貴重な歴史の証人としての本 加賀乙彦
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| ソ連の崩壊は、その革命による成立と共に、二十世紀でもっとも重要な出来事の一つであろう。この大国が崩壊していく過程での、複雑に入り組んで巨大な迷路に右往左往する人々のまっただなかに飛び込んでいき、体当たりの取材をしたのが、岩上安身の『あらかじめ裏切られた革命』である。 ソ連からロシアへの疾風怒濤の変化は、新聞やテレビや見聞記などで、うすうす垣間見てはきたものの、よくはつかめないというのが私の気持ちであった。それが、この本を読むと、むろん混沌としているけれども、混沌のまま、非情なリアリティのある報告として迫ってくる。クウデター、グルジア、チェチェンの内戦、ジリノフスキーという奇妙な人物、エリツィンという矛盾だらけの人物などが、自分の目の前にいるような感覚で存在してくる。 まだこの大国は大変動のまっただなかにあり、したがってこの本の取材も未完結である。読み終えても、安心して本を閉じるという心境になれず、むしろ今までより増して、ロシアの状況に注意を向けようとさせられるのがこの本の効用だろう。取材した事柄がどこまで事の真相に迫っているかどうかを現時点で検証する手だてはない。しかし、著者が取材した人物が、こう語ったという事実は、それだけでも貴重な証言である。 今回は審査委員が一度の投票で満票でこの作品を選んだことも付け加えておきたい。 |
行動力・持続力・表現力 黒井千次
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| 選考委員の満票で受賞が決った岩上安身氏の「あらかじめ裏切られた革命」は、六百ページを超える長大な作でありながら、ノンフィクションにありがちな長さの苦痛をいささかも感じさせぬ、緊迫感に充ちた力作であった。旺盛な行動力と息の長い持続力によって、ソ連からロシアへと変貌する各節目で枢要な人物とのインタヴューを次々に実現し、伝聞ではなく当の人物の語ったことを自分の耳で聞き、言葉で記した強みがこの労作を支えている。刻々と移り変る情勢との時差を丁寧にフォローする注記にも、同時進行の生々しいリアリティーがこもっているのを感じる。まだ三十代の作者の受賞を喜ぶと同時に、これからの仕事に期待を寄せたいと思う。 (以降は、他の選出作品についての言及のため、割愛します) |
”成果”をよろこぶ 澤地久枝
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| ノンフィクションの世界も多様になったが、その中心は貪欲に資料を追い、関係者に会う労をいとわず、執筆にあたっては恣意への禁欲的姿勢を要求される分野と考える。老多く困難な仕事であり、経済的には持ち出しになることの多い現実から、この分野への挑戦は多くはない。 今回の受賞作『あらかじめ裏切られた革命』は、三十七歳という著者の若さ、旺盛な好奇心と行動力から生れた。その成果をよろこびつつ、一読して生活者としての苦労が目に浮かぶようであった。 この真摯な書き手がどうかこの方向で無事に生きのび、書きつづけてほしいというのがいつわりのない実感である。 ソ連邦崩壊後のマフィア支配のロシアについて、同時進行形で、キーパーソンへのインタビュー、要路からのリークによる秘密資料などをベースに実態が書かれている。行くさきになにが待つか答のない時点での証言記録の限界と制約を、岩上さんは一定時間をおいての再認定確認による補遺をゆきとどいた註に書く手法でのりきった。 (以降は、他の選出作品についての言及のため、割愛します) |
選評 立花 隆
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| 岩上安身「あらかじめ裏切られた革命」が、第一回の投票で満票を獲得し、文句なしに受賞がきまった。(以降は、他の選出作品についての言及のため、中略します) これほどすんなり授賞がきまったのも珍しい。それくらいこの作品は群を抜いていた。まず、取材の厚みが圧倒的である。五年がかりの仕事とはいえ、よくぞここまで取材したといいたいほど、ロシア社会のすみずみまで取材の足をのばしている。それも表面的な事実の集積に終らず、表からは見えない社会の闇の部分をえぐり出しているところがすごい。闇の部分が現象の背後にあるケースにおいては、それを構造的な深みにおいてとらえようとする視点がいい。しかも視点がマルチである点がさらによい。経済的な視点、歴史的な視点、イデオロギー的な視点、文化人類学的な視点などなど、この作者は、いいもの書きになるための必須の条件である視点のフェイズの多様性を持っている。 ゴルバチョフまでは、新聞報道でもロシアの情勢をフォローできたが、それ以後のロシア社会の混沌状況、旧ソ連を構成していた周辺民族国家とロシアの激しい武力衝突などになると、ほんとのところ何がおきているのかがよくわからなくなっていた。本書を読んで、やっとそれがわかってきた。 |
大混沌を表現しきった力作 柳田邦男
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| 久々に衝撃的なメガトン級のルポルタージュを読むことができて、その興奮がいつまでも持続している。岩上安身氏の『あらかじめ裏切られた革命』だ。 イデオロギーという箍(たが)でがっちりと固めた国家は人間を幸福にしうるのか。赤い帝国ソ連による歴史的な実験は、七十余年で崩壊し、ヨーロッパからアジアに広がる広大な大地は、混沌の坩堝と化した。腐りきった官僚と軍の内部にはびこる汚職シンジケート。博打、強盗、売春、麻薬などのブラック・マーケットを支配するマフィアの闇経済規模は国家歳出総額の二分の一にも達する。戦車やミサイルまでが密売される。オカルト・ブーム。極右のジリノフスキーの抬頭。エリツィンも所詮独裁主義者なのか。暴かれるレーニンの残忍な人間像。ろしあの容赦ない覇権主義とチェチェンに流される大量の血。泥沼の民族紛争。 この大混沌をどう書くのか。アメリカのハリソン・ソールズベリーがロシア革命を六十年もかけて微細に調べ、大作『黒い夜白い雪』を書いた方法がある。だが、歴史のうねりを同時進行形で知ろうとするいまの時代には、六十年は長過ぎる。岩上氏は何はともあれ坩堝のなかに身を投じた。身の危険のある現場でも。そして、核心の人物や情報を持つ実に多くの人々に体当たりで会い、生々しい語りを徹底的に書きつけていった。虚実入り混じる感はあっても、様々な当事者が考え語っている事柄を、その語り口そのままに、濁流の渦巻く大河のように書き連ねていったとき、そこに歴史的転換期の大混沌が読む者を現場に立たせるようなリアリティをもって見えてくる。この豊饒な六百五十五頁の全一巻は、体で書くルポルタージュの迫力と可能性をあらためて示してくれた。脱帽。 |