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「wired」 1997.2

300年王国へのプロローグ



 ソフトバンクが興されたのは登記上では1981年になっている。だが、それ以後の15年間を同社の歴史といってしまうのは短絡的だろう。”1400億円企業”までの歩みは、いうまでもなく孫正義の道程でもある。しかし、その39年間の歩みにしろ、すでに彼の頭の中に描かれている「300年の企業」の歴史からしてみれば、単なる”初めの1歩”にすぎない。




1957

8月11日、佐賀県鳥栖市に在日韓国人3世として生まれる。4人兄弟の次男。
正義の祖父は韓国南部の大邱(テグ)から九州に移り住み、筑豊炭田で坑夫として働いていた。父は、パチンコ屋や不動産業など、様々な事業を行いながら一家を支えた。当時も依然として民族差別は激しく「幼稚園のときなんか、頭を友達に石でぶたれたんですよ。これは衝撃で、以後自分の出自を隠すようになった」と、普段日本のマスコミには口にしない苦い思い出を、米国経済誌「BusinessWeek」では話している。小中学校では生徒会長を務める。子供時代は「腕白でガキ大将」だった孫は、サッカーに夢中になったときも熱心に練習し、鉄ゲタを履いて投稿するなど、当時から負けん気の強さを発揮していた。


73

九州有数の進学校である久留米大学附設高校に入学
この夏、学校の研修旅行でアメリカに滞在し、大いに刺激を受ける。


74

高校を中退。家族や友人の反対を押し切り渡米を決意。半年ほど地元で英語の特訓後、研修旅行で世話になった現地の先生を身元引受人として渡米が決まる。

サンフランシスコのセラモンテ高校に編入。
だが、教科書の内容はすべて理解できると校長に強引に掛け合い、すぐに大学検定試験を受験することに。英語で出題される検定試験に対して、日本語に翻訳してくれないとフェアではないと主張し、試験管にかみついた。結局、辞書持ち込みという特例で受験し合格する。結果、編入から2週間ほどで大学入学有資格者となり、高校を辞めることになった。このタフ・ネゴシエーター(強引な交渉者)ぶりは、事業家になった後もいかんなく発揮されることになる。


75

ホーリーネームズ大学に入学。2年間通う。

19歳のとき事業家になることを決意し、人生50年計画を立てる。「20歳代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低1000億円のため、40代でひと勝負かける。50代で完成させ、60代で継承させる」というものだ。


77

カリフォルニア大学バークレー校、経済学部に編入。

事業家になるための開業資金を得るために、「アルバイトでは何年かけてもたまらない。発明で儲けるしかない」とし、「発明を1日ひとつ、1年間続ける」ことを自分に貸す。年間に250件もの発明を生み出す。

「音声機能付き他言語翻訳機」を考案。大学内で、マイクロプロセッサの権威、ソフトウェアの権威を訪ね歩き、製作協力を要請。報酬は「出来高払い」という悪条件で相手を説得し、試作機を完成させる。


78

夏休みに一時帰国。松下電器に翻訳機を売り込むが失敗。次にシャープの佐々木正専務(現同社顧問)の元に持ち込み、売り込みに成功。約1億円を得る。


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翻訳機で得た資金を元に米国にて会社を設立。従業員30人。ソフトウェア開発をし、日本のメーカーに販売する傍ら、日本より使い古しのインベーダーゲームを輸入し、コーヒーショップなどにリースする業務を始め、大成功を収める。

22歳で結婚。


80

バークレー校を卒業。福岡へ戻る。1年半かけて、自分のやるべき事業を吟味する。約40種の事業を考え、それぞれについて「50年間熱中できるか」「自分がその事業でナンバーワンになれるのか」など25項目の独自の基準で分析。結果、日本にはなかった「パソコンソフトの卸事業」に決定する。


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「日本ソフトバンク」を設立。
福岡県大野城市の雑居ビルの2階に事務所をかまえ、パソコンソフトの卸業を始める。資本金2000万円。社員はアルバイトが2人。「売上高は創業5年で100億円、10年後は500億円にする!」という訓辞を聞いた2人は、その壮大な夢にあきれはて、すぐに退社する。

銀行に融資を依頼。
「無担保、無保証、金利はプライムレート」で1億円の融資を依頼し、一度は断られるが、孫のシンパであったシャープの佐々木が個人資産を担保にしてくれたため、資金1億円を第一勧銀麹町支店から調達する。シャープの佐々木(現在はソフトバンクの相談役も兼務)や当時の第一勧銀の麹町支店長をはじめ、孫は創業期に自分を支えてくれた人に感謝するための「大恩人の日(5月2日)」を制定し、感謝の宴を開いている。「デジタル」「合理主義」という言葉が持つイメージと相反した、義理堅い一面がのぞく。


10

大阪でエレクトロニクス関連の見本市が開催される。いちばん大きなブースを800万円かけて確保。それをソフト会社十数社に無料で提供。しかし、当時は直取引が常識だったので、ソフト会社とブースを訪れた小売店が直接交渉をしてしまい、結果、開催期間中、契約は1件も結べず。


12

大阪の上新電機から、日本橋につくったパソコン専門店「J&P」のためのソフトの品揃えを依頼される。「経験も金もないが、情熱がある。日本中のソフトを集めてみせますから、ぜひ独占契約を」と頼み込み、上新電機と独占契約を結ぶ。その後、見本市でのソフト会社無料招待の人脈が役立ち、「J&P」の店頭には約束通り日本中のソフトが集まる。


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当時日本一のソフト会社ハドソンと独占契約。ソフト会社(ハドソン)と小売り会社(上新電機)の両最大手を押さえたことで、以後事業は飛躍的に拡大していく。



パソコン情報誌「ザ・ソフトバンク」を創刊。次いで5月に、「Oh!MZ」「Oh!PC」の2誌を創刊。出版事業に本格進出。分野をコンピュータに絞って、雑誌、書籍を次々と出版。流通とともに同社の事業の柱となる。現在では23誌の雑誌を発行している。

初年度売上高は8億円、2年目には35億円に達する。

創刊した雑誌が毎月1誌につき1000万円もの赤字を出す。その後、テレビ宣伝、読者の意見を反映させたページ作りなどの対策を講じ、黒字に転じさせる。


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83年春、検診で重い慢性肝炎にかかっていることが判明。再起不能と宣告されるほどの重症だった。以後3年間入退院を繰り返す。

日本警備保障(現セコム)の副社長だった大森康彦を社長として迎え入れ、自身は会長に退く。

入院中は読書に励み、歴史物、コンピュータ関連書などを手当たり次第に読みあさる。一説には4000冊を読んだとも。


84

子会社「日本データネット」を作り、商品価格データベース事業を行う。

入院中、大森社長と社員との不協和音が聞かれる中、有能な社員が他社に引き抜かれ、会社は大打撃を受ける。同時に、テレビ宣伝をしたにもかかわらず、データベース事業は失敗。10億円の借金を抱えることになる。

入退院を繰り返す中、「NCC BOX」(*)を発明。この発明で累計20億円を稼ぎ、借金を返済する。
(*)電話をかける際にNTTと第二電電の回線から自動的にやすい方を選ぶアダプター。現在は「スーパーLCR」として、多くの電話に内蔵されている。

小売店数6400店舗、ソフト会社数200社以上と取引を行い、パソコンソフト流通市場の約5割を押さえるまでに成長。


85

出版部門が赤字になる。発行していた6誌の打ち、5誌が赤字を出していることが判明。個別に対策を講じ、半年後1誌をのぞいて黒字に転じさせる。

バーチャルカンパニー:この時の考えを発展させたものが、本文でも詳しく語られている、「バーチャルカンパニー」という制度である。10人ほどのチームごとに独立採算性をとり、業績が悪いチームは倒産(解散)させられる。チーム同士のM&Aもあり、10人を超えると分割させられるので、必然的に勢いのあるチームが分散・拡大していく。「社員に危機意識をもたせ、大企業病を防止する」効果があるという。また、チームリーダーには毎年、会社の利益への貢献度に応じて報奨金(インセンティブ)が自社株で与えられる。ストックオプション(市場価格より安い値で自社株を購入する権利を与えること)は商法で禁止されているが、いったん第三者が購入した株を買うという形にして実践。時価にして3億円近い株を受け取った社員もいる。


86

社長職に復帰する。大森氏は会長に退き、のちに退社(現在はケイネット社長)


88

「ソフトバンク・アメリカ」設立。米国からソフトや周辺機器を輸入、また現地からの情報収集を強化。


89

ソフトウェアの卸部門が赤字になる。決算を月次から日次にして対策を練る。
日次決算:”科学的に”経営を分析するためにつくられた決算システム。導入されてからこれまでに50回ほどバージョンアップを繰り返している。「バーチャルカンパニー」とともに用いられ、社員一人ひとりの売り上げ、経常利益までが毎日割り出される。これにより、意思決定が迅速になり、社員のコスト意識が高まるなど、さまざまなメリットが生まれるとしている。システム自体は「Excel」と「Lotus Notes」で構築さているが、孫は「数億円積まれても売れない」と語る。また、同社の出版部門には「部数決定システム」も用いられ、さまざまな要素を考慮して最適な部数と定価をはじき出している。
89年度の売上高は300億円。経常利益も94億円に。


90

「日本データネット」を吸収。データネット事業部を創設する。

「日本ソフトバンク」から「ソフトバンク」へ社名を変更。
世界的視野で事業を展開していく決意の表れとして、この年を「グローバル元年」と位置づける。これ以後、ソフトバンクは海外企業との提携や積極的なM&Aにより急成長を遂げていく。

米「ノベル」の日本法人を同社と合弁で設立。ネットワーク事業に本格進出。ノベルはパソコンLAN用OSで世界一のシェアを誇る「ネットウェア」を開発・販売している。日本国内でもLANの活用が本格的にすすむであろうことを受け、同製品の日本語化・販売権をめぐり、兼松など数社が提携先にと名乗りを上げたが、最後はソフトバンクとの合弁で決着をみた。この後も”デジタル・インフラ”の分野で「世界のトップシェア」を誇る企業との提携・買収を行っていく。


91

「ペロー・システムズ」(米情報システム統括会社、会長ロス・ペロー)と合弁会社を設立。国内でシステム・インテグレーション(異機種のOA機器をネットワーク化し、その会社の経営や管理に最適な情報処理システムを構築する)を開始し、ネットワーク事業を強化する。ペローの大統領選出馬を受けてか、92年7月には提携を解消。
孫は合弁会社設立に当たり、ロス・ペローのお膝元ダラスに単身乗り込み、詳しい条件などを交渉した。アメリカ有数の実業家で、92年の大統領候補にもなるペローを相手に「2週間に一度日本にこれるなら、あなたが社長でいいが、それが無理なら私が社長になるべき」と強弁し納得させたという。ペローのような”大物”と組むことによって、高い知名度や信用度などを得るという手法はのちのビル・ゲイツやマードックとの提携、大型企業買収などにも見られ、意識的に展開されているようだ。


94

「メディアバンク企画(後のメディアバンク)」をNTTデータ通信と設立。ビデオ・オン・デマンドを中心にネットワークサービスの事業化を計画する。



9000万円の費用をかけて、社員にパソコン無料貸与を開始する。チームリーダー以上の社員の家にパソコンとモデムを給付するという試みは、当時、新聞などでも取り上げられた。しかし、貸与されたものより処理速度の速いパソコンをすでに使っていた者も多く、その場合は子供のゲーム用になったという。ほかの企業に向けて、社員へのパソコン教育の一例を示したかったという部分もあったようだ。「パソコンは戦国時代における鉄砲」と語る孫は、パソコンの徹底活用を自社内で実践。平均すると社員1人あたり3台のパソコンを使っていることになる。また、社内ネットワークも積極的に活用、稟議書をLANで回覧したり、出勤管理をイントラネットのWeb上で行ったりしている。



ソフトバンクの株式を公開。公募価格1万1000円に対して、1万8900円の初値がつく。自身は自社株の約7割、評価額2000億円相当を保有したことになる。これを契機にマスコミの注目度は一気に高まり、「日本のビル・ゲイツ」として取り上げられることも多くなる。



米「フェニックス・テクノロジーズ」の出版部門を買収。同社はパソコンOS用マニュアルの出版事業の大手。パソコンの急速な普及により、マニュアル書への需要も伸びるとの判断。鋭い先見性がうかがえる。

米「ジフ・デービス・コミュニケーションズ」(以下ジフ)の出版部門の買収に失敗。投資会社フォースマン・リトル社に奪われる。資金調達が難航したのが原因とされるが、この時の失敗が教訓となって、その後の”電光石火”の買収劇を生んでいったともいわれている。また、同社への思いは以後も失せることなく、買収の機会を引き続きうかがう。ジフはコンピュータ関連出版の最大手で、全米の出版業界全体でもトップ5に入る。グループ全体の雑誌の出版数はライセンスも含め、130誌にものぼる。


12

ジフの展示会部門を約1億2700万ドルで買収。ジフ展示会部門の主力事業は、情報ネットワーク技術関連の展示会では世界一の規模をもつ「インターロップ」。買収の目的は「展示会からの収益」「ネットワーク製品の品揃えの強化」「インターロップの知名度を生かした海外での事業展開」。


95

米「インターフェースグループ」の展示会部門を8億ドルで買収。同部門の運営する「コムデックス」は、世界最大のコンピュータ関連見本市。コンピュータ業界では知らない人がいない同展示会を手に入れたことで「ソフトバンク」の知名度も世界的なものになった。この展示会から得られる最新情報を流通や出版事業にも生かしていく。インターロップなどと合わせて、世界の展示会事業のシェアの7割近くを獲得することになった。



米「マイクロソフト」と家庭用ゲームの分野で提携、合弁で「ゲームバンク」を設立する。同時期に、米「キネソフト」と提携。同社はビデオゲームの移植技術を持ち、ゲームバンクと連動して業務をすすめる。ゲームバンクはゲーム専用機のソフトウェアをWindows95用に移植し、販売する会社。ゲームソフト分野でも流通・販売を拡大したいソフトバンクと、Windows95をよりコンシューマ向けにしたいマイクロソフトの思惑が一致。両者のゲームソフト市場参入の発表直後、セガや任天堂の株価が下落するという現象も見られた。
孫とビル・ゲイツは今でも月に一度は必ず顔を合わせるという。


95

日本で初めて、社債管理会社抜きに社債を発行する。メーンバンクの興銀を社債管理会社から外したため、両者の関係がぎくしゃくする。
「社債管理会社」:これまで社債発行に際しては、メーンバンクが「管理会社」として投資家と社債発行企業の仲介役を果たしてきた。メーンバンクは企業側から多額の通料を受け取れる、という「しきたり」があったが、ソフトバンクは管理会社を置かず、代わりに財務管理人を置くことで、社債発行にかかる費用を大幅に減らした。「あんなことが本当にできるのか」とほかの大企業は驚いたが、当の興銀は「ソフトバンクの経営が難しくなっても面倒を見られない」と嫌悪感をあらわにした。


11

ジフの出版部門をフォースマン社から21億ドルで買収する。
念願の出版部門の買収に成功。同社のもつ膨大なコンテンツをインターネットや様々なメディアに、雑誌自体を世界規模の情報発信・収集の拠点として生かしていくことが可能になった。また、デジタル情報化社会の流通においても、出版や展示会などによるプロモーションが重要だという同社にとって、流通事業との相乗効果も大きくみられる。

ソフトバンクがこの1年間に企業買収に費やした金額は約30億ドルにもおよぶ。

Windows95発売。

米「Yahoo!」に出資。インターネットへの取り組みを強化する。Yahoo!の株取得は、優良企業への投資という目的が主ではなく、インターネット上のビジネスで成功を収めた同社のノウハウを獲得するためだ。林立する検索サービスの中でも、あくまでナンバーワンのYahoo!にこだわるところは孫のポリシーでもある。

95年度の売上高は964億円。経常利益は45億円。


96

「メディアバンク」がプロバイダ事業を開始。孫は常々「その分野で一番になれる事業にしか手を出さない」と公言している。だが、光ファイバをNTTに依存している現状で、プロバイダ業務においてOCNへの勝算はあるのだろうか? 本誌の質問には「テナントが大家に勝てるわけはない。テナントの中で一番を目指す」と答える。さすがに同じ土俵では勝負にならないと踏んでいるわけだが、将来的にはNTTに依存しないインフラを構築することも考えているようだ。「衛星がある。デジタル放送だけではなく、当然、データ配信なども行っていく」という言葉の裏には、NTTをも乗り越えようという野心が感じられる。

「Yahoo!」の日本法人「ヤフー株式会社(Yahoo JAPAN)」を設立する。4月よりサービス開始。抜群の知名度を生かして開始された日本語検索サービスは、アクセス数、広告売り上げとも順調な伸びを示している。また7月には電通と合弁で、インターネット上の広告代理店「サイバー・コミュニケーションズ」を設立。Yahoo!JAPANの96年度の売り上げ予想は、広告収入のみで2億5000万円を見込む。ソフトバンクが最初に手がけたインターネットビジネスは、まずは成功を収めたようだ。



米「サイバーキャッシュ」の株を取得。第2位の株主になる。インターネット上の電子決算会社「サイバーキャッシュ」は、電子商取引を支える技術を開発する企業。ソフトバンクが抱えるコンテンツをネット上で展開するため(オンラインマガジンの有料化など)には、同社が開発を進める課金システムがカギとなってくる。このほかにもソフトバンクは、インターネット関連の弁t7やー数社に資本参加している。ホームページ作成代行業の「USウェブ」や中国で印t−ねっと事業を展開する「UTスターコム」などだ。インターネットへの力の入れようがうかがえる。

96年度の売り上げは1400億円。経常利益は131億円。



アスキーから出版部門をソフトウェア部門の一部売却を持ち掛けられたが断る。国内のパソコン関連出版の圧倒的シェアを獲得する機会だったが、「魅力はあったが、交渉過程で最初に聞いていた話と食い違ってきたので断った」と孫は語る。



ルパート・マードック率いる、豪「ニューズ・コーポレイション」と折半出資の合弁会社を設立し、テレビ朝日の株21%を旺文社メディアから取得する。デジタル多チャンネル放送「JスカイB」の事業構想を発表。97年4月から試験放送、同年内にはサービスを開始予定。12チャンネルでスタートし、1年内に150チャンネルを目指す。テレビ朝日の株取得の目的は、デジタル多チャンネル放送へのコンテンツ(番組)の供給にあることを強調。デジタル放送だからこそ興味があって、アナログ放送の経営は対象としていない、としている。日本でのデジタル多チャンネル放送を開始するに当たって、パートナーを捜していたマードックに孫が自らを売り込む。三菱商事との話が進んでいたが一晩でひっくり返すことに。テレビ朝日の株買収話は孫がマードックに持ちかけたものだ。



米「キングストン・テクノロジー」の株80%を15億800万ドルで買収すると発表。同社はメモリ増設ボードの最大手。メモリもデジタル情報社会の重要なインフラとして位置づけ、米国でその6割近いシェアを誇る同社を買収。また、これにより「JスカイB」に使用する受信機(セットトップボックス)を低コストで製作することができる。PerfecTV! DirecTVが競合するデジタル多チャンネル放送の中にあって、強い競争力も得ることになる。




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