「Number」202 5 Sep. 1988.
過去、韓国が獲ったメダルの数を見るとレスリング、柔道、ボクシングなど格闘技系が圧倒的に多い。そして今度のオリンピックではこれに”国技”テコンドーが加わるだろう。なぜ、韓国スポーツは格闘技系に優れているのか? その疑問を解くべく海峡を渡った
驚異的な経済成長をとげ、”ナショナルオリンピック”としてソウル五輪を目前にしてなお、その速度をいささかも緩めることのない隣邦を、わたしたちはたびたび「躍進する韓国」または「飛躍する韓国」と表現してきた。しかし「躍進」ないし「飛躍」といった形容には、彼の国のはらむ高い緊張感と強度がどうにも欠落しているきらいがある。
韓国は格闘している。
激しく格闘している国である。
いささか過激に響いても、そうした修辞こそ「日帝36年」の支配と、「朝鮮戦争」によって徹底的な国土の荒廃にみまわれ、その辛酸の中から再興してきた国にふさわしいのではないかと思う。
他方、「格闘する国家」韓国は、また同時に格闘競技の大国でもある。4年前のロス五輪で韓国は6個の金メダルを獲得したが、そのうちわけは柔道2,レスリング2、ボクシング1、女子アーチェリー1.銀・銅を含めた獲得メダル総数は19個だが、そのうち女子バスケットボールと女子ハンドボールの銀メダル2個をのぞけば、ほとんど格闘技種目である。数あるスポーツの中で、韓国の場合、なぜ格闘技ばかりがこれほど突出するのか。
ことによると、優れた格闘競技者達を育んだ韓国社会の土壌を掘り起こし、彼らを支える地下の根茎をたぐってゆけば、「格闘する韓国」の力道の鉱脈が見えてくるかもしれない。そんなささやかな動機にもとづいて、ソウルへの旅は始められた。
グローバルに普及したテコンドー
テコンドーという響きに、多くの日本人の反応は鈍い。冷笑ですらある。しかし韓国の国技であり、公開種目として採用が決まったこの武道スポーツは、ソウル五輪においてきわめて重要な象徴的地位を与えられている。
9月17日、世界中のブラウン管は、開会式におけるテコンドーの一大デモンストレーションの映像を映し出すはずである。その時、日本人を含む世界中の人々が、見事な試し割り演武に驚くと同時に、いかに韓国人がこの武道スポーツを誇りとしているかを知るだろう。
その理由は他でもない、およそ韓国人が生みだした文化の中で、これほどグローバルに普及した文化はないからである。大仰にいえば李朝の青磁よりも、現代(ヒュンデ)自動車のポニーよりも、ひょっとするとキムチやカルビよりも世界中に遠く広く拡散し、浸透している。例えば各闘技人口の多いアメリカでは、全米の武道道場の7割はすでにテコンドーで占められており、そのパーセンテージは今なお上昇しているという。
テコンドーが誕生したのは李政権下の1950年代。当時の陸軍少将・チェホンヒが中心となり、テッキョンなどの韓国古来の伝統武術を近大武道として体系化したのがはじまりといわれている。チェ氏はいわば柔術を近代化して柔道を創始した加納治五郎に相当する人物らしいのだが、その後彼が北朝鮮に亡命したため、テコンドーにも”南北分断”が持ち込まれることになった。現在、テコンドーの国際組織は韓国系のWTF(世界テコンドー連盟)と、北朝鮮系のITF(国際テコンドー連盟)の二つが存在し、WTFは世界112カ国に2200万人、ITFは世界80カ国に1500万人の競技人口を抱えている。その普及速度のめざましさは、類似競技である日本の空手と比較してみるとわかりやすいだろう。諸外国への普及開始が早かった空手は、’70年には統一組織による世界選手権の開催を達成していた。これに対してテコンドーの世界大会は’73年(WTF主催)。この時点では、五輪参加を最終目標とする普及レースにおいて空手が半歩リードしていた。しかしその後逆転、WTFは’82年にIOCに加盟、’86年のアジア大会で正式種目として採用され、ソウル五輪の公開種目となるまでに至った。方や空手はIOCの加盟が’86年、五輪どころかアジア大会の種目にすらまだ採用されていない。世界全体の競技人口でも、テコンドーに大きく水をあけられている。
なぜ、テコンドーはこれほど急速な普及を達成することができたのか、私は長らくその疑問を抱えていた。どこの国のどこの民族にも、国有の武術は存在するものである。しかし韓国人がぬきんでてその伝統武術の近代化--あえていえば「商品化」--に成功し、世界的普及を達成したのだとすれば、それはやはり民族的才能とでも称すべきものではないか。その才能は、世界にメイド・イン・コリア商品を送り出し始めているコリアン・パワーと、どこかで響きあうはずである。その才能の形をみきわめるためにも、私は韓国人が連綿と伝えてきた伝統武術を知り、それを近代的に加工したプロセスを知りたいと考えた。
ソウルに到着早々、私はまずWTFの本部がある国技院(クツキウオン)をたずねた。
「テコンドーが普及したのは、何よりもまず安全性の確立した近代的な競技スポーツだからです。加えて足技がバラエティに富んでいて、ダイナミックなこと、これも人気の理由でしょう」(WTF事務総長・金鳳植<キムポンシク>氏)
テコンドーはヘッドギアーとプロテクターをつけ、直接打撃制でポイントを競いあう。ボディへの突きは許されているが、試合ではほとんどポイントにならず、勝敗はもっぱら足技で決定される。また、蹴りは腰から下のいわゆるローキックが禁じられているため、必然的に高い蹴りが多くなり、金氏の言葉通り、加齢で豪快な蹴り技のラリーが展開され、観る者の目を楽しませてくれる。伝統武術を、競技者も観客もともに楽しめるエンタテイメント・スポーツに変容させることで、テコンドーは多くの人々の心をつかんだ--。
「それだけではない、もうひとつ理由があります」と金氏が言う。
「それは戦争です」
意表をつく言葉に、私は面くらう。
「テコンドーはそもそも、白兵戦の徒手格闘技として韓国軍に普及し、その後朝鮮戦争の際に我々とともに戦った米軍に広まったんです」
「それから’60年代のベトナム戦争。韓国はベトナムへ軍隊を派遣すると同時にテコンドーの教官も派遣し、南ベトナム軍と、アメリカなど各国駐在部隊の一部にも教えたのです」
元軍人の金氏自身、当時300人の教官団の団長としてベトナムへ派遣され、現地でテコンドー指導にあたったという。
「その後戦争が終わったあと、多くの韓国人教官が除隊して、国へ帰らずに世界各地へ移民していったのです。ベトナムでテコンドーを習った各国の軍人も、それぞれの国で指導者となって普及につとめています」
戦争が破壊と同時に、文物の交通をもたらすことは、歴史が教えるところだ。得心すると同時に私は自信の生きている世界が、生クリームのように甘い大衆消費社会であることを思い知らされた。
「だから、ベトナムの人の中にはテコンドーの達人が多いですよ。共産化したので彼らはWTFに加盟できませんが。立派なテコンドー人が多いです。いつか近い将来、彼らが参加できる日がくることを望んでいます」
他日、ソウル市内のI洞(ミドン)国民学校に足を運んだ。ここは公立の小学校だが、課外授業でのテコンドー教育にことのほか熱心で、クラブに所属する10歳から12歳までの子どもたちは、ソウル五輪開会式で、演武を披露することが決定している。許Q校長は言う。
「テコンドーは子供の教育にとてもいい。心身の鍛練を通じて国家への忠誠心を養えます」
本番に向けての、子どもたちの練習ぶりをのぞく。テコンドー7弾で国債師範の資格をもつイーキョンヒ氏の指示に従い、子供たちが次々と試し割りに挑む。ヘジョンアップトリオチャギ(回転飛びまわし蹴り)で、頭の上のコップを蹴り落とし、ティオモンドリオチャギ(飛びうしろまわし蹴り)で板を割る。その見事な技のひとつひとつに目を丸くしたが、しかし一番驚かされたのは、実は取材の前にイー師範が子供たちを集めてこう話したときだった。
「今日はこれから日本の雑誌の取材がある。テコンドーを通じて韓国を知ってもらういい機会であり、国家に貢献することになるのだから、一生懸命やるように」
100人以上の子供たちが、一人としてよそ見をせず、その言葉に耳を傾ける。
国家、国家、国家……。
あどけないこの子供たちの一挙手一投足にまで、「国家」が関わってくる。子供たちもそれをごく自然に受け入れている。ここでは国家は皮膚の一部と化した現実なのだ。その皮一枚めくれば、「戦争」の二文字が見えてくる。韓国の人々の肉体に否応なくしみこんだ「国家」を理解することなしに、彼らのオリンピックも、彼らの文化も、何ひとつ本当のところは理解することはできないのではないか。私は、彼らと私たちの住む世界がいかに遠く隔たっているかを思い、「隣国」という幻想を破り棄てた。
柔道を席巻する韓国パワー
多くの日本人にとって、最も気がかりなことのひとつは、今や柔道宗主国日本の最大のライバルとなった韓国柔道の実力のほどだ。ロス五輪での二つの金メダルに続き、’86年のアジア大会では6階級を制覇、ソウルの青畳でも韓国パワーが席巻することは間違いないと予想されている。
韓国の柔道を語るとき、決して避けて通れないのが大寒柔道大学の存在である。1953年に李済晃(イリュンファン)氏によって設立されたこの私大は、過去に幾多の名選手、指導者を輩出してきた。柔道学科以外にもテコンドー学科、格技学科(レスリング、ボクシング、剣道他)など計7学科があり、さながら”虎の穴”のごとき趣をなす。
その柔道大学の、496畳敷きの大道場では、泰陵(テヌン)の選手村から代表選手団がやってきて柔道大の学生と乱取りに汗を流している。その模様を眺めながら、柔道学科の南鍾施(ナムジョンスン)教授の話に耳を傾けた。
「韓国の柔道熱は年々高まっています。ロス以後は、メダルが獲れる種目になりましたから。メダルを獲ればおカネになりますからね」
かつて山下泰裕は、「幼い頃からオリンピックで日の丸を見るのが夢でした」と語り、ロスでその夢を達成して目を潤ませた。しかし韓国の選手が太極旗を仰ぎ見るということは、そのような「優雅で感傷的な」夢の達成ばかりを意味しているわけではない。生ぐさい話であるが、メダル獲得には、少なからぬ報酬が伴うのである。大韓体育振興基金から、まず一時奨励金が支給される。五輪金メダルなら2700万ウォン(約500万円)、銀なら1500万ウォン、銅は800万ウォン。さらに競技力向上年金が、死ぬまで(!)毎年与えられる。これは金メダルが月額60万ウォン、銀30万ウォン、銅20万ウォン。また世界選手権の金は30万ウォン、アジア大会の金は20万ウォンと評価され、各大会で獲得した成績は単純加算されて、上限月額100万ウォンまで支給されることになっている。柔道に限らず韓国の選手にとって、国際大会の成績は、即そのまま「生活」に直結しているのだ。
「五輪代表選手の得点は他にもあります。韓国の男子は全員、3年間の兵役が義務づけられているのですが、五輪で3位以内に入賞すると、兵役が免除になるのです。それ以下の成績ですと、入隊をのばすことはできますが、免除にはならない。国内優勝もダメです」
柔道学科は1学年200人、4学年合計すると800人だが、全員そろったためしがない。常時150人は入れ替わりで入隊しているからだ。韓国選手と一緒に稽古中だったロス五輪86kg級金メダリストのザイゼンバッハ(オーストリア)は、
「韓国人の強さは、ファイティングスピリッツだ。それにつきる」
と語った。だがそのファイティングスピリッツは、湧水のように自然とあふれでてくるものではない。韓国人のおかれている環境の厳しさと、勝利したときに手にする様々なアドバンテージとの落差の大きさが、それを生み出すのだ。
「大会でいい成績をとらないと落ちこぼれるという危機感を強くもってます。就職先もなくなるし、生活も苦しくなる」
95kg級上級代表の趙容徹(チョーヨンチョル)選手は、正直にそう語り、そしてこうもつけ加えた。
「でも自分のためばかりではない。年金が欲しいのは、親孝行のためです。親を楽にさせてあげたいから頑張っているのです」
韓国はまた、儒教的価値観が根強く残る社会でもある。親孝行は最大の倫理であり、ときにそれは所属組織への忠誠や個人的欲望を上回る。「親不孝」は「乳離れ」の言いかえだと思っているおおかたの日本人にとって、韓国人の親子の情の質量は想像の域をはるかに凌駕している。
「韓国人の気質には抽象的な記録競技よりも、闘う相手のはっきりしている対人競技のほうが向いていると思うんです。目の前に闘う相手がいて、はじめて闘志が湧いてくるようなところがある。『アッパリ』精神とでもいうのか−−」
60kg級以下代表の金載Y(キムチエヨツ)選手が口にした「アッパリ」とは、俗語で「負けじ魂」というほどの意味らしい。たとえば力の弱い者が圧倒的に強い者とケンカしたとき、どんなにやられても「参った」と言わずに立ち向かっていく姿をさして、「奴はアッパリだ」と称するという。「強者」を「大国」、「弱者」を「韓国」とおきかえてみれば、誰にでもよくわかる。民族の魂というものは、歴史が形成するものなのだ。そしてそこに力を貸したのは、他ならぬ「大国」日本なのだ。
日本の影響が大きいレスリング
柔道と並んでレスリングも、日韓の対決が火花を散らす種目である。ロス五輪で6位の成績に終わったフリースタイル74kg級代表の韓明愚(ハンミヨンウ)選手は、ソウルでは一階級上の82kg級に出場する予定である。彼は現在32歳。選手村最年長の「ヌシ」であり、このオリンピックが最後の戦いとなる。夫人と2人の息子を抱えて、木洞(モクトン)の1フロア33坪もある高級アパートに入居しているが、家へ帰れるのは週末だけ。家族と過ごすその貴重な時間を割いて、インタビューに応じてくれた。
「韓国のレスリングスタイルは、日本の影響が非常に大きいですね。日本はレスリング大国で、韓国は全く勝てなかった。何とか勝ちたいと監督以下全員で日本選手の強さ・弱さを徹底的に分析しました。それが現在の韓国レスリングの基礎になっています」
子供のときはテコンドーを習っていた韓明愚は、高校1年のときにレスリング協会主催の新人発掘のための体力テストを受け、ソウル地区の1位になり、スカウトされる形でレスリングをはじめた。彼のようなケースは、決して珍しくはない。一般のスポーツ人口は意外にも少なく、選ばれた一握りのエリートが、生活を賭けて競い合い、その勝者が国家を背負って戦うのである。
「韓国レスリングの特色をあげるとしたら、何よりもアグレッシブなことです。韓国人レスラーの10人中9人は、攻撃型で闘争心にあふれています。アメリカ人あたりはおおらかというか、試合に負けても笑ってたりするのがいるけど、韓国人はそうじゃない。自分などは小さい頃からとにかく負けるのが嫌だった。試合に負けると、あまりの悔しさで食べ物を吐いてしまうんです。それほど嫌なんです、負けるのは」
消化されることなく、心に降り積もってゆく情念を、韓国人は「恨(ハン)」とよぶ。とすれば、敗北のあとに韓明愚を襲う嘔吐は、「恨」の全身での表現なのだろうか。いかにも凄まじい。
「闘争心が養われるのは、環境のせいもあります。選手村では『勝ってこそ男ぞ!』というのが徹底してますね。レスリングに限らず、韓国の代表選手は、大きな大会前に空挺部隊に入って軍事訓練を受けるんです。落下傘降下や、暗い穴にもぐって蛇をつかまえたりとか、そういう訓練を受けて精神力を強化するんです。女性もです」
住宅公社に所属している韓明愚は、年金以外にも月給を支給されており、暮らしぶりには比較的余裕があるようだ。大会で好成績をあげることは、会社のためになる。会社だけでなく、家族や国家のためにも勝たねばならないと思う、と言う。
「ですが不思議なんですね。この試合に勝てば車が買えるとか、新しいアパートに移れるというような欲が頭をもたげたりすると、必ず負けるんです。無心でやらないと勝てない。どうしたら無心でいられるのか、よく仏門の尼さんの訓話を聞いたり、陶磁器や絵画などに親しむようにしているんです。そのためか、最近では結果にとらわれることなく、ベストをつくそうという気持ちになってきました」
仏教徒の母は、毎日漢江(ハンガン)のほとりで韓明愚の勝利をひたすら祈っているという。韓国の人びとの信仰は、まっすぐ、垂直に天に向かう。その祈りは激しく、信心の薄い異邦人はただただ圧倒されてしまう。
ロス五輪柔道71kg級金メダルのスーパースター安柄根(アンピョングン)の、高校時代の恩師は、
「安柄根は精神力が強い。これも信仰の力のたまものです」
と語っていた。安はクリスチャンである。彼は試合に挑む直前、必ず神に祈りを捧げる。人びとの期待や、敗れたときに失うものの大きさや、自身に対する不安やらが重圧となって肩にかかり、おそらくは祈らずにいられないのだ。安も例外ではない。韓国選手の多くが信仰を持ち、祈る。
だが、それにしても−−。私たちはいつから彼らのようにまっすぐ祈ることを忘れてしまったのだろうか。
国民に根づいたシルム人気
安柄根と並び、ロス五輪の柔道95kg級で金メダルに輝いたもうひとりのスーパースター、河亨柱(ハヒョンジュ)選手は、柔道をはじめるまではシルムの世界で将来を嘱望された逸材だった。シルムの経験者は、河亨柱のみならず、韓国の柔道選手、レスリング選手には数多い。
シルムとは、いわゆる「韓国相撲」である。もともとは村相撲のような形で、韓国の人びとに愛されてきたが、現在はアマだけでなくプロが確立しており、各チームにはそれぞれ大企業がスポンサーとしてついてバックアップしている。そのうちのひとつ、現代(ヒュンデ)財閥のチームを取材するため、空路、慶尚南道の蔚山(ウルサン)へと向かった。
蔚山は、韓国最大の財閥・現代の企業城下町である。ここには自動車、造船など現代の主な工場が集中している。シルムチームの合宿所は、その広大な工場の敷地内にあった。
「シルムの人気が高いのは、韓国人の気質にぴったりあうからだろうね」
黄慶守(ファンキヨンスー)監督が語る。
「たとえば日本の相撲は非常に儀礼的でしょう。ああいうところが日本人に好まれるのだと思う。それに対して韓国人はせっかちで早く勝負がつく競技が好き。ボクシングでも早い回のKOを好むし。その点シルムは、勝負が早いから韓国人に好まれるんだよ。まあ、エキサイティングな格闘技を好む国民性であることは確か」
プロのシルムの人気は、予備知識の足りない外国人が想像していたよりはるかに高いようだ。年に2回、3月と10月に「天下壮士」とよばれる無差別級総合王者の決定戦が開かれるが、このときは会場は超満員、テレビの視聴率もプロ野球並みか、それを上回る。
「プロ野球が中年以下の男性を中心とした人気なのにくらべ、シルムは老若男女問わず、あらゆる世代の人が楽しめる。韓国はずっと貧しかった。道具も場所もいらず、サッパ(腰に巻く紐)一本あればどこででもできるシルムは、もっとも身近な運動だった。経済的に豊かになって、野球やサッカーなどの西洋スポーツが入ってきても、シルムの人気が衰えないのは、国民に根づいているからだろうね。韓国の少年ならば、誰でもシルムをやる。韓国の柔道やレスリングが強いのは、シルムが基礎にあるからだよ」
シルムの愛好者は階級を問わない。現代財閥の名誉会長ジョンジュヨンも、シルムをこよなく愛する人物のひとりである。会長自身71歳のときに脇腹をケガするまでずっととり続け、社員にもシルムを奨励している。
午後からの練習を見せてもらうことにした。相撲取りというよりはレスラーを思わせる、引きしまった筋肉質の選手たちが、ジョギングパンツに上半身裸で、腰と右太腿にサッパを巻きつけてあらわれる。稽古場は、屋根のついた砂場である。この砂場に膝をついて、互いのサッパを握って組み合う。この状態から立ち上がり、審判の合図を待って、相手をねじり伏せにかかる。体の膝より上が砂にまみれたら負けである。つまり、押し出しがなくて、がっぷり四つの状態から始まる相撲だと思えばよい。ルールは単純だが、相撲同様、攻防の技術、駆け引きはかなり複雑のようだ。
李萬基(イマンギ)選手が、相手を吊り上げておいて自分の右斜めうしろへ投げる得意技、トゥルペチギをみせる。李萬基は、天下壮士の座につくこと8回。現代(ヒュンデ)のエースにして国民的英雄である。昨年の年収は、CM出演料も加わり、2億ウォンを超えたという。
「2億ウォンは何に使ったかなぁ、小づかいにしちゃったかな」
ととぼけてみせるあたり、ルックスもそうだが元横綱双羽黒(北尾光司)によく似ている。練習後、彼の愛車のクレンジャー24にのせてもらい、現代の工場内をひと回り案内してもらった。同車は現代の誇る最高級車である。そのやわらかいシートに身をまかせると、韓国の自動車生産技術のレベルが、どれほど日本車に急迫しているかよくわかる。2年前、カナダにおける販売台数で日本車を抜き、大騒ぎとなったポニーは、もはや完全に過去のクルマである。
「韓国一の企業のチームに属しているというのは、やはり誇りに思いますね」
工場に隣接した丘の上にある役員専用ゴルフ場で、現代の活気あふれる工場群をバックにして立った李萬基は、カメラマンのポーズ注文にこたえながらそう言った。最先端のテクノロジーと、古代からの伝統格闘技の天下壮士という構図は、不思議とよく似合っていた。
最も誇りにした武術「国弓」
白い靄のたちこめる早朝。岩山の仁旺山(インフンサン)に立つと、ここがソウルの市街地であることをあやうく忘れそうになる。コンムーソツ氏が、腰ひもにたばさんだ矢を弓につがえる。きりきりと引きしぼった弦から指を離すと、矢は放物線を描いて、はるか彼方の的に突き刺さる。
「弓の韓国、剣の日本、槍の中国」という言葉がある。古来より、韓国が最も誇りとした武術は国弓(クツクン)と呼ばれる弓道だった。「雨がふっても走らない」両班(ヤンパン)が、唯一打ちこんだ武術でもある。全国に散在する国弓の射亭(弓の稽古場)の総本山「黄鶴亭(コンフアツオン)」を訪れたのは、師範の権氏にその国弓について話をうかがうためだった。
「弓をひく人をハーリャンといいます。これは今は『遊び人』というニュアンスを含んでいて、あまりいい印象を与えません。しかし昔は、精神修養を積んだ両班のことを指していたのです。ところが日本に併合されてから以後、おかしくなりました。日本軍は、いいなりにならない彼らを、酒を飲ませるなどの懐柔工作に出たのです。やがてハーリャンたちも、半ば自ら抵抗を放棄して堕落していきました。そのため解放後もしばらくは評判がよくなかったのですが、’75年あたりから、再び国弓が見直され、活性化してきました」
一時は壊滅状態だった国弓は現在ではもち直し、各地の射亭に登録している会員が全国で1万人、未登録愛好者が約5000人。全国レベルの大会は、年間に10試合を数えるようになり、その各大会の勝者による名弓大会も行われるようになった。
「経済水準も上がり、ひた走ってきた韓国人も、ようやく民族文化のアイデンティティーをふり返る余裕がでてきたのでしょう」
私は国弓の伝統と、アーチェリーにおける韓国選手のレベルの高さについて、何らかの関係があるかどうか尋ねた。「あります」と権氏はこたえ、女子アーチェリーの第一人者・金珍浩(キムジンノ)選手の名前をあげた。彼女はロス五輪こそ銅メダルに終わったが、アジア大会では金メダルに輝き、現在、韓国のスポーツマンの中でただひとり、年金の上限100万ウォンを支給されている。
「彼女は慶尚北道禮泉(キョンサンポクドイエチヨン)出身なんです。そこは国弓の本場、ふるさとともいうべき土地で、昔から弓が盛んだったのです。彼女の出た禮泉高校は小さな田舎の高校なんですが、そこの校長先生が、弓の伝統の継承のためにとアーチェリーのクラブをつくり、選手育成に力を入れたのです。金選手自身は国弓の経験はないと思いますが、彼女を育てたコーチは国弓の名手でした。アーチェリーの指導者の中には、国弓の経験者が多いのです」
国弓の特徴は、何よりも145mというその射程距離の長さにある。この距離は世界中のあらゆる弓競技の中で最も長い。それを可能にしているのは、長さ1m20cmと小ぶりだが、抜群の弾力性を備えた韓国独特の竹製の弓の存在である。この弓づくりの匠はクンジャンと呼ばれ、権さん自身も、その伝統の工法を継承するクンジャンの一人である。
「私の家は、先祖代々クンジャンで、もう350年間続いています。クンジャンの技術はそうやって親から子へと引き継がれていくものなんですが、今問題なのは後継者がいないことなんです」
20年前まで、クンジャンの技術を伝える家は全国に20家族を数えた。現在そのうち6家族で伝統の脈が途絶えてしまったという。
「この弓は手でつくるしかない。その技術を身につけるには非常に時間がかかるし、しかも量産がきかない。1人が1年に70から100本がやっとです。いきおい収入はかぎられてくる。そんな地道な仕事を今の若い人がやりますか。世の中はすっかり変わってしまった。私にも息子がいますが、跡を継げと私の方から言うことはとてもできない」
権さんの夢は、テコンドーのようにこの素晴らしい伝統武術を世界に知らしめ、広めることだという。しかしそれはとても無理だろう、夢は夢のまま終わりそうだと悲観的である。
「国弓は、とにかくこの弓がなければどうしようもない。海外にはクンジャンはいないのだし、国内のクンジャンはこれから細っていくばかりなんですから……」
幻のテッキョンをつきとめた
帰国の日が近づくにつれ、少なからず私は焦りはじめていた。テコンドーの源流たる伝統武術の取材が、手つかずで残されていたからである。私はテコンドー関係者に会うたび、尋ねた。
−−テコンドーの原型となった伝統武術、たとえばテッキョンについて調べたい。ついてはご存じのことを教えてはいただけまいか。
しかし、返ってくる答えはあまり喜ばしいものではなかった。もはや途絶えてしまったのではないか。まだ、どこかで細々とやっているはずだが、よく知らない。
無理もないことだが、彼らはテコンドーの輝ける現在と希望あふれる未来にしか興味を持っていない様子だった。柔道の誕生以後、日本人が冷淡にも柔術諸流派を忘却していったように、韓国の人びともまた、伝統遺産を忘れつつある−−。私は落胆をおぼえた。
「テッキョンの継承者が、忠州(チョンジュ)にいる」という情報が知人によってもたらされたのは、8割方あきらめかけていた帰国前々日だった。
天佑! 私は小躍りし、忠州へと飛んでいった。
忠州はソウルから車で2〜3時間の、小さな田舎町である。ここに道場を構え、200名あまりの門弟を抱えて指導にあたっていたのは、35歳と以外にも若い鄭景和(ジョンキョンファ)だった。
「私の師である辛漢承(シンハンスン)先生が、昨年の7月に亡くなられ、辛先生の師にあたる宋徳基(ソントツキ)先生も同時期に亡くなられてしまったので、今は私が指導にあたっています。辛先生も宋先生も、テッキョンの正当継承者として人間文化財に指定された方々でした」
’61年に制定された文化財保護法によって、両老師ばかりでなく、テッキョンそのものも’83年に重要無形文化財の指定を受けている。
「韓国人は今まで伝統文化をかえりみてきませんでしたが、ようやくそれに気づいて祖先の輝く文化の保護を考えはじめたんです」
テッキョンの歴史はおそろしく古い。記録をさかのぼると、紀元前の高句麗時代までたどることができる。当時の高句麗には毎年3月にシンスゥトウという祭りがあり、そこで総合武術大会がひらかれた。その大会でテッキョンやシルムの試合が行われたと、古文献に記述されているという。以後、三国時代に入ってから朝鮮半島全域に広まり、特に花郎(ファラン)という青年武士団が組織された新羅ではおおいに隆盛をきわめた。李氏朝鮮時代に入り、文人優位の政治が続いてからは次第に衰え、さらに日帝時代には大きな打撃を受けたが、それでも伝統は絶えることなく今日まで連綿と受け継がれてきた。
ちなみにテッキョンは韓国の固有語であるため、本来はハングルでしか表記できない。「托肩」とも書くが、これは当て字である。
「テッキョンとは何か、ひと言で言えば韓国武術のルーツです。テコンドーも、もともとテッキョンから生まれたものです。テッキョンを現代的なスポーツにしたのが、テコンドーといえるでしょう。テッキョンとテコンドーとの違いは、テコンドーが直線的な動きをするのに対して、テッキョンの動きは曲線的なこと。武道ですから技に制限がなく、手による攻撃や投げ技もあることです」
鄭氏の実技を見せてもらった。型の演武はまさに、舞を見るようである。手をひらいて円を描くファルチギという動きは、柔らかく、丸く、しなやかで、ときに鋭く攻撃の突き、蹴りが繰り出される。弟子との組手では、その優雅な舞いが、相手の攻撃を逆らわずに受け流し、さばくための動きとなり、続いて鋭い喉輪(のどわ)突きや、まわし蹴りがうなりをあげる。当然、足技はテコンドーとよく似ている。
「テッキョンの極意は、心身の状態をとにかく自然な状態にもってゆくことです。興奮したり緊張したりすると人間は力むものですが、そういうムダな力を抜いて、リズミカルに、軽やかに、無理のない自然な動きで動くこと。表はやわらかく、内側は気が充満して強い。それがテッキョンの理想です」
テッキョン稽古にのぞむ時には、必ず白い韓服(ハンプク)を着る。白い色には祖先のオル(魂)が宿るとされ、韓国人は白衣(ペクイ)民族といわれるほど白衣を愛してきた。その伝統を受け継ぐためであるという。
「テッキョンの精神は『真(チャン)』という言葉でいいあらわします。これは嘘を憎み、真実のものだけを求める精神のことです」
スポーツ化する過程でテコンドーが失ってしまった様々な豊かさが、テッキョンには残されている。ソウル五輪のコンセプトとは対極の世界が、ここにある。
私は、ひとつ意地の悪い質問をした。
−−テッキョンとテコンドーはいわば親子。テコンドーは今、はなばなしく脚光を浴びているが、親であるテッキョンに対してとても冷淡だと思いませんか−−。
鄭氏は笑って、テッキョンの極意のごとくゆるやかに受け流した。
「息子がよくできれば、親も嬉しいですよ。親のほうもこれから普及につとめます」
昨年には全国に散在するテッキョン愛好の士と結んで、「韓国伝統テッキョン大会」をつくった。派手さはないが、ゆっくり、自然に歩み、そしてその歩みを決して絶やさない。我が道をゆく、そのあり方そのものが、テッキョンの、もしくは韓国の伝統文化の本質ではないかと、私には思われた。
現代韓国社会は、いつ解けるともしれない様々な「恨」を抱えて、激しく格闘し続けているが、注意深く見つめれば、その底に白い静寂が隠れているのを私たちはきっと見つけることができる。