「週刊ポスト」 2001.7.13
殺人と殺人未遂で5件にわたって起訴されている守大助被告は、逮捕直後の自白から一転、7月11日に予定されている初公判を目前とした今も、否認を貫いている。決定的な動機はなく、事件に潜む謎は多い。実は、事件の現場となったクリニックの経営には、これまでまったく報じられなかった意外な実態がある。
「仙台筋弛緩剤殺人事件」の舞台となった北陵クリニックはベッド数19床という小規模なクリニックである。19床以下の診療所は宮城県内だけでも700を数える。
一見したところ全国に無数あるクリニックのひとつに過ぎないが、実は、地元財界の全面的バックアップを受けた最先端医療の研究施設と位置づけられていたことはほとんど知られていない。それを如実に示すのが、同クリニックの理事名簿だ。
92年に開業した北陵クリニックの事実上のオーナーは、FES(機能的電気刺激=1※)治療の権威である半田康延・東北大教授。同クリニックはFES研究における東北大学のサテライト研究室として位置づけられており、表向きは個人経営ではなく、法人経営の形式をとっていた。経営母体となったのは、『医療法人陵泉会』。その理事には、東北地方の名士たちが、こぞって名を連ねていた。
まずは東北電力の明間(あけま)輝行会長(当時)。東北電力は、新潟県を含む東北7県を事業エリアとする、東北最大規模の企業である。昨年度の売り上げは焼く1兆5700億円。これほどの大企業の会長が、なぜ北陵のような小規模のクリニックの理事に就任したのか。入院中という明間前会長にかわり、広報課長が就任のいきさつについて答えた。
「理事就任については、東北電力の会長として就任したわけではなく、地元経済界の一人として依頼されたもので、無報酬で引き受けた。経営にはまったく携わっていない」
東北地方最大の地銀である七十七銀行からも、丸森仲吾副頭取(当時。現頭取)が、理事に加わっている。
財界ばかりではなく、医療界の大物も名前を連ねている。宮城県医師会の安田恒人会長。法曹界からは、仙台弁護士会会長、日弁連副会長をつとめたこともある勅使河原安夫弁護士。さらに、マスメディアからも、宮城県での世帯購買率約6割と、圧倒的なシェアを誇る地元紙『河北新報』の佐藤剛彦・代表取締役の名がある。
私たちは、これらの理事に順次取材を申し込んだが、返答のほとんどは明間前会長と同じく「詳しくはわからない」というものばかりで、一人を除いて理事本人の話を聞くことはできなかった。
取材に応じた理事は、医療機器開発メーカーの工藤電機株式会社代表取締役・工藤治夫氏である。工藤氏は理事会の実情についてこう語った。
「理事といっても、理事会には2年前に1度出席しただけ。クリニックの経営実態は、理事には知らされておらず、目隠し状態そのものでした。
理事会では決算書も見せられなかった。が、当時は、一般企業とはシステムも違うのだろうと思い込んでいた。ですから、今回の事件報道が起こって、私自身、驚いている。
理事として在籍していた当時は、報酬も、経費も出ませんでした。知人を通じて声をかけられ、FESを研究するという目的に賛同したからこそ、理事に名前を連ねたわけですが、事件が起こってからというもの、半田夫妻ら病院側からは、一切何の報せもない。むしろ、報道によって知る事実のほうが圧倒的に多い。今となっては、私自身も、被害者の一人なのでは、とさえ思っている」
陵泉会は、経営母体としては実体のない理事会だった。しかし、名前だけの理事会であったとしても、これだけの地元名士を集められれば、体外的な信用は数段高まったに違いない。理事を集めるにあたり腐心したのは、半田教授だった。
「宮城県のエスタブリッシュメントは、県議会、県庁、財界、医学界もすべて、仙台一高―東北大の学閥で占められているんです。仙台一高―東北大卒の半田教授は、ライフワークであるFESを続けるために、そのコネクションをフルに利用して理事を集めていました」(元病院関係者)
FESの研究施設としての北陵クリニックのPRに関しては、かの浅野史郎・宮城県知事も一役買っていた。
浅野知事は、北陵クリニックに足を運んでFES事業を見学しているだけでなく、雑誌『NEW MEDIA』(2000年1月号)誌上において、半田教授らと座談会を行ない、「福祉は産業だ」というキャッチフレーズを掲げ、FESの産業化について積極的な発言をしている。
<(FESについて)非常に画期的なものだということはわかったので、『何とかこれを産業に育てられないだろうか』と思いました。(中略)>
厚生官僚出身の浅野知事も、半田教授の功績を絶賛していたのである。<これは科学技術庁から5年間で約20億円のお金をいただいてやっているのですけど、イニシアチブはわれわれ地元です。地域の医学や工学などの分野が一緒になって、加えて産業界が一緒になって、このFESという研究を産業化しようという、非常に画期的な事業です>
半田教授をよく知る東北大関係者は、「彼は官僚機構を動かすコツを熟知していた」と評する。
「半田教授ほど言葉巧みな人間は見たことがない。どんな人でも説得してしまう。天才的なプレゼンターですよ。『役人を動かすなんて簡単ですよ。NHKに出ればいいんです。そうすれば信用してお金を出してくれます』とも語っていました」
事実、北陵クリニックは、FESを行なう先端医療の現場として、NHK『クローズアップ現代』でも取り上げられた(昨年5月19日放送)。
地元名士が連なる理事名簿、県知事のサポート、そしてメディアによる宣伝効果。これらが功を奏してか、FESを看板治療とする北陵クリニックには多額の補助金が交付されていた。
文部科学省所管の特殊法人、科学技術振興事業団は、98年、FES関連施設を含む全国27の施設で行なわれている地域結集型共同研究事業の中の「生体機能再建・生活支援技術」の研究費の名目で、2002年までの5年間で17億5000万円の補助金交付を行なっている。また宮城県も同様の事業に対し、98年から5年間、1億120万円の補助金を支出することを決めている。
北陵クリニックにおけるFES研究も98年、事業団と県から補助金交付事業としての認定を受け、私たちが確認したところ、宮城県は98〜99年度に約600万円、科学技術振興事業団からは、98年度から00年度の第3四半期(99年12月)までの間に、委託金訳7400万円、機器購入費用として訳300万円、機器リース費用として約900万円が払われていた。わずか3年足らずの間に1億円を超える額である。
通常の診療報酬による収入とは別に、これだけ多額の補助金が入ってきていたのである。当然、クリニックの経営は良好だっただろうと誰しもが思うであろう。ところが、北陵クリニックの財政はなぜか赤字続きだった。
私たちが入手した同クリニックの平成11年度の決算報告書によれば、経常利益は約2650万円の赤字となっている。また、98年10月には、税金の支払いが滞り、仙台市によってクリニックの建物の差し押さえまで受けていた(この差し押さえは、99年12月に解除)。92年の開業から閉鎖までの9年間で、累積赤字は4億8000万円にも膨れ上がっていた。事件が起ころうと起こるまいと、経営破たんは間近に差し迫っていたといえる。クリニックに注がれた巨額の補助金は、いったいどこへ消えてしまったのだろうか。これが北陵クリニックをめぐる第1の謎である。
北陵における医療実態に目を向けよう。同クリニックで現場を監督していたのは、半田教授の妻の半田郁子副院長(事件当時。後に院長)だった。だが、彼女の医療方針には問題があったのではないかと指摘する関係者は少なくない。
クリニックに勤務経験のある複数の看護婦は、「郁子副院長は、ちょっとした風邪で来院した患者にも、すぐに抗生剤の点滴をする方針をとり、そのように指示していた」と口を揃える。
北陵に勤務していた元看護婦のFさんは、小児科医である郁子副院長の処方にこう疑問を呈す。
「持続点滴の場合は患者さんの症状や体重にあわせて、落とす速度を調整すべきもので、たとえば体重10キログラム未満の幼児なら、1時間あたり点滴を10〜30ミリリットルの速度で、小学校入学前後の30キログラムぐらいの子供なら、1時間あたり30〜50ミリリットル程度で落とすようにするのが一応の目安なんです。
ところが郁子先生の指示は、年齢や体重、症状に関係なく、いつも1時間あたり100ミリリットルなんですよ。濃度は大雑把ながら調節していましたが、時間当たりの投与量は一定でした。大人でも1時間あたり60〜80ミリリットルが常識ですから、これでは速すぎます」
昨年2月2日に急変した女児B子ちゃん(※2)のケースでも、郁子副院長の点滴の指示はいつも通りだったという。Fさんが続ける。
「わずか1歳で、体重も10キログラムあるかどうかのB子ちゃんに対して、郁子先生はやはり1時間に100ミリリットルの速度で点滴を行なったのです。事実とすれば、常識的な速度の10倍近い速度で点滴を行なったことになる。
こうした診断や薬の処方は看護スタッフの間でもしばしば物議を醸した。が、郁子副院長の指示は絶対という雰囲気があり、誰も意見具申はできなかった。
逼迫していた経営、そして郁子副院長の強権的な言動。そんな背景もあってか、クリニックの職員は入れ替わりが激しかったという。昨年夏以降は、救命治療を担当できる医師も不在だった(5月18日号既報)。クリニックの医療体制は十全とはいい難かった。
事件の被害者の一人とされるA子ちゃん(11歳=当時)と両親が、クリニックを医療過誤で訴える裁判を起こしていることは本誌5月25日号でも報じたが、他のケースでも、医療過誤の可能性は否定できない。
投薬量や点滴の指示についても、捜査当局はひと通りそれらの調べを行なった。にもかかわらず、当局の初動捜査の段階で、医療過誤を疑った形跡は見られない。これが第2の謎である。
第3の謎は、郁子副院長が、守大助被告が最初に逮捕された直後の1月7日の記者会見で、守被告の解雇の経緯について、明白な嘘をついていることである。
守被告が解雇されたのは12月4日のことだった。午後、半田教授に呼び出され、市内のシティホテルのカフェで、
「うち(郁子副院長)のが、急変が多いため、この頃、ノイローゼみたくなっているんだ」
と切り出されて、しばらく休職して欲しいと言い渡された。さらにボーナスも12月分の給与も出す、いずれ必ず復職させるからなどといいくるめられた上で、当日付けで自己退職届を書くように説得されたのである。これは守被告自身の証言、関係者の証言ともに一致している。
ところが、半田郁子副院長は、記者会見の席上、こんな嘘をついたのだ。
「K事務長代理の方から、(守被告に退職するように)いってもらったんです、実は。私からではなくて。私がノイローゼ気味になっていると、(守被告に)そう話してもらいました」
横に並んでいたK事務長代理は、間を置かずにこう続けた。
「(郁子院長が)そういう状態ですので、守さんとしましても、どうですかという相談という形で話しましたら、『先生にご迷惑をかけたら申し訳ない』という形で退職になりました。私がお話しました。長い会話にはなっていません。数分程度でした」
実際には守被告は、ホテルのカフェで半田教授から解雇を言い渡された直後に、クリニックに足を運び、二階堂昇院長(当時)以下、当日、クリニックに出勤していたスタッフ全員に挨拶するとともに、半田教授から解雇を言い渡された経緯を話している。その場には、半田郁子副院長も、K事務長代理も居合わせており、守被告にねぎらいの言葉までかけていた。K事務長代理が解雇を通告した、という、スタッフ全員にすぐバレるような嘘を、なぜついたのだろうか?
むろん、誰しも記憶違いということはあり得るだろう。しかし、それは一人だけが事実と異なったことを語った場合のみ、当てはまることだ。複数の人間が、同時に、事実でないことを一致して語った場合、記憶違いとは考えにくい。事前に示し合わせたといわれても仕方ないのではないか。
夫である半田教授の名前を出したくなかったのか、あるいは他に理由があるのか。
郁子副院長とK事務長代理に対し、なぜこのような嘘を公の場でついたのか、私たちは説明を求めてきたが、彼らは取材に応じることを、現在に至るまで拒み続けている。
(1)FES
四肢の麻痺など機能不全のある患者の身体に、手術で電極を取り付け、筋肉に電気刺激を与えて機能回復をはかる医療技術(2)B子ちゃん
昨年2月2日、気管支炎で入院中に、ヘパフラ(ヘパリンという抗凝固剤を生理食塩水に溶解し、三方活栓から静脈注射するもの。固まっている血液を溶かすのが目的で、点滴がスムーズに流れない時などに行なう)の処置を施した直後に急変。守被告はこのケースで3回目の逮捕・起訴。起訴状によると、このヘパフラを行なったのは守被告であるとされているが、守被告本人は「ヘパリンを注入したのは看護主任のSさんである」と主張している