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〔6〕サイバースペースの「結晶作用」



 過去二回にわたり、高度情報化社会の到来によって、私たちの感受性や行動様式、他者との関係性がどのような影響を受けてきたか、探ってきた。以下、要約しておこう。

 まず第一に携帯電話などの移動体通信の爆発的普及により、電話というメディアの性格が劇的な変化が生じたこと。家の中に置かれ、家族によって共有されている「家電」から、個人が持ち歩き、プライベートな通信手段として使用される「個電」へと急速に移行し、そのため個人と個人がダイレクトに、いつ、どこででも「つながる」ようになった。

 第二に、ダイヤルQ2、伝言ダイヤル、テレクラ、インターネットの出会い系サイトなど、不特定多数の男女を結びつける電子メディアが登場し、誰であろうと他者との無限の出会いが、史上初めて可能になったこと。

 第三に、デジタルネットワーク社会においては、「瞬間的文化」が幅をきかせるようになり、そのため人々のコミュニケーションの質にも明白な変化が現れてきたこと。対話相手が少しでも気に入らなければ、挨拶もなく会話を打ち切ってしまう「ガチャ切り」や、アポイントを何重にも入れては、片端から節操なくキャンセルしてゆく「マルチブッキングの果てのドタキャン」など、行き当たりばったりに、他者との接続/切断を繰り返す行動様式の出現である。

 デジタル社会に適応的な若者ほど、こうした行動様式をとる傾向があり、人間関係は、バラバラの断片と化しつつある。ところがその一方で、自分を認知し、承認してくれる他者の存在を求める感情は、ますます狂おしくつのってゆくのである――。

 




 具体的な例をあげて語ろう。埼玉県在住の二十二歳の女子大生。テレクラのヘビーユーザーである。名前は仮にサエとしておく。

「テレクラの利用目的? メシにありつくため」と、サエはうそぶく。

「夕飯時になって、お腹空いたなぁと思うとテレクラへかける。その日、夕御飯をおごってくれる相手が見つかれば、でも、援助交際希望の奴はパス。あたしは援交しないから。

 でも、会って感じがよければ、メシのあとホテルへ直行する。即エッチ、あたり前。だからといって、必ずしもその後、つきあうとは限らない。

 一回きり、の方が多いかな。体が合わなかったり、するしね。お互いのこと、わかるには、エッチが手っ取り早いじゃない。一回限りじゃなくて、時時会っては、セックスをする男の友達は、今は4、5人いるかな。彼氏は別に一人いる。三十代の建設会社の社長。あたし、彼氏は常に一人だけって決めてるの」

「彼氏」とその他大勢の「男の友達」の差異は、いったいどこにあるのか、と私がたずねると、サエは「彼氏は、『つきあおう』ってちゃんと言われた人。友達との差はそこだけ」と答えた。

「でもこの一週間、彼氏、遊んでくれないの。仕事がすごく忙しいって。あたし、そばにいつもいてくれないと嫌だから、かまってもらえないと私の中で彼氏のランキングは下がり、別の人が上がってくる。私の中のランキング、毎日変動してるから。

 彼氏がいるのに、他の男とエッチするの、悪いなんて全然思ってない。隠さないしね。あたし、つきあっている人全員に、自分のことオープンにしてるもの。今の彼氏、嫌がるけどね。

 貞操観念、てゆうの? あれ、あたしの中にはないんだよね。時々、そういう気持ちが頭をもたげてくるときがある。でも、そういうときは、その気持ちを自分で叩く。なぜかって? 自由でいたいから。一人の男に縛られず、もっともっとたくさんの人に出会いたいから。そうやって女を磨くのが、自分にとって一番大事なことだから」

 次々に新しい出会いを求める衝動は、誰にも抑えられない。男が少しでも自分のことを束縛しようとすると、キレる、と彼女は言う。

「だから、ジコチュ―だって人からよく言われる。自分でもそう思ってるから、全然気にしないけど」

 どこまでも強気で挑発的である。にもかかわらず、その苛立たしげな口ぶりから、無理をして、虚勢を張っている様子が逆に浮かび上がってくる。

「私が他の男と一度もセックスしなかったのは、Yとつきあっていた2年間だけ。彼は同い年で、まだ学生。

 Yと一緒だった2年間、あたしが誰ともセックスしなかったのは、頭で貞操観念を理解して、自分のことを縛ってたんじゃない。無理せず、自然にそうなってた。あの状態が理想。結婚するんだったら、そういう関係になれる人。いつか絶対、そういう人と運命的な出会いをするって、あたし、心のどこかで信じてる。本気で、ね」

 あわただしい出会いと薄情な別れとを繰り返しながら、同時に「運命で結ばれた人といつか出会う」というロマンティックな観念を、胸に抱き続けているのだという。

厚かましい言い草ともいえるが、見方を変えれば、未来に「運命の人との出会い」を想定することで、彼女はかろうじて分裂を回避し、断片化してバラバラになった〈現在〉を何とか乗りきろうとしているのかもしれない。





 もう一人、ケースをあげよう。

 伝言ダイヤルの取材をしていた折のこと、私のメッセージを聞いた28歳のOLから電話がかかってきた。W子というその女性は、私が既婚者で、目的が取材であると知ると、落胆して電話を切った。

 彼女から再度電話があったのは、半月ほど経ってからである。夜中の4時をすぎていた。深夜というより、早朝である。寝呆けながら受話器をとると、ろれつの回らない声が聞こえていた。

「……眠れないんです。昨日、会社で上司と衝突して、そのせいで感情が高ぶって眠れず、睡眠薬を飲んだんです。それでも、眠れない。友達に電話したり、夜中にツーショット・ダイヤルに電話したんだけど、まだ感情がおさまらなくて……。こんな時間になると、電話をかける相手が誰もいなくて……。ろれつが回らないのは、睡眠薬のせいです……」

 受話器の向こう側から伝わる、異様な気配に、たちまち目がさめた。さらに薬を飲むようなことがあっては、取り返しがつかないことになる。

 私は彼女に、落ち着くように言いきかせ、話を聞いた。こういう時は、ただただ相手の話を聞くしかない。胸につかえているものを、楽になるまで吐きださせてやる他にない。

「……お前じゃ、経験がないから、ワンランク上の仕事は無理だって、頭ごなしに上司に言われたんです。それが悔しくて……」

 世間で名の通った大学を出たのに、希望していたマスコミに通らず、挫折感を味わった。今の職場には、待遇面でも、仕事のやりがいという面でも、不満がある。彼氏もいない。さみしくて仕方ない。伝言ダイヤルに、毎日のようにメッセージをいれてしまうのは、そのためだ――。

 彼女は延々と身の上話を語り、ためらったあと、こうつけ加えた。

「……私、実は処女なんです。驚きましたか? 私、この人ならって思える人と出会わなければ、セックスしたくない。潔癖なんです。男性に関心がないわけじゃない。私だって恋もしたい。彼氏が欲しい。

 でも、今の会社は中小企業で、周りはおじさんばかり。日常生活で若い男性と出会う機会がほとんどない。毎日が虚しい。すごくさみしい……。

 だから、どうせ援助交際や、手軽なナンパしか考えていない男ばかりだろうけど、ひょっとしたら、何百分の一、何千分の一の確率で、いい人にあたるかもしれない、そう思って、毎日、祈るような気持ちで伝言ダイヤルに電話しているんです……。この人だっていう人は、まだみつからない。それでもいつか出会えるって、信じてるんです……」





 2時間あまりにわたって、彼女は自分の感情を吐き出し続け、私は相槌を打ちながら話を聞き続けた。聞きながら、サエを思い出していた。彼女とよく似ている、と――。

 不思議に思われるかもしれない。たしかに、性的奔放さという点では、サエとW子は極端に対照的である。しかし、自分の居場所を探すために、日々、不特定多数の異性との出会いを求めている点では二人は重なりあう。彼女たちは「対人関係嗜癖」に陥っており、しかも「運命の人との出会い」というロマンティックな観念を抱えている。そのあげく引き裂かれた心は、今にもはじけそうな緊張状態にある。

 彼女たちは、極端に病的なケースなのだろうか? 私にはそうは思われない。途方もない速度で情報が駆けめぐる、このデジタルネットワーク社会に生きる者は誰でも、程度の差こそあれ、彼女らと同様の分裂と不安を味わわざるをえないのではないか。

 米国の心理学者シェリー・タークルは、「インターネット時代のアイデンティティ」という副題の著者『接続された心』の中で、ポストモダン諸思想に寄り添いながら、デジタル時代の「健全さ」についてこう述べている。

「かつては安定が社会的に価値のあることとされ、文化的に強調された。厳格な性別役割、反復される労働、ひと種類の職に徹することやひとつの町で生涯暮らすことが当然という思い込み、そういうことをひとまとめにしたものが、一貫して健全という定義の核にあった。だが、こういう安定した社会は崩壊した。この時代、健全さは、安定性ではなく流動性という観点から表現される。今、もっとも重要なのは柔軟に変化、適応できる能力――新しい仕事に、新しい生き方に、新しい性別役割に、新しいテクノロジーに」

 前出のサエが口にした「たくさんの人と出会うことが、自分を磨くことになる」という言葉を思い出そう。

 彼女は一人の男性に束縛されることを強く拒んでいた。束縛を受け入れることは、安定をもたらすかもしれないが、ひきかえに柔軟な流動性を失うことになるだろう。この時代においては、それは情報消費ゲームとしてのラヴ・ゲームからの脱落を意味する。それは命取りになりかねないと、彼女なりに危機感を覚えていたに違いない。

 従来の社会規範からの逸脱者とみえるサエのふるまいは、実は時代を形づくる新しいテクノロジーへの、彼女なりに必死の適応行動なのだ、とも解釈できる。





「テクノロジーを道具として利用しようとすれば(中略)、その歩みの一歩ごとに、内観的影響がある。テクノロジーは人間としての私たちを変え、私たちの関係性と自己の感覚を変える」(前出『接続された心』) 

 電子メディアが爆発的な発達をみせても、主体としての人間は不変で、何の影響も被ることはないと信じられるのは、よほどおめでたい人々だけである。タークルの言う通り、新しいテクノロジーに関わる者は誰ひとりとして、その影響から逃れることはできない。それは、テレコミ・メディアのユーザーに限った話ではない。インターネットのユーザーでも事情は同じである。 

時代の花形メディアであるインターネットを、裏モノのイメージが染みついたテレコミと同列に並べて論じようとすれば、それだけでネット・ユーザーからの顰蹙を買うかもしれない。だが、テレコミとネットには、本当にそれほどの質的差異があるのだろうか?

 十数年のテレコミ・キャリアをもち、現在はネットにもハマっているというベテラン・カメラマンの藤田タカリン(51歳)は、テレクラもネットも本質的に変わらないと断言する。

「今は、テレコミのユーザーはすっかりすれちゃって、特に都心のテレクラは、ほとんど『援助』の女の子ばっかり。でも昔はそうじゃなかった。10年以上前、テレクラがスタートした当初は、出会いがあり、口説き落とす楽しみがあった。今はネットの方に、会話を楽しんだり、出会いを求めたりする人が集まっているでしょう。あれと同じ状況でしたね、テレクラも昔は」

 話の途中で藤田の携帯が鳴った。相手は女性らしい。電話を切ったあと、彼は「今のひと、ネットで知りあった女性なの。旦那さん、いるんですよ」と語った。

「旦那さんとは、週3回、セックスしてて、僕とも会ってるんだから、何を考えてるのか、よくわからない(笑)。この女性が言うには、テレクラや伝言はセックスに露骨に直結していて、それが嫌なんだそうです。ネットは、オブラートに包まれているからいいという。それにおしゃれでしょ、って。

 映画の『ユー・ガット・メール』がヒットしているし、流行になっているんでしょうね。知的で、経済的に中流以上で、おしゃれというイメージ。しかもテレクラや伝言のようにあからさまにエッチなイメージがない。だからたくさんの人がネットに流れてきている。でも男と女が出会えば、最終的な目的がセックスなのは、テレコミでもネットでも一緒なんですけどね」

 




『平成十一年度版通信白書』によると、「メールフレンドがいる」という人は、ネット人口全体の65%(18歳から25歳の若年層だと74・6%)を占める。

「ネット上で知り合った人とオフラインで会った」人は23・3%(同32・8%)にものぼる。メル友のいる人が約1,100万人で、オフでメル友と会ったことのある人は、約400万人という計算になる。

 今回の取材のために、ネット上で協力を呼びかけたところ、30人あまりの方々から応答をいただいた。その中の一人、ネット恋愛で結婚したという広島在住の29歳の男性サラリーマンは、このようなメールを送ってくれた。

「私が出会い系サイトの代表格である『じゃマール』で、男女別に検索をしてみたところ、男性1,952件、女性214件。男女比率は9対1でした。出会い系では、男性の比率が圧倒的に高くて、アンバランスなのです。

 そこである音楽系のサイトで同様に男女別に検索してみたら、男性828件、女性630件と出ました。ほぼ4対3の割合です。出会い系サイトでは考えらない比率です。

 ところが、そういう趣味のサイトでも、実際には出会い系サイトとそう大差なく、ナンパの舞台になっていたりする。しかも、こうしたサイトの場合、音楽という共通の趣味があるわけですから、そんな気がなくても、いつのまにか親密になっている、ということもあるわけです」

 出会い系サイトにアクセスするのは、ストレートすぎて抵抗を感じるという人でも、「オブラートに包む」形のサイトのほうが、アクセスしやすいに違いない。テレコミはストレートに人と人を結びつけるしか能がないが、インターネットには、趣味、仕事、研究、ボランティア等々、人間の社会的活動のカテゴリーすべてに対応するサイトがある。ということは、パソコンを所有し、使用できる限り、どんな人間でも自分の関心のある何らかのサイトを見つけ出し、話の通じる誰かと出会うことができる、ということである。この広がりの大きさと多様性こそは、インターネットの最大の特徴である。





 第二の特徴は、音声言語ではなく文字言語によるコミュニケーション・メディアであること。これはテレコミとの最大の違いでもある。

 顔を突きあわせた対面的コミュニケーションと違い、テレコミでは「顔」が取り払われ、「声」だけで交信が行われる。同じ匿名の非対面的コミュニケーションでも、ネットでは、そこからさらに「声」が消える。文字が音声にとってかわることは、身体的表象がまったく消去されることを意味する。このことの意味は決して小さくない。

「テレクラでもツーショットでも、『もしもし』という、最初の声を聞いただけで、相手はどんな人か、たいがい見当がつく」と、三十代後半のテレコミ常習者のある男性は豪語する。 

「長年やっていると、耳が肥えてくるんですよ。今では声を聞くだけで、相手の女性がサクラなのか、援助交際希望なのか、さびしい系か、ヒマつぶしか、エッチ好きか、だいたいわかります。会える確率もわかる。最近では相手のルックスもだいたい見当がつくので、会った時に、大きくイメージが外れることも少なくなりましたね」

 声には、その本人が隠そうとしている思惑や、身体的な情報が豊かに含まれている。経験を積めば、その情報を読みとることができるようになる、というのだ。

「それに比べて」と、彼は続ける。「ネットはそうはいかない。書かれた文字だけでは、相手がどんな人間か、すぐにはわからない。会ってみるまでは、相手がこちらのイメージ通りの人かどうか、確信がもてない」





 私たちは日頃、対面的な状況においては、意識するとしないとにかかわらず、目前の相手の顔や声、体つき、表情、身ぶりなどの身体的表象によって、相手との関係を深めるか、否かの計算を瞬時に行い、判断を下している。初対面で、相手の身体的な表象に、何か自分にとって好ましくないものを見出したら(「下品な感じだ」「怖い顔をしている」「ずるそうな目つきをしているから、油断ならない」等々)、私たちは警戒して心を閉ざし、それ以上近づこうとはしない。

 言いかえれば、私たちは表層の印象によって他者を「選別」すると同時に、他者からも「選別」されており、その結果次第では、互いに相手の「内面」を理解する前に、理解しようとする努力を放棄してしまう。

 電子メディアによる匿名の非対面的コミュニケーションでは、こうした「門前払い」はひとまず回避される。回線を接続している人々は、基本的には「つながる」ことを求めているのであり、誰でもとりあえず相手の声に耳をすまし、スクリーン上の文字を目で追うだろう。「身体」が背後に押しやられている分だけ、「選別」は遅延され、その結果「内面」が露出し、相互理解のプロセスがはじまる。かくて、誰もわかってくれなかった自分の内面を、こんなにも理解してくれる人がいる、という幻想が生じる。そうした幻想の膨張率は、「声」という身体的表象が介在するテレコミよりも、抽象度で上回るネットの方が、おそらく高い。

 都内で教育器材の営業マンをしている独身男性(21歳)のSは、チャット(リアルタイムでの文字による対話)で知り合った同じ年のヒロミという女性との関係について、こう語った。

「チャットをはじめたばかりの頃は、その時、その場限りの薄っぺらな人間関係しかつくれず、こんなもの、ただの暇つぶしだなと思ってました。

 ところが、ヒロミと出会い、自分がコール(二人だけで会話するリクエスト)して、会話したときに、こんなに気があう人に出会えることもあるんだなという、不思議な感覚を味わったんです。それからは週に5回のペースでチャットをし、三週間後にはもう、恋人同士のように会話していました。

 彼女からコクられた(告白された)のは、ちょうど一ヵ月後。僕もOKしたのですが、それからの一、二週間というものは、声が聞きたいわ、顔は見たいわで、気持ちが一気に高ぶってしまい、いてもたってもいられず、彼女の住む奈良まで飛んでいきました。

 ところが、会ってみると、印象が全然違う。外見はともかく、ノリが全然違うんです。チャットのときの方がノリがよく、明るくて、さらけだすところも多い。ところが会っているときには、そんなノリが影をひそめてしまう。

 奈良では、一応、彼女とセックスしましたけれど、かなりぎくしゃくしました。向こうも僕を受け入れようとするんだけど、心がついていかない感じだった。その後、彼女が一度東京へ遊びにきて、それから二人の関係は自然消滅です」

 



 恋愛においては、人は自分の心の中で相手をロマンティックに美化してしまう、と説いたのは、『恋愛論』の著者、スタンダールである。彼は恋する者の心理を、「ザルツブルクの小枝」に例えて「結晶作用」と名づけた。

「ザルツブルクに近いハラインの塩坑では、坑夫が廃坑の底へ、冬枯れで葉の落ちた小枝を投げ込む。2、3ヵ月すると、この枝は塩分を含んだ水で湿っているが、やがてそれをとり出して乾燥すると、輝かしい結晶におおわれる。(中略)我々の間では、恋する男が、狂おしい行為をくり返しながら、愛しはじめた女のうちに美点を認めて行く、その行為を、つねに結晶作用と呼ぶに至った」

 スタンダールの生きた18世紀末から19世紀の初頭、純潔を重んじる性道徳によって、男性と女性の接触機会がまだまだ制限されていた時代では、この結晶作用は実に簡単に生じたことだろう。ひと目、相手を見ただけでのぼせあがり、自分の中で想像をたくましくすることが可能だったからだ。だが、時代が下るにつれて、男女の接触機会が増え、情報が十二分にいきわたるようになると、男女間で勘違いや妄想を抱くことも減ったかわりに、相手に対するロマンティックな神秘化も起こりにくくなってしまった。

 人が何かに憧憬を抱き、情熱をかきたてられるのは、その対象との間に距離があるからである。ところが近代社会では、交通と通信の発達によって、ありとあらゆる距離が縮減されてしまった。特に80年代に至って高度情報消費社会が本格化してからは、距離のみならず、差異という差異がたちまちにして消費し尽くされ、平準化されてしまうようになり、情熱的な「結晶作用」を伴う古典的な恋愛など、もはや成立しそうもなくなってしまった。

 ところが、ここにきて、事態は一変した。サイバースペースの出現によって、新たな距離が生まれたからである。サイバースペースに人々が憑かれているのは、それが人々に効率と利便性をもたらし、グローバルな規模でコミュニケーションの距離と時間を縮減するからではない。その逆である。

 パソコン通信も、インターネットも、MUD(マルチユーザー・ダンジョン)やハビタットのような仮想世界でのロール・プレイング・ゲームも、距離と不自由を新たに生み出す。人々は、「顔」を見せず、「声」を響かせることなく、書き言葉だけで出会う。しかもスクリーン上に記述された言葉が真実かどうか、すぐには確かめられない。

 かくてネットユーザー達は、互いの情報が制限されていることで、匿名の自由ならぬ、不自由を愉しむ。そうした不自由の空間であるサイバースペースこそは、実は現代の「ハラインの塩坑」なのである。人はそこで、自分の願望を他者に投影し、それぞれの「ザルツブルクの小枝」をつくりだす。





 前出のシェリー・タークルは、MUDというロール・プレイング・ゲームのプレイヤー達が、どのような心理変化を味わうかについて、こう記している。

「ほかの電子的な出会いの場と同様、MUDもある種の安易な親密さを生む。第一段階で、MUDプレイヤーはすぐに関係が深まることに心を躍らせ、時間そのものがスピードアップしているような感覚に陥る。(中略)

 第二段階では、プレイヤーはヴァーチャルなできごとを現実に取り入れようとするのが通例で、たいていはその結果にがっかりさせられる。(中略)話をしている相手の実物に関する情報がないこと、黙ってタイプをしていること、視覚的な手がかりがないこと、こうしたことすべてが、投影を促す。こういう事態は、極端に好きになったり嫌いになったり、理想化したり悪魔のようにみなしたりということにつながる。だから、ヴァーチャルな恋人の実物に会って、期待はずれな気がしたり困惑したりするのが、普通なのだ」

 MUDに限らず、メールにしろチャットにしろ「電子的な出会い」ではすべて、時間が加速され、結晶作用を促す。ネットユーザーは、スクリーン上の言葉のみを手がかりにして想像力の翼を広げる。そうして相手から送られてきたメールを、まるでロマンス(恋愛小説)を読むように読んでしまう。ネット恋愛を英語ではサイバーロマンスというが、適切なネーミングである。

 魔術的な恋愛装置であるサイバースペースに没入するあまり、虚実の区別がつかなくなる事態を、先述した通り、タークルは「ヴァーチャルなできごとを現実に取り入れようとする」と表現している。これは、可能性世界の幸福な出来事をリアル・ライフで実現させたい、という欲望のなせるわざに他ならない。

 だが、虚から実へというベクトルとは正反対のベクトル、すなわち現実の出来事をヴァーチャルな世界に取り入れる形で、虚実の境界を消してしまう人間も、まだ少数ながら存在する。





 都内在住の四十代前半のサラリーマンAは、「とんでもないホームページ」を発見したときの驚きをこう語った。

「4ヵ月前、会社で残業していた時、骨休めにちょっとパソコンで遊んでいたんです。そうしたら、とんでもないホームページを見つけてしまった。20代の女性が開いているホームページなんですが、そこで自分のセックス日記を公開しているんです。それだけなら珍しくはないが、それがすべて実名なんです。その日記には6人の男性が登場するのですが、すべて既婚者で氏名、年齢、家族構成、会社名から配属、肩書きまで書いてある。しかも電話番号つきで!」

 既婚者6人と同時にかけもちで不倫し、その模様すべてをネット上で「実況中継」してしまう女――不倫をしている中年男性にとっては悪夢のような話であろう。

「これは悪質なイタズラかな、と最初は思いました。好奇心も手伝って、その番号に電話してみたんです。

すると書かれていた人物は間違いなく実在していて、電話口に出るんですよ。で、私が『△△マユミさんをご存知ですか』 

 と聞くと、みんなびっくりして、

『あなた、誰ですか!? なんでマユミのこと知っているんですか!?』

 などと一様に狼狽するんです。それで、

『マユミさんのホームページで見たんですよ。おたくのこと全部書かれてますよ。○月×日に、△△のホテルで会ったでしょう。〈セックスはいまいち弱い》なんて、寸評されてますよ』

 などと教えてあげると、仰天するんです(笑)。みんなインターネットのこと、何も理解してないんですよ。無防備ですよねぇ」

 驚くのはまだ早い。このマユミという女性は、都内のターミナル駅にある大手デパートの紳士服売場で働いていると、ホームページに記していた。そこでA氏はさらなる好奇心に駆りたてられて、そのデパートの売場へ足を運んだ。

「いたんですよ。本当に。胸に名札までつけて。本名でした。驚きましたねえ。どういう神経してるんだろうかって思いましたよ。

 意外にも真面目そうで、可愛いんです。私、ネクタイを選びながら、

『ホームページ見たよ』

 って言ったら、

『やめてください、こんなところで』

 と言いつつ、

『携帯番号、教えてください』

 って言うんです。不安ですから、教えませんでしたが、あとで内線にかけて話しま

した。既婚者とつきあうのは、後くされがなくていいからって言ってましたが、実にあっけらかんとしたもんです。開き直ってる、という感じでしたね」

 いったい何を考えて、実名のセックス日記を公開しようと思い立ったのか、ぜひとも本人から直接話を聞きたいのだが、残念ながら、彼女のホームページは、現時点ではまだ見つけ出せていない。

 もっとも、現実をヴァーチャル空間に持ち込もうと考え、実行に移しているのは、この「マユミ」という女性だけではない。





「OUT of TILOLU」(現在はサイト休止)というホームページがある。

 田中夏織という25歳の女性ライターが開いているもので、その中の 「DIARY」をクリックすると、こんな文面が現れる。

「5月7日(金)
 なんだか急にテレコみたくなり、受話器を手にとってみました。(中略)で、ご新規様と面接決定。場所は新宿。庭じゃん(^^;お相手は40代のおじさま。なかなかに渋くて、この年齢にしちゃいいかも。お昼&お茶&夕食をごちそうになり、お礼に私をごちそうしてあげた。結果。調教されましたぁ。言葉攻め、オモチャ攻めはなかなかに絶品 でした。(中略)ご新規さまを後にし、Tさんの待つ 雀荘へ。(中略)半荘3回で1・4枚の勝ち。わーい(^^)/
 その後、終電間近の電車に乗って千葉方面へ。K君宅へお泊りさせていただきました。 
 ありがとぉ! 腹を割ってからのHは気持ち良かったです(爆)。(中略)そうそう、千葉に向かう電車の中はメチャ混み。お約束のごとくチカンされる私。殴るぞ、と思ったら、なかなかに私好みのお兄ちゃん。思わず身をまかせちゃいましたわん(はぁと)で、喰いました(爆)しかも駅のホームで(核爆)ごめんなさい、JRの方。ホームにカルピスこぼしちゃいましたぁ」

 ざっとこんな調子である。ホームページに日記がアップしている3月26日から5月13日までの約一ヶ月半の間に、テレクラなどを通じて16人の男性と出会い、セックスをした、と書いており。「GET LIST」という、男性の一覧表まで作成している。彼女は本業のライター以外に、イメクラでバイトもしているのだが、客とのプレイは、この16人にカウントされていない。いったい何を考えて、自分の性生活をこんなに赤裸々に書いているのだろうか――。





 彼女が自分の「庭」と呼ぶ新宿で、待ち合わせた。ルックスはごく普通の女の子、である。軽やかなソプラノで、よく笑う。

「アニメ声だって、よく言われます」

 ホームページでは「百匹の蛇を心の中に飼っていると友達に言われる」などと書いているが、どう見ても、そんな「魔性の女」には見えない。それがまた不気味、といえば不気味ではある。

「ホームページに書いていることは、全部本当のことです。フィクションの部分は必

ず、これはフィクションですと断りをいれてます。ネットで出会ってエッチした人は、今の彼氏を含めてまだ11人。一回きりの人は、そのうち5人。継続的に会っているのは、彼氏以外では、もう一人いるだけ。

 テレクラだともっと多いですよ。今までテレクラで話したのは1,000人近い。実際に会った人数は100人くらい。その半分くらいとはエッチしている。上は40代後半、下は18歳くらいですね。

 テレクラにかけて、会うかどうかの決めては、ノリですかね。あとくされなさそうな人がいい。地雷と化す人はパスする」

 地雷とは、思い込みが激しく、一人で熱くなってストーカー化する人物を指すらしい。言い得て妙、である。

「テレクラにかけるのは、ちょっと時間が空いたなってとき。でなきゃ彼氏とうまくいかなかったりして、ムシャクシャしているときとか。援助の割合は、多くないですよ。10人くらいかな。

 テレクラもネットも、本質的には変わらないですよ。なんですぐにセックスしてしまうか? 基本的にエッチが好きなんでしょうね(笑)。それにセックスはその人を知るのに、最も手っとり早い手段だし。 

 女も男と同じように、割り切って遊びたいという欲望をもってるし、実際遊べるんですよ。男女差はなくなってる。昔だったら、男と女は違うっていう文化規範があったかもしれないけど、それは今では壊れちゃってる。私だけでなく、まわりの友達とかを見回しても、そう思う」

 



 出身は東海地方の小都市。父親は特定郵便局の局長。地元の名士である。家系図もある古い家で、彼女は「本家の長女」であるという。

「親は固いですね。家庭は円満で、両親は優しいほうです。両親を見ていると、頑張ってるな、と思うんですよ。その反面、もし、私が子供を産んだら、子供は幸せに育つのかな、自分も幸せに生きていけるのかな、と考えてしまう。苦労するだろうと思うし、不安があります。 

 子供の頃は、真面目で通してました。いわゆる『いい子』ですね。さめていました。友達はいるけれど、意味なく群れるのは嫌い。それくらいなら、ひとりの方が好きでした」

 孤立していたわけではない。本人曰く、「八方美人」。にもかかわらず、というより、だからこそ孤独を強く意識していた節がある。読書好きだった。好きな作家は大江健三郎。特に『性的人間』が好き、という。「初体験は16歳になりかけの、高校に入ってすぐ。相手は高校の一年先輩で、普通の恋愛のプロセスです。ちゃんとつきあって。長かったですよ。22歳で別れるまで、7年くらい。その間、一途だったか?

 じゃないです(笑)。浮気してました。他の先輩とか、バイト先で知り合った男の子とか。高三になってから、友達の紹介でテレクラのサクラのバイトをはじめたんですよ。サクラだけど、気が合えば会いました。会えばエッチもする。結局、彼と別れるまで、30人くらいとエッチしたかな。

 その間も、オモテは基本的に真面目ですよ。彼はまったく気づかなかった(笑)。だから、彼は私のこと,一途な子だと思ったてんじゃないかな。

 今は浮気、してませんよ。2ヵ月前に知り合った今の彼氏とはラブラブなんで、他の人とはしてません。今の生活、壊したくないし、大切にしたいから。といっても、お店でついノリで本番しちゃったりするのを除けば、の話ですけど。でも彼にはナイショ。彼からは『浮気をしたらお前と浮気相手の両方を殺す』と言われているので、本当のことは言えません(笑)」





 わけがわからない。「今の生活を大切にしたい」という人間がなぜ、彼氏に知られてはまずい秘密までネット上でディスクロージャーしてしまうのだろう。浮気のネタだけではない。イメクラで性病に感染し、彼氏にうつしてしまったことまで書いてしまうのだ。

「彼氏には『浮気の話はウケねらいのフィクションだから』と言ってある(笑)。何もかもさらけだすのは、やっぱり、人に自分を見てもらいたいという気持ちでしょうか。他人が自分を見てくれているのって、すごい快感があります。ライターとして生きていきたい、というのと同じ、自己表現欲求かな。どうせ表現するなら、匿名や、フィクションではつまらない。ありのままの自分をさらけだし、人に見てもらう方がずっと気持ちいい。

 今、ホームページのヒット数は一日約1,000件。累計では約6万件です。無名の女の子が、これほど多くの人に見てもらえるなんてこと、ネット以外ではありえないでしょう?」

 彼女もまた、他者からの認知と承認を欲望しているのだ。ホームページで自分の性生活を露出するのは、そのための一手段にすぎないのである。

 彼女のホームページの中には、「秘密のページ」いう隠しページがある。それを見つけてクリックすると、エッチでノリの軽いトリックスターの顔ではなく、分裂に苦しむ、等身大の同時代人の表情が現れる。

「1999・7・6(8・06AM)
 (前略)客に本気になられた。ホテルに誘われた。付いて行った。もっとも、その前に店で本番をしたことがあるけれど。それは私から誘った。
 ニンフォマニアと言う言葉がある。いわゆるセックス依存症のことだ。主に女性に使われる。セックスは好きだけど、ただそれだけ。彼のことが一番大事だと思うし、この関係をずっと続けていきたいとも思う。
 心と身体が裏腹で、張り裂けて分裂しそう。とても怖い。でもやめられない。仕事は嫌いではないし、セックスも好き。身体と身体でなぐさめあってるだけなのかもしれない。
 言えない。誰にも言えない。でも、ただ心にしまっておくには、あまりにも重くて、重くて、重くて……。
 せめてこうして書く事で、かろうじて精神のバランスを保とうか。ただそれだけのために作ったページ。誰が見てるともわからないけど。それでいい。それがいい」




 あらゆるものが高速で消費され、更新されてゆく世界では、外部に「開かれている」状態を維持できなくなったとたんに、おきざりにされてしまう。タークルの指摘の通り、健全さの証明が「安全性」から「流動性」にとってかわられたこの時代、「閉じる」ことはほとんど社会的な死を意味する。

 安定を強制する窮屈な抑圧から解放された歓びは、何ものにもかえがたい、という人も少なくないだろう。だが、安定という価値が葬り去られることで、同時に何が犠牲になっているのか、私たちは立ちどまって考える必要があるのではないか。

 安定した、継続的な一対の関係を男女が築くことは、今ではきわめてリスクの高い作業になっている。だが、そうした安定的な関係の構築を抜きにして、子供を産み育てることは、不可能とはいわないまでも、現実にはきわめて困難に違いない。

 新たな他者との出会いに誘惑され、あるいは駆りたてられて、「いま、ここ」のみに意識が向けられ、未来が忘れられてゆくデジタル社会。子供の数が急減していることは、私たちがまさしく未来を忘れた社会に住んでいることを証明している。他でもない、子供とは未来そのものなのだから。

  (以下次号に続く)

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