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「現代」  1994年8月号 講談社

ヨーロッパ 極右の虚像と実像

反ユダヤ主義、民族衝突の坩堝を歩く


  旧東独時代に突如としてネオナチが現れ、街頭で激しく荒れ狂うようになったのは、ベルリンの壁が崩壊した直後のことだった。旧西独のネオナチも勢いを得て、外国人労働者への暴行や殺傷、難民施設への放火といった残忍な流血事件は、統一ドイツ全土で今に至るも跡を絶たない。
  日を追うごとにナチス政権出現前夜のワイマール共和国に酷似してゆくロシアでは、昨年12月の総選挙で極右の自民党が躍進。党首のジリノフスキーは、ドイツの極右政党DVO(デ・ファー・ウー)の党首、ゲアハルト・フライをはじめ、ヨーロッパ各地の極右勢力と精力的に同盟関係をとり結びつつある。
  イタリアでは今年に入ってから選挙で圧勝した右翼のベルルスコーニが首相の座につき、戦後はじめてネオ・ファシストが入閣を果たした。
  今なぜ、ネオ・ファシズムの台頭がヨーロッパで同時多発的に進行しているのか。ポスト冷戦時代の価値の真空を埋める過渡的現象なのか、それとも来るべき時代の始まりなのか。極右と呼ばれる男たちの実像を確かめるべく、ドイツ、ポーランド、ロシアを訪ねた。

▼ロシア
  なぜ「反ユダヤ」を叫ぶのか

  ホロコーストで民族絶命の危機にさらされたユダヤ人が、ナチスに激しい恐怖と憎悪を抱くのは当然である。彼らの体験は、多民族・他国民とは比べようがないから比較対象外におくとして、第二次大戦後、「ナチス」あるいは「ドイツ・ファシスト」という言葉に、最も激しいアレルギーを抱き、嫌悪感を示してきた国民はどこか。
  異論はあるかもしれないが、おそらくは旧ソ連国民であろう。対独戦の犠牲者総数は約2千万人といわれる。この数字はスターリンによる粛清の犠牲者数を合わせた数ではないかと、最近は疑問をもたれているが、それを差し引いたとしても、大戦参加国中、突出した数の多さであるのは間違いない。70年余りにわたる共産党政権の蛮行が明らかになり、その専制支配にピリオドが打たれたにもかかわらず、旧ソ連圏では「ファシスト」という言葉が今なお人を罵倒する最悪のフレーズであり続けている。あのジリノフスキーでさえも、「私をファシスト呼ばわりする奴は許せない」と嫌ってみせるほどだ。
  そういう国に、禁じられているハーケンクロイツをシンボルに掲げ、公然と「国家社会主義」を標榜する政治家が現れたのだから、驚かないわけにはいかない。「ロシアの民族統一」という党の党首・バルカショフである。
  エリツィン政権への敵意をむき出しにしてきたバルカショフは、昨年10月のモスクワ騒乱事件の際、ルツコイやハズブラートフとともにロシア議会に立てこもり、逮捕された。今年2月の恩赦によって釈放された直後に自宅を訪ねると、彼はソファに座ったまま、私を部屋に招き入れた。かたわらに松葉杖、足にはギプス。昨年12月に何者かに狙撃されたのだという。
 「12月19日の真夜中のことだった。10月事件に参加したため指名手配されていた私は、モスクワ近郊のクラスノゴルスクという小さな町にいた。午前2時頃、町外れを歩いていたところ、かたわらを通過した自動車からいきなり銃撃を受けた。当たった弾丸は一発だけ。病院に運ばれた私は、入院先で警察に逮捕された。軍医が執刀して摘出した弾丸を警察が鑑定したところ、外国製の銃弾だったという。破片の一部は左足の内腿から外腿へ貫通していた。警察からは他に何も聞いていない。犯人はまだ捜査中だが、多分迷宮入りだろう。撃ったのは、おそらくKGBだと思う。他には考えられない」
  ロシアでは「正体不明の狙撃事件」は決まってKGBの仕業ということになる。KGBから狙われていると騒ぎたてている人間が、実際にはKGBのエージェントだったということもしばしばあるので、根拠のない推測をすべて真に受けるわけにはいかない。しかし、指名手配されて逃亡中という状況、ケガの程度も考えると、狂言というわけではなさそうだ。バルカショフの現在の政治的プレステージや影響力はまだまだ高いとはいえない。そういう人間をあえて暗殺しようとする勢力がいる。それはバルカショフという人物を潜在的脅威とみなしている連中が確実に存在する、ということでもある。
  彼はいったい、どんな政治的背景を背負って政治の舞台に現れてきたのだろうか。
 「私は1953年にモスクワで生まれた。父は労働者で、母は看護婦だった。70年に学校を卒業し、義務兵役を終了後、工場で労働者として働いていた。ゴルバチョフが書記長となった85年から、ロシア民族主義グループの『パーミャチ』の創設に加わり、90年までリーダーの一人として副議長をつとめてきた」

モスクワにシンパは20万人

  彼が所属していた「パーミャチ」は、反共・反ユダヤ・ロシア民族主義を看板とした独立団体を名乗っていたが、実は当時のKGB第5局によって編成されたダミー組織であったといわれている。私がその噂をただすと、バルカショフは否定せずに、「そうかもしれない」と曖昧な答え方をした。
 「いずれにしても私には関係がない。私は自分の思想的立場をもって『パーミャチ』に入り、その名前を利用して自分に必要な人間を集めていたのだ。『パーミャチ』は結局、ロシア民族主義の宣伝組織としての枠を超えることがなかった。私はもっと大胆に具体的な政治行動を起こすべきだと考えていたから独立した。それだけのことだ。
  我々のメンバーシップは三段階に分かれている。一番上はソラートニク(同志)。これは日本の侍同士のような関係で、相互に敬意を払わなくてはならない。モスクワだけで約1,500人存在する。その下がスパドジーニク。ソラートニクの候補者たちで、約1万2千人。さらにその下にシンパがいる。これは推定だがモスクワだけでも15万から20万人はいるだろう。
  わが党の政治目標は、ひと言でいえばロシア民族国家の復活である。ロシアをロシア民族の手に取り戻すことだ。ロシアは1917年以来、自らの国家をもっていなかった。ボリシェヴィキは10月クーデターによって権力を奪取したのち、ロシアを憎むイデオロギーを鼓吹し、76年間にわたり、ロシア民族に対するジェノサイドを続けてきた。殺戮は現在もボリシェヴィキの後継者によって続行されている。ロシア民族は物理的、経済的に殺され続けているのだ。
  たびたび同一視されてきたのだが、私はジリノフスキーの立場を支持しない。そもそも彼は思想的立場をもっていない。まず第一に、彼はロシア人ではない。彼の父親はユダヤ人である。彼がロシア人の伝統的な思考・行動様式にそぐわないふるまいをするのはそのためであり、彼がロシア民族を代表することはできない。彼の外国での言動は、馬鹿げている。彼はロシア民族主義のパロディを演じているだけだ。彼はロシア民族主義を歪曲し、侮辱し、その評判をことさらおとしめている。その結果はどうなるか。我々、本当の民族主義者の敵対陣営に有利な結末をもたらすだけだ。奴がニセモノだというのはそういう意味だ」

「ユダヤ人が要職についている」

  彼のいう「我々の敵対者」とか「ボリシェヴィキの後継者」が、ユダヤ人、あるいはユダヤ系ロシア人を指しているであろうことは、容易に察することができる。
  キリスト教圏の社会ではどこでも、ユダヤ教徒への根強い偏見と差別が伏在している。ロシアもまた例外ではない。18世紀に帝政ロシアがポーランドを分割併合したとき、ポーランド領内に多数居住していたユダヤ教徒(アシュケナジウム)もロシア国家の内部に組み込まれた。それ以降、ロシア国内で反ユダヤ主義が高まりをみせるようになり、社会的混乱があるたび、ユダヤ人がスケープゴートに祭り上げられて、頻繁に虐殺(ポグロム)の対象とされた。
 「私は人種差別主義者ではない。だが、ロシア民族国家復活を妨げる勢力とは断固として戦う。国際ユダヤ資本と、ユダヤの政治ロビーがロシア民族国家復活の障壁となっていることは明らかだ。アメリカは、彼らの根拠地の一つだ。ボリシェヴィキもユダヤ人によって編成され、ユダヤ資本のバックアップを受けていた。たしかにアメリカと旧ソ連がユダヤ人国家であるとはいえない。だが、両国とも、世界的覇権をもくろんだユダヤ国際勢力に支えられてきたと確信をもって言える。
  レーニン、トロツキー、カガノビッチ、ジノヴィエフなど、ボリシェヴィキ初期の指導者は皆ユダヤ人かユダヤ系だったことは広く知られている。今のエリツィン政権も同じだ。指導者層の公式のキーパーソンはロシア人だが、顧問官やブレーンに必ずユダヤ人がついている。エリツィンのように夫人がユダヤ人というケースも少なくない。
  ユダヤ人自身が要職についている場合もある。元のKGB第一局に相当する諜報局の局長のプリマコフは、30歳まで本名のキリシブラッドを名乗っていた。ロシア人女性と結婚してから、彼は妻の姓を名乗るようになったのだ。諜報機関は国家の安全にとってきわめて重要である。にもかかわらず、ユダヤ人のプリマコフが局長に就任後、我が国のスパイがアメリカや西側で次々と逮捕・追放されている。これは国家に対する重大な裏切りだ。
  外務大臣のコーズィレフも純然たるユダヤ人だ。彼は92年にクレムリン大宮殿で開かれたユダヤ教のセクト、ハシディズムの集会に、ユダヤ教独特のあの帽子をかぶって出席し、自らユダヤ教徒であることを公にした。この事実は当時、テレビでも新聞でも報道されている。彼がロシアに不利益をもたらす貿易協定締結に平気でサインしたりする理由が、これで理解できる」
  実に厄介な話である。私はユダヤ陰謀論にはくみしない。しかし、公正を期するならば、バルカショフの話がまるっきりのデマゴギーではないと認めなくてはならない。プリマコフの話も、コーズィレフの逸話も事実である。
  最近になって、民主派の指導者の要人が、自らのユダヤ系出自を公にするケースが増えている。たとえば、ペレストロイカの事実上の思想的設計者であり、戦略指導者でもあったアレクサンドル・ヤコブレフも、今年に入ってから、「シンドラーのリスト」の公開を記念してモスクワで開かれたアウシュヴィッツ犠牲者の追悼集会に大会役員として出席した。大ロシア民族主義者や共産党保守派から「あいつの本名はヤコブ(ユダヤ人名)に違いない」「ソ連邦解体を画策したA級戦犯」などと非難されてきたヤコブレフが、虐殺されたユダヤ人の追悼集会に出席した、その政治的意味はきわめて重い。
  ロシアにおける反ユダヤ主義の台頭を誰よりも危惧し、警告を発していたのが彼だった。一昨年にインタビューしたときも、彼は終始強い口調で、反ユダヤ主義の危険性について私に語り続けた。
 「今やあらゆる方法で刑法に違反する反ユダヤ主義宣伝が行われている。これはファシストの台頭を促すものだ。なぜ現政権は断固とした態度で取り締まろうとしないのか、理解に苦しむ」
  彼の今回の行動は、反ユダヤ主義=排他的ロシア民族主義には屈しないという断固たる意志表明のように思われる。言い換えれば、彼の危機感はそれほどつのっているということでもある。

「日独の右翼と連携したい」

  ジリノフスキーを「ロシア民族主義のパロディ」と批判するバルカショフだが、思想的にはナチスの借用ばかりが目立つ。ロシアでは発禁本のヒトラーの『わが闘争』を座右の書としている彼もまた、ナチスのイミテーションにすぎない。だが、彼の口からナチス・ドイツとともに日本の軍国主義礼賛の言葉を聞かされると、対岸の火事といった気分でいられなくなる。
 「思想的な影響を私はシュペングラー、ニーチェ、ヒトラーから受けてきた。しかし最も理想とするのは、1930年代の軍国主義の日本だ。『西欧文明』を背後から演出してきた勢力は、自立した民族国家、民族資本の存在を許さず、ドイツ、イタリア、スペイン、日本に圧力を加え、戦争を仕掛けた。当時の日本がとった国家としての行動は、自然な反応だったと思う。日本とドイツはそれぞれ敗北したが、民族精神までは死んではいない。実際、我々はある段階まできたなら、ドイツのネオナチと日本の右翼との連携が不可避になると思っている。国際資本に対抗可能な民族は、世界にこの三つしかない。この三民族だけが英雄的ロマンチシズムの精神を失ってはいないからだ。すでにドイツ人とはコンタクトをとっている。元ナチス党員で、戦争に参加した経験もあるドイツ人資本家たちがここへ来てビジネスをすると同時に、我々の運動に共鳴してドイツ民族主義政治家との連携の橋渡しや、資本提供を申し出てくれている。ハーケンクロイツはアーリア人だけのシンボルではない。我々、スラブ民族にとっても聖なるシンボルなのだ」

▼ポーランド
  ジリノフスキーと組んだ男

  ジリノフスキーの赴くところ、必ずドタバタ騒ぎが巻き起こる。今年の3月中旬にポーランドのワルシャワを訪れた時も、ひと騒動起きた。空港に詰めかけた歓迎派と反対派がそれぞれプラカードをもってシュプレヒコールを繰り返し、しまいには、ジリノフスキーの一行そっちのけで両者が衝突、介入した警官も一緒くたになっての殴り合いとなってしまったのである。
  ジリノフスキーをポーランドに招待したのは、「ポーランド民族戦線」の党首、ヤヌシュ・プリチコフスキー。国際的にはもちろんのこと、ポーランド国内でも無名の政治家である。ヨーロッパ各地の極右政党と同盟関係を結ぶことにジリノフスキーは熱心だが、なぜポーランドの場合はブリチコフスキーを選んだのか、当地のプレスも首を傾げており、彼が訪問した際にはそうした質問も投げかけられた。

・あなたはなぜ比較的無名の政治家の招待を受けたのか。
・どんな政治家もはじめは無名だ。彼とは思想が比較的近いし、今、急速に伸びている。成長している政党とつきあうのが我々のポリシーだ。
・ロシアとポーランド両国にとって、二人の出会いはどんな意味をもつのか?
・将来の両国大統領の最初の出会いになるかもしれない。今のところは、他の連中が大統領だが、いずれ選挙が行われることだし、我々にチャンスが回ってくる」

  以上は3月14日付の「ジチェ・ワルシャウェ」紙からの引用である。ジリノフスキーに「ポーラランドの将来の大統領」とまで見込まれるくらいなら、ブリチコフスキーという男は、ジリノフスキーに似て、さぞかしあつ苦しいデマゴーグなのだろう。そんな先入観を抱いて「ポーランド民族戦線」の本部を訪れたのだが、予想に反して私を出迎えたのは、高価そうなダブルをびしっと着こなした青年実業家といった風情の人物だった。

「ビジネスは順調そのもの」

 「私は長くビジネスに従事しており、ロシアでも合弁事業をやっています。私はロシアの市場経済化が始まったとき、ポーランド人としては、いち早くロシアのマーケットに参入した。ロシアでは何をするにしても、支配エリートとの強力なコネが必要ですが、私もビジネスを拡大させる必要上から、数多くのロシアの政治家や高級官僚と近づいた。ジリノフスキーともその過程で知り合ったのです。私は初対面で、彼は将来、きっとロシアの指導者になるだろうという確信を得ました。考え方が非常にダイナミックだし、先見性がある。こういう素晴らしい人物との親交を深めておくことは、将来のポーランドの国益にきっとかなうだろうと私は考えたのです。
  ジリノフスキーと出会ったのは確か88年の末か89年の初め頃でしたが、ちょうどその頃は私が政治の世界に足を踏み入れたばかりの時期でした。88年にポーランドで緑の党が編成され、私もその創設に参加したのです。ちょうど私が40歳の年でした。それまでは、私は政治と一切関わりがなかった。一度だけ接点があったのは、76年。その年、有名な労働争議があり、私も巻きこまれて中間管理職のポストから追放されてしまったのです。仕方なくそのときから自営業を始めました。非常に小規模な商業からスタートしましたが、体制変革とともにチャンスは拡大し、ソ連で始めた合弁企業は、今では300万トンの原油生産をコントロールしています。また、一週間に64万トンの石油精製が可能なりファイナリー工場を、三つ同時に建設中です。さらにサハリンでは銀行の買いつけの話も進めている。ビジネスは順調そのものです。
  緑の党からは早々と離党しました。緑の党は世界中どこでも、反戦・平和主義・反軍隊のポリシーを貫いている。しかし、この思想はポーランドではあまり現実的ではない。そのことに気づきはじめて、私は別の道を模索し始めた。その時、ジリノフスキーから受けた示唆が非常に役に立ったのです。ポーランドの国益を守るためには、西欧とロシアにはさまれているその地政学的な現実を受け入れなくてはならない。きれい事では駄目です。彼の考えこそ、もっとも現実的なビジョンであると私は確信し、『ポーランド民族戦線』の結成に踏み切ったのです」
  ドイツの億万長者のゲアハルト・フライといい、このブリチコフスキーといい、ジリノフスキーは大金持ちと友人になるのが好きらしい。昨年12月のロシア議会選挙の時には、フライから資金提供を受けたという噂もある。ロシア市場に深くくいこんだブリチコフスキーにとっても、ジリノフスキーが将来大統領になれば、ロシアにおける巨大な利権の見返りが期待できる。
  ウルトラ・ナショナリストのインターナショナルな連帯という不思議な現象を読み解くには、イデオロギーの側面だけではなく、常に政治家個々人のこうした生ぐさい利害打算のからみあいを視野におさめる必要がある。そうでなくては、「ロシアとドイツとでポーランドを再び分割しよう!」と日頃公言しているジリノフスキーと、ポーランドの自称「愛国者」とがなぜ手を結びあうのか、その奇妙な関係を理解するのは難しい。
 「ポーランド再分割」問題について、ジリノフスキーがワルシャワではどう発言したか、前出の「ジチェ・ワルシャウェ」紙から再度引用してみよう

・ポーランドにウクライナ領リボフ(注:1939年まではポーランド領だった古都)を返還する用意があると言っていたが。
・リボフがポーランド領になっても、ロシアは痛くもかゆくもない。ポーランドがあそこを歴史的に自分の領土だと思うなら勝手にどうぞ。誰かが反対するなら助けてやる。
・選挙戦の時は、あなたは『ロシアとドイツの国境をビスワ河(注:ポーランドの中央を南北に流れ、国土を東西に分けている河)にしよう』と演説していたが、今日はポーランド国家が強くなることを支持している。いったい、どちらが嘘なのか?
・私は嘘は言わん!  あのときはいろいろなシナリオの一つとして、こういう国境線もありえると言ったのだ。私の本心ではない!」

「旧ソ連軍を配備し……」

 「ジリノフスキーの『ポーランド分割』発言は誤解です。彼の言ったことはこういうことです。もしポーランドがNATOへ入ったらロシアの戦略家たちは西側の対ロシア攻撃に対する防衛ラインをポーランドのビスワ河に策定する。そしてこのビスワ河ラインに小規模な核攻撃を行って、進行を停める。一方、NATOも、東側の反攻をこのビスワ河で停めるため限定核攻撃を用いるだろう。いずれにしてもこのビスワ河ラインが東西の新しい国境となる。第三次大戦になれば、ポーランド国民の利害など誰もかえりみない。結局、戦場になるのはここポーランドなのだ−−私は彼の話を聞き、まったくその通りだと思いました。
  今、ポーランド政府はNATO加盟を急いでいますが、これは非常に危険です。そうではなく、ビスワ河とオーデル・ナイセ河(ドイツ・ポーランド国境)の間に旧ソ連軍を配備し、オーデル・ナイセのラインを東西の新しいボーダーにすれば、少なくともあと50年間は戦争を抑止できるのではないか。冷戦時代も東西の武力均衡により平和が約50年間続きましたから。
  ポーランドが国際的な軍事戦略バランスの中で、どういう立場を選ぶかは大変重大な問題です。この国はヨーロッパの、あるいは世界の火薬庫になりうる。中欧が旧ユーゴのような状況になれば、世界に与える影響は比べものにならない。間違いなく世界大戦へ突入することになるからです。
  ポーランドを中立化させる、というプランも論じられていますが、これは実現不可能です。私もかつては中欧諸国が連帯して中立の緩衝ベルトをつくる構想に魅力を感じていましたが、現実にはハンガリーもチェコもスロバキアもそれぞれの思惑で勝手に動くのでまとまらない。今世紀中にはこの構想はとてもじゃないが、実現しません。
  ロシアではなく、ドイツをはじめ西側諸国と組むというのも、政治的にも経済的にも難しい。ドイツは西ポーランド領(1945年以前はドイツ領)に対する野心を完全に諦めたわけではない。それに西側経済とポーランド経済は格差がありすぎる。西側の先端的なハイテク工業製品にポーランドの工業製品は太刀打ちできないし、我々が安い農産物を輸出したら、ただでさえ余剰農産物を抱えているEU諸国と深刻な摩擦をひき起こすでしょう。その点、ポーランドと旧ソ連諸国は、経済的に互いに補いあえる。経済の発展水準も似たようなレベルであり、それに何よりも我々ポーランド民族とロシア民族は同じスラブ民族です。歴史的に一つの文明を共有しているのですから、助けあうのはごくごく自然なことです」

「世界の単純化」に努める連中

  汎スラブ主義をブリチコフスキーが持ち出すのも、おそらくはジリノフスキーの影響であろう。今年の4月には、このブリチコフスキーをはじめ、スラブ民族諸国の同盟者たちをモスクワに集めて第一回スラブ民族会議を開催した。泥沼化する旧ユーゴをボスニア紛争に際しても、ジリノフスキーは汎スラブ主義を錦の御旗にして、同じスラブ民族であり、しかもロシア同様に東方正教圏に属するセルビアの支持を強く打ち出している。
  冷戦体制が崩壊後、旧ユーゴを筆頭に世界各地で勃発している地域紛争は、ほとんどが宗教や民族の違いを理由にしている。周辺の大国が紛争に介入する際にも、同じ言語、文化・宗教・民族など「文明」的要素を共有するサイドに肩入れする傾向が目立つ。あるいは、そう見える。
  ここで思い出されるのは、米国ハーバード大教授のサミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」論である。彼はイデオロギー対立の終わった後の世界は一つの価値でまとまることはなく、西欧文明・北米文明・東方正教文明・イスラム文明・儒教文明・日本文明・ヒンズー文明・アフリカ文明の八つのブロックに分かれて衝突と摩擦を繰り広げると論じた。発表のタイミングがちょうどボスニア紛争の激化しつつある時期で、セルビア(東方正教)、クロアチア(カトリック)、モスレム(イスラム教)の三者の角遂が「文明の衝突」の格好のモデルのように映ったこともあり、世界的な反響を呼んだ。
  だが、この論理をポーランドにあてはめたらどうなるか。民族としては確かに東方のスラブに属するが、宗教的には国民の大多数がカトリックであり、西欧により近い。東方か西方かいずれのブロックに属するかは、「文明」の一言では決定できないのだ。
  ブリチコフスキーがあっさりと「汎スラブ主義」の名の下に「東」を選択するのは、彼のビジネス上の利益がロシアに集中しているという個人的事情によるものとしか思えない。ドイツに投資しているポーランド人の極右がいたとしたら、彼はきっと「西方派」を名乗るだろう。「文明」単位で国際政治を論ずる粗雑さ、馬鹿馬鹿しさは、こんなところで馬脚をあらわす。
 「非常に複雑な社会関係のコンフリクトを、単純化して敵と味方に分ける。そういう便利な言葉をみんな欲しがってるんでしょう」
 「ヴィヴォルシャ」紙外報部長であり、ダビッド・ワルシャフスキーのペンネームで評論家としても活躍しているコンスタンチン・ゲーベルトは、笑いながら「文明の衝突」論のデマゴギーぶりを皮肉った。
 「そのくだらなさは、良いプロレタリアートと悪いブルジョワに二分するマルキシズムと何ら変わらない。それが正教とかムスリムにすり変わっただけです。各国で台頭する極右の連中は、マルキストにかわって世界の単純化に努力しているんでしょう」

「悪いユダヤ人」が調達される

  gゲーベルトは、もともとバルカン半島から地中海沿岸諸国の専門研究者であり、旧ユーゴ紛争が勃発してからは、たびたび紛争現地へ足を運んで取材を重ねている。彼の目に映るボスニア紛争とは、「文明の衝突」などとは無縁の、欲望むきだしの利害の衝突以外の何物でもない。
 「あの紛争は文明観の紛争でも宗教戦争でもない。ユーゴスラビアという、小さな小さな帝国の中で、影響力を拡大しよう。あるいは維持しようとする数人の政治家の確執がまずあり、さらにミニ帝国からおいしい汁を吸おうとする利権集団がこれに加わった。利権を持っていた古いノーメンクラツーラ(特権的共産党官僚)と、利権を奪おうとするニューリッチ(新興の成り金資本家)の利害対立、それが紛争の発端です。私が訪れたある村では、セルビア人とムスリム同士が今でも仲良く暮らしている。村人たちは自分たちが文明間紛争に参加しているなどとは露ほども考えていない。紛争現地の当事者が誰も考えていないことを、遠く離れたアメリカの学者が書斎の中で理屈をこねている。ありがたいというべきか、迷惑というべきか」
  ゲーベルトは笑いながら、しかし「理念」という名で語られるデマゴギーの危険性を指摘することを決して忘れない。ポーランド生まれのユダヤ人である彼は、それがいつでも反ユダヤ主義へ反転しうることを熟知している。
 「利害対立が戦争へと発展するとき、事後からそれを正当化する理屈が必要になる。そのために文明や民族や宗教が持ち出されるわけですが、反ユダヤ主義は中でもとびきり使いでがある。何しろユダヤを持ち出しさえすれば世界中の出来事をすべてユダヤの陰謀の仕業として説明できる。これは実に便利です。だから反ユダヤ主義というこの便利な考えのために、ユダヤ人が必要となる。近いうちにこの国にも反ユダヤ主義者が登場するでしょうが、しかしすぐ壁に突き当たるでしょう。なぜなら、陰謀をたくらむ悪いユダヤ人をどこからか探して調達してこなければならない。なにしろこの国にはもうほとんどユダヤ人は住んでいないんですから」
  苦いジョークだった。ポーランドには第二次大戦まで約400万人という世界最大のユダヤ人口を抱えていた。が、ナチスによってわずか3、4年のうちに300万人以上が殺されてしまった。残りのユダヤ人も外国へ亡命したり、移民して、今ではわずか4千人を数えるのみなのである。

▼ドイツ
踏み絵としてのナチス

  当局から非合法と認定され、地下に潜伏したネオナチ組織のリーダーに面会するのは、そう容易なことではない。党員数約300人を擁する「ドイチェ・ナツィオナリスト」のリーダー、ミヒャエル・ペトリーと会うまでにも、随分と骨が折れた。そもそもはまず、ジリノフスキーの盟友・ゲアハルト・フライ(DVO党首)に取材を申し込んだが、「プレスの取材は一切拒否」との回答。それならばフライをよく知るDVOの関係者に話を聞こうと、あれこれ人脈をたどるうちに、つきあたったのがこのペトリーだった。
  待ち合わせ場所のマインツ市内のホテルに現れたネオナチのリーダーは、一目でそれとわかるような、坊主頭(スキンヘッド)ではなかったものの、22歳とは思えない落ち着いた用心深い物腰と、低く太い声、凄みを漂わせた鋭い目つきを持ちあわせてはいた。それもそのはず、ネオナチの活動歴は9年間、キャリアは充分に積んでいる。
 「極右の活動に興味をもって、フライが率いるDVOにコンタクトをとったのは、13歳のとき。14歳で正式な党員となり、16歳で地区代表をまかされた。その後、『ナツィオナル・ザムルング』『自由労働党』を経て、92年末に非合法化されるまで『ドイツ・アルタナティーベ』に所属し、93年6月に現在の党を創設した。
  フライ本人との直接のコンタクトはないが、彼の息子とは今でもつきあいがあるので、息子経由で情報が入る。フライがほかの極右のリーダーと全く違うのは、彼自身が億万長者の実業家であること。他のリーダーはほとんどがスポンサーがいる。その点、フライは例外だ。スポンサーというのは、だいたいは元ナチス党員、あるいはナチ・シンパの実業家たちだ。彼らは表に出ずに極右に資金提供している。もちろん自分にもスポンサーがいる。
  DVOから離れる決意をしたのは、フライの姿勢が気にくわなかったから。彼は政治に本気で打ち込んでいるのではなく、カネ儲けの手段として政治を利用している。彼はよく売れる新聞を出し、出版社ももっている。一方では不動産も所有しているし、他の事業もやっているので、出版事業でもうける必要はないのだが、党員から党費を徴収した上に、出版物を買わせてしっかりと儲けている。
  それにも拘らず、党としてのDVOは慢性の赤字に悩まされている。おそらく100万マルク単位の借金を抱えているはずだ。フライが身銭を切らず、党に貸しつけているからだ。彼はケチな俗物で、しかもやり方が汚い。有能な人間が頭角をあらわしてくると必ずつぶす。89年にフライは、ラインラント・ファルツ州にDVOの支部を設立しろと、ある党員に対して命令した。大金持ちなのにフライは1マルクも出さない。仕方なくその党員は自分の懐から5万マルクの資金を出して、支部を結成した。その功績に対して、フライは党からの追放で報いた。そういう奴だよ、フライは。ジリノフスキーと組んだのも、選挙のための売名だろう。ちなみに我々はジリノフスキーを評価していない。ロシアの政治家で評価できるのはバルカショフだ。我々は彼とコンタクトをとり続けている」

「ドイツはふつうの国家であれ」

  ロシアの「クレージーなピエロ」と組んだドイツのファシストは、実は「ケチな俗物」にすぎなかった−−相変わらず、ジリノフスキーに絡む話は、B級コメディの味がする。
  だが、俗物を侮るわけにはいかないだろう。イタリアの俗物、ベルルスコーニの勝利を見ても明らかな通り、この時代に勝利するのは「英雄の崇高」などではなく「俗物の凡庸」なのだ。私の目の前にいるペトリーもまた、そういう時代の子供だった。BMWのオープンカーを乗り回し、パソコン通信でネオナチ情報を流し、ガールフレンドに自分の党の女子部を組織させている彼に、世間に復讐を企てなければならないくらい怨念や、劇的な悲劇の影は見出せない。ネオナチを単純な「社会病理現象」とみて、簡単に「矯正可能」と楽観している人々は、「普通」の中産階級の家庭に育った若者がネオナチとなる理由を見つけられず、困惑することだろう。
 「両親はCDU(キリスト教民主同盟)の党員で、どちらかといえば保守派だが、それでも自分がネオナチに関わることには、最初は大反対だった。今でも反対してはいる。しかし政治的な考え方は違うにしても、親子の関係はとてもいい。そういう意味ではうちはごく普通の家庭だ。経済的な面では、多分、普通以上に恵まれているだろう。父親は公務員で、家を何軒かもち、人に貸してもいる。
  ネオナチになる若者は皆、社会性の欠落した哀れなはみ出し者で、貧困や家庭の不和が原因だという見方がある。だが、それはマスメディアやエセ知識人が作り出した偏見に過ぎない。ネオナチの中には家が貧乏だとか、両親が不仲だとか、そういう連中もいることはいるが、それだけじゃない。自分は友人関係も常にうまくやってきたし、学校で問題を起こしたこともない。社会とは常にうまくやってきた。問題は、社会に適応できることと、国家に従うことは別ということだ。国家は随分多くの間違いを犯している。この国の公安は、旧東独の秘密警察シュタージとたいして変わりはない。反体制的だとみると人権無視にやり方で弾圧する。自分も警察に手荒く扱われた経験がある。そういう現実を、一般の国民はほとんど知らされていない。
  愛国者がなぜ弾圧されるのか。この国が見せかけとは違って、本当は独立した民主主義国家などではないからだ。この国は外国から監視されている半国家にすぎない。我々の主張していることは、この国が独立した、普通の国家になることだ。ドイツ人のためのドイツであること、本来ドイツのものである領土を返してもらうこと、どれも当たり前の主張だろう。日本だったら、我々は間違いなく与党になっているだろう。日本は北方領土の返還を要求し続けているが、だったらドイツがケーニヒスベルク(現カリーニングラード)の返還をロシアに要求してもおかしくはない。それなのに、コール政権は自らこの要求を放棄すると発表した。ドイツはロシアに多額の援助を与えているというのにだ。
  外国人問題だって、おかしなことを主張しているわけじゃない。自分たちは、拝外主義者とか、外国人憎悪に燃える人種差別主義者といわれるが、外国人の家が放火され、女や子供が焼け死ぬのを見れば、気分がいいわけではない。そういう暴力は、一部のバカが暴走してやったことだ。我々が問題にしているのは、偽装難民や、この国で犯罪を犯す不良外国人のことだ。そういう連中に帰国してもらうのは、普通の国なら当たり前だろう。日本だってフランスだって同じはずだ。どうしてドイツだと問題にされるのか」

「保守」と「極右」の線引き

  ドイツは「普通の国家であるべきだ」と主張するネオナチと、「普通の国家」をビジョンとして掲げる日本の保守政治家をただちに同列に並べられるとは、私も思わない。ここで問われなくてはならないことは、ドイツにとっても日本にとっても、冷戦体制が崩壊し、左翼が解体した後の、いわば「総保守」の時代に、「健全な保守」と「危険な極右」とを分断する基準線をどこで引いたらよいのか、という問題である。そのボーダーが曖昧に揺れ動いている日本に比べると、ドイツでは「保守」と「極右」との間に明確な線引きがなされているかにみえる。踏み絵となるのは、ナチスとアウシュヴィッツだ。その評価が、両者を決定的に分ける。
  アウシュヴィッツのホロコースト(大虐殺)は、人類史上最悪の蛮行である。ドイツの戦後保守はその事実を一応認めながらも、「自虐的な懺悔をいつまで続けたらいいのか。戦後生まれのドイツ人には責任はないだろう。ユダヤ人は人を許すということを知らないのか」と、小声で不平をもらす。だが、現代のネオナチは傲然とこう主張する。「アウシュヴィッツそのものが虚構である」と。
 「天職(ペルーフ)・ネオナチ」(ヴィンフリード・ボネンゲル監督)というドキュメンタリー映画の封切りをめぐって、ドイツ中が騒然となったのは、去年末から今年はじめにかけてのことだった。若いネオナチのリーダーの活動を追ったこの作品は、ヘッセン州からの補助金を受けて制作されたが、映画の完成後に激しい非難がわき上がり、当のヘッセン州では上映禁止になってしまった。他の州でも上映に関しては、ディスカッションつきの場合のみ許可されるなど、様々な制約が課せられた。
  もっとも物議を醸したのは、「主人公」のネオナチのリーダー、エーヴァルト・アルトハンスが、ポーランドの旧アウシュヴィッツ収容所跡(現・ポーランド国立オシフィエンチム博物館)に出かけて挑発を行うシーンである。彼はガス室に足を踏み入れるや、他の大勢の見学者に聞こえるように、こう怒鳴る。
 「ここがガス室だったなんて嘘っぱちだ!  ここはただの浴室だった!  ホロコーストなんてなかった!  全てでっち上げの作り話だ!」
  このアルトハンスほどの不作法な挑発は口にしないが、ペトリーもまた同様に「アウシュヴィッツの嘘」について語る。
 「そもそもホロコーストがあったかどうかは疑問だ。我々だけがそう主張しているのではない。英国の歴史家のデーヴィッド・アーヴィングも、ホロコーストはなかったと言っているし、死刑執行用具制作のエキスパートである米国のフレッド・ロイヒターというエンジニアは、世界で唯一人、技術的な調査をアウシュヴィッツで行い、ガス室の設備が大量虐殺のためのものではなかったことを証明している。何より問題なのは、こういう議論がオープンにできないことだ。アウシュヴィッツについて発言しただけで刑法違反に問われ、裁判にかけられる。これが民主主義国家だろうか」

あるネオナチへの無罪判決

  ペトリーの論理に従えば、「南京大虐殺はなかった」と発言して、大臣を辞任するだけですんだ水野前法相のケースなどは、皮肉にも、日本が「民主国家」であることの証明、ということになるのだろう。
  ちょうど私が滞在中だった3月から4月にかけては、ドイツではアウシュヴィッツ問題が再燃していた時期だった。私がベルリンに着いた日の前日、3月15日に、「ホロコーストの嘘」を宣伝した罪に問われていた極右政党NPD(ドイツ国家民主党)の党首、ギュンター・デッカートに対し、最高裁は一審の有罪判決を破棄する判決を下したのである。
  91年秋に、デッカートは自分の党が主催した講演会に前出の自称エンジニアのフレッド・ロイヒターを招き、「ホロコーストは嘘」と語らせたとして訴追され、92年11月にマンハイム州裁判所で一年の実刑判決を受けた。判決を不服としたデッカートが控訴し、今回の無罪判決に至ったのである。最高裁によると、一審判決の破棄の理由は、「デッカートがナチの人種イデオロギーを信奉しているかどうかが定かではなく、従って『アウシュヴィッツの嘘』を口にしただけでは公衆扇動罪には相当しない」というものだった。この判決理由のばかばかしさに、ドイツの世論は騒然となった。
  デッカートがネオナチの指導者であることは公然たる事実である。にも拘わらず、彼が「ナチの人種イデオロギーの信奉者かどうか分からない」と裁判所がのたまうならば、公衆扇動罪という法規定は、少なくとも極右の宣伝に関しては有名無実化してしまい、今後、ネオナチは、どんなプロパガンダでも可能となる。世論の高揚の底に流れていたのは、そういう危機感だった。
  その後、背中を世論に押されて議会が動き、5月20日には法改正が行われ、ナチスの犯罪について、史的事実を歪める公衆宣伝を行った場合、ただちに訴追できるようになった。
  先述した通り、これは曖昧になりかけた「保守(合法)」と「極右(非合法)」とを分ける基準線を再び引き直し、再確立することを狙いとしている。だが、厄介なことがないではない。「南京大虐殺」については、その虐殺規模をめぐっていまも論争が続いているが、それと同様に、アウシュヴィッツでのユダヤ人虐殺の規模も従来の400万〜450万人という「定説」が揺らぎ、最近になって大きく下方修正されたのである。

「犠牲者総数600万人」も疑問

  その事実を私が知ったのは、ポーランドのアウシュヴィッツ収容所跡地まで足を伸ばしたときのことである。今も昔日のままに残された犠牲者の毛髪の山や、衣服・靴・カバンといった遺品に胸を衝かれながら、日本語版のパンフレットを読むうち、こんな記述に突き当たった。
 「1942年からこの収容所は、ヨーロッパにおけるユダヤ人のもっとも大きな絶滅センターになった。死を宣告されたユダヤ人のほとんどはここに到着してすぐガス室に送られ、ファイルに登録されていった。そのために、現在収容所で殺された人間の数をつき止めることは困難である。しかし、収容所問題を長年研究し続けてきた歴史学者の発表によると、存在している不完全である資料の研究からアウシュヴィッツ収容所では約150万人が殺害されたということがわかった」
  これは看過できない重大な問題である。アウシュヴィッツでの犠牲者数の推定が、従来の定説の約3分の1にまで縮減されたなら、約600万人とされてきたナチスによるユダヤ人の犠牲者総数にも影響を与えないはずはない。世界中でロングラン上映中の「シンドラーのリスト」のエンディングには、「この映画を犠牲となった約600万人のユダヤ人に捧げる」という献辞が映し出されるが、この数字は果たしてそのままでいいのか、動揺を覚えずにはいられない。
  帰国後、日本語版パンフの版元であるグリーンピース出版会に、この数字の修正の経緯について問い合わせた。
 「ソ連のグラスノスチ政策以降、新しいデータが出てきたのです」と、同出版会の代表の青木進々氏は語る。
 「御存じのように、アウシュヴィッツを解放したのはソ連赤軍でした。彼らは収容所のデータをごっそり持ち帰り、近年まで独占して公開しなかったのです。450万人というアウシュヴィッツの犠牲者数は、戦後にソ連が一方的に発表したもので、世界中で長い間その数字が信じられてきた。ところが、ソ連が鉄のカーテンを開き、情報公開されるとその数字が全く違ったものであることが判明したわけです。犠牲者総数の600万人という数は、公式にはまだ訂正されていませんが、将来その可能性がないとは言いきれません」

必要なのは事実の究明だ

  ソ連は自らを「ファシズムからの解放者」と印象づけるために、アウシュヴィッツを最大限に利用し続けてきた。そのプロパガンダの過程で犠牲者の数字が誇大に歪められてしまったのだ。約150万人という修正された数字は、アウシュヴィッツ研究では世界の最高権威であるエルサレムのヤドヴァシェム・ホロコースト研究所が正式に発表し、国立オシフィエンチム博物館も認めている。幻の450万人という数字は、冷戦が生み出した歴史的産物ということになるだろう。
  むろんのこと、犠牲者が従来の定説の三分の一だったとわかったところで、ナチスの犯した罪の重さが軽減されたことには少しもならない。150万人という数は、途方もない数字である。むしろ事実関係がクリアになれば、それだけ確信を持った断罪が可能にもなる。日本の「南京大虐殺」論争を振り返ってみれば、それは明らかだろう。
  南京大虐殺の場合、基礎となる事実の調査が不徹底なため、虐殺の規模がいつまでたっても確定できず、「論争」の余地を生み出す。必要なことはまず、事実を徹底的に究明する調査の実行である。事実究明を曖昧にして多様な解釈の余地をこのまま残存させたなら、無惨な過去を清算し、克服することは永遠に不可能となる。
  歴史をないがしろにする者は、必ずや歴史に復讐される。極右が荒れる今日のヨーロッパが、明日の日本の姿ではないとは誰にも断言できない。

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