の多くの人に肯定的に理解される可能性が出てきたんじゃないでしょうか。

 −−今、オウムが悪くて、フリーメーソンリーが正しいと、善悪の対比でおっしゃいましたが、こういう考え方をする人もいます。「オウムは弱かったが、フリーメーソンリーは強かった」(爆笑)。

クライプ (笑いながら)おっしゃるとおり、そう考える人もいるかもしれません。しかし私には、それはあまり重要ではありません。私がいちばん大事だと思うのは、人びとが考えることであり、そのきっかけができたことだと思います。フリーメーソンリーに対する偏見という点では、オウムだけが特別な考え方の持ち主だとは、私は思いません。彼らは偏見を前面に押し出しましたが、そこまでしなくても多くの日本人がオウムとの同様の、間違った情報にもとづく偏見を抱いています。
 具体的な例を幾つかあげましょう。
 私がある日、銀座でタクシーを拾ったときのこと。ドライバーに、飯倉にあるフリーメーソンリーのグランド・ロッジまで行ってくださいと言ったら、「あそこはユダヤ人ばかりが行くところでしょう?」んと、怪訝そうな表情で言われました。日本では、メーソンとユダヤ人が共謀関係にあるというデマが、ごく大衆的なレベルでも浸透している。これは少々、ショックでした。
 また、別の日のこと。主婦が作っている英会話クラブに呼ばれて、何か話をしてくれと頼まれた時に、コンパスの絵を描いてフリーメーソンのことを話そうとしたら、「あなた、そんなこと話して大丈夫なんですか?」と驚かれた。危険な秘密を突然、打ち明けられたと思ったらしい(苦笑)。さらには、メーソンだと自分で名乗るなんて恥ずかしくないのかとなじられたりもしました。たぶん、その人は、メーソンリーを犯罪組織か何かと思い込んでいたんでしょう。
 一般の人だけではなく、知識があるはずのジャーナリストも偏見を抱いています。TBSのリポーターの方がインタビューにいらした時、私は浜松町の日本宇宙有人システムで働いていますから、私のオフィスでお話ししましょうと言ったんです。そうしたら彼はびっくりして、「いいんですか? あなたがメーソンだということが、皆にわかっちゃいますよ」って(笑)。私がメーソンであることは秘密でも何でもないのに。私の同僚は皆、知っているし、理解してくれていますよ。
 こうした珍妙な現象は、米国とかフィリピンではまず、みられません。韓国や台湾、香港やシンガポールでも、こんな偏見はありません。フリーメーソンリーが、陰謀団とか、オカルト団体であるとかという悪口を言われるのは、先進国では日本だけです。


▼天皇陛下を名誉グランド・マスターに


 −−日本において、フリーメーソンリーに対する偏見が根強いのは、なぜだと思われますか?

クライプ いろいろな原因が考えられるでしょうが、私の考えではやはり、ナチスの影響がいちばん大きいと思います。第二次世界大戦中、ナチスはさまざまなデマ宣伝を行ないました。フリーメーソンリーに対する悪意ある中傷もその一つです。人種差別政策をとっていたナチスは、ユダヤ人を抑圧してましたから、ユダヤ人とフリーメーソンを重ね合わせて、間違った考えを輸出したわけです。当時は、日本とドイツは同盟関係にありましたから、ナチスから送られたデマ情報の影響を強く受けてしまった。ナチスの影響を、戦後50年経った今も、日本は完全に払拭できていない。それが偏見の最大の原因であると思います。
 つけ加えて言いますと、フリーメーソンリーを敵対視したのはファシズム勢力だけではない。共産主義勢力もそうでした。現在でも中国や北朝鮮では、活動を禁じられています。逆に、旧ソ連や東欧諸国では、民主化されてから以後、かつて存在したロッジが復活し始めました。ポーランドやチェコでも活動が再開されましたし、モスクワにも今は二つのロッジがオープンしています。要するにフリーメーソンリーの活動を禁じる国というのは、イデオロギーの左右を問わず、全体主義国家ばかりのなのです。

片桐 日本でフリーメーソンリーに対する偏見が残っているのは、何といってもフリーメーソンリーが社会に根づいていないからでしょうね。日本人の会員はわずか300人しかいませんから。なぜ根づかなかったのか。それには歴史的理由が三つあります。
 まず第一の理由は、フリーメーソンリーが世界中に勢力を拡大し始めた17世紀に、日本が鎖国してしまったことです。徳川政府は数次にわたって鎖国令を発布していますが、最後の鎖国令は1639年。いよいよ思索的メーソンが本格的に胎動を始めたのが、同じ17世紀半ばです。ですから、ほぼ同時期に、片方は世界史の舞台の上に上り、片方は舞台を降りてしまった。これが第一の原因です。
 第二の原因は、明治維新のあと、1887年(明治20年)に出された保安条例です。この条例のために、警官の立会いがないと集会が開けないことになってしまった。
 これは明治新政府が主として、板垣退助などによる自由民権運動の広がりを怖れ、阻止するためにとった措置だったのですが、メーソンのロッジ内での集会も、保安条例にひっかかってしまう。
 ちなみに、日本で最初のロッジである「横浜ロッジ」が開設されたのは、幕末の再末期の1866年(慶応2年)です。明治維新の翌年の69年には2番目の「オテントサマ・ロッジ」が開設されました。すでにメーソンは日本国内で活動をスタートしていたわけです。このままでは困るので、88年(明治21年)の2月に外務大臣に就任した大隈重信に、ストーンさんという地区グランド・マスターが会いに行きました。話を聞いた大隈重信は、「わかった。フリーメーソンリーはこの保安条例の対象にしない。ただし、日本人を入れては困る」と条件つきで許可を与えました。この「紳士協定」のために、とりあえず第二次世界大戦が勃発するまでは、駐留外国人のための団体としてロッジを存続することができましたが、日本人にとっては無縁の存在になってしまいました。
 そして第三番目の原因が、クライプさんの言われたナチスの影響です。ナチスの思想は「ゲルマン人でなければ人に非ず」ですから、宗教、人種を問わず、平等を唱えるフリーメーソンリーとは絶対に相入れないのです。同盟国のナチス・ドイツの影響によって、戦中は、日本政府はフリーメーソンリーを弾圧し、ロッジは閉鎖に追い込まれました。戦後になってロッジが再開され、日本人の入会もようやく自由になったのです。

クライプ 日本の方々にぜひ知っていただきたいことは、メーソンであるということは、米国などでは社会的なステータスが非常に高いと評価されることです。そのために、大勢の有識者、有力者が入ってくる。
 一例をあげましょう。今から十年ほど前、米国のある雑誌が、全米のトップビジネスマン1万5千人を対象にして、アンケートをとったのです。その結果、有効回答のうちの大半、約1万人がメーソン会員であると判明しました。この話をすると、反メーソン論者にまたもや、「ほら、やっぱりメーソンはビジネス界を支配している」と言われてしまうかもしれないので、気をつけないといけないのですけど−−。
 米国だけじゃなく、ヨーロッパでも、メーソンのステータスは高い。英国ではロイヤル・ファミリーが入会するのは伝統となっています。エリザベス女王は女性ですから駄目なんですが、そのかわり、ケント公が現在の英国グランド・マスターに就任されている。スウェーデンなんかは、皇太子が入っています。ベルギーもそう。日本でも天皇陛下がメンバーだったら、偏見がなくなり、もっともっと簡単にメンバーを集めることができるでしょう。もし、天皇陛下に入っていただければ、私は名誉グランド・マスターにしてさしあげたい(笑)。


▼日本国憲法はメーソンがつくった?


 −−なぜヨーロッパ各国の王族がフリーメーソンリーに入会するのか、私にはやはり不思議でならない。33ある階級を上っていって、上の方へいくと初めてフリーメーソンリーの思想がわかる儀式があるという話を、あるメーソン会員の方から聞いたことがあります。その儀式とは、バチカンの法王の帽子とヨーロッパの王様の王冠を模した帽子を踏みつぶすことだという。これは事実でしょうか。また、この儀式の意味はどのように解釈しているのですか。

クライプ それは、儀式内の問題になっちゃうんで、困るんですけどね。儀式内のことはちょっと申し上げられない。ちょっと、これは公開の席では、我われは申し上げられない。

 −−これは現役の複数のメーソン会員の方から聞いた話なので、たぶん間違いないと思います。この儀式は、非常に抑圧的だった教皇や王の権威を認めないということを意味するのだと思うのですが。

片桐 確かに、おっしゃるような儀式が、あることはあります。しかしそれは、王様の権威を軽んじるという意味では決してない。そうではなくて、個人の尊厳、個人の自由、これが何ものにもまして重要なんだということを言いたいわけです。決して王様を……、ひどい独裁者ならばともかく、普通の場合は決してそんなことはないんです。

クライプ 私たちは、独裁ということに対しては反対しているわけです。個人の言論の自由とか、思想の自由、そういうものを奪うものには反対するわけです。

片桐 そうですね。フリーダムですね。決して、王様の権威を否定しているわけじゃないですよ。だって、僕ら、パーティやる時に、いつでも天皇陛下に乾杯してる。今は時代錯誤みたいな感じもありますけどね。

 −−実際に乾杯するんですか?

クライプ やりますよ。パーティーの時には、いつでも誰かが音頭をとります。日本にいる時には、日本の習慣、文化を尊敬する意味で、日本の伝統的な権威の象徴である天皇陛下に乾杯を捧げるんです。

片桐 ただし、これはルールじゃないんですよ、カスタムです。

クライプ 先ほど、、儀式は秘密だと私は言いましたが、これはあくまで原則です。実際には脱会したメーソンの元メンバーが、儀式の内容をすべて暴露した本を出版している。ですから米国やイギリスではもう秘密ではない。ただ、それでも私たちはこの伝統を大事にしたい。新しく入会する人が、儀式に臨む際に新鮮な驚きを受ける、そういう伝統を大事にしたいのです。

 −−今年は戦後50周年ということもあり、戦後体制と、その基礎となる憲法を見直そうという議論が、活発になると予想されています。マッカーサーがメーソンであり、憲法草案を起草したGHQのメンバーにも、メーソンが数多く含まれていたとなると、戦後憲法の理念にメーソンリーの思想が入り込んでいる可能性が高くなり、議論を呼ぶと思われます。非常にデリケートな問題ですが、クライプさんは、メーソンとして、そして一人の米国人として、この問題をどうお考えですか。

クライプ メーソンリーには、さまざまな文化、多様な教えが取り込まれています。メーソンリーの思想は、四角四面の窮屈な教義ではない。もっと豊かで多様なものを包摂しています。それはどんな文化にも好影響を与えることが可能だと思います。日本文化は調和を重んじる傾向がある。これは異質な文化や思想を受け入れながら、そこにハーモニーを見出そうとするメーソンリーの考え方と相通ずるものがあると思うのです。今や地球はとても狭くなった。いつまでもささいなことで争っていてはいけない。ワン・ワールドを真剣に目指すべきです。宇宙空間に飛び立って、地球を見おろした経験のある宇宙飛行士のなかには、霊感を受けて意識の変容を体験した人が多い。アポロ11号に乗船したオルドリン飛行士などがその代表ですが、彼もメーソンです。彼以外にも、メーソンの宇宙飛行士はたくさんいます。彼らはみんな同じことを言っている。地球はひとつ、だと−−。


▼厄介な半分事実の言説


 政治的意図があってのことか、単なる無知か。それとも、おどろおどろしいオカルトや陰謀の物語を織り混ぜて、興味本位の娯楽読物に仕立て上げた方がより売れるという売文家根性のなせる業か(これが最も主要なファクターであろう)。いずれにせよ、事実と虚構を巧みにミックスした、ハーフ・トゥルースの言説ほど、厄介なものはない。「ユダヤ=フリーメーソン陰謀論」本はその典型である。内容のすべてが嘘やデタラメならば、扱いはかえって容易になるのだが、一部に事実が混じっているから始末が悪い。
 どうでもよいテーマであれば、捨ておいても構わないかもしれない。しかし、フリーメーソンリーは日本の近・現代史と決して無関係ではないのだ。
 記録に残っている限りでは、日本人として最初にフリーメーソンリーに入会した人物は、幕末にオランダに渡り、帰国後、東大の前身の開成所助教授となった西周(にし・あまね)。「哲学」「理性」「抽象」「主観」「客観」など数多くの学術用語を生み出した「文明開化」の功労者である。彼はオランダ留学中に指導教授の導きで、メーソンリーに入会したのだった。
 また、英国公使(のちに大使)として1900年(明治23年)に渡英した林董(はやし・ただす)は、日英同盟の締結に大きな働きをなした人物だが、彼もまたイギリスでメーソンとなり、そのロッジで築いた人脈をフルに活用したといわれている。
 戦後の再出発に際して、メーソンリーを無視しえないことは言うまでもない。戦後憲法の生みの親であるマッカーサーがメーソンであったことは、すでに述べたとおりである。
 私たちは今まで、あまりにフリーメーソンリーについて知らなさすぎたのだ。今回の私のリポートも、メーソンリー理解のためのほんの第一歩にすぎない。長らく視野の外に置き去りにされてきた「フリーメーソンリーの果たした歴史的役割」という要素を、プラス面もマイナス面も含め、過小評価せず、逆にことさら過大視することもないように注意を払いながら、近・現代史を見直し、検証する作業が今ほど求められている時はない。戦後50年という節目の年であればこそ、なおさらである。

(本稿は『宝島30』95年9月号に発表したものに一部加筆したものです)


TOP | Profile | These Days | Works | Child | Link | Books