「今、すごく迷っているんです。どうしたらいいのか……。話を聞いてもらえませんか」
一年あまり前のこと。この連載をはじめるための予備段階の取材で、二十七歳のシングルマザーから、逆に相談をもちかけられたことがある。
「法律に触れるような、悪いことだけはしたくない。でも、このままじゃ生活が苦しくて、どうしようもないから、もう身体を売るしかないかなと思ったりするんです……」
二人の幼児を抱え、彼女は途方にくれていた。当時、別居中だった一歳年上の夫は、裕福な家庭で甘やかされて育ち、まともに就職して働いた経験が一度もない。アルバイトも長続きせず、ニ、三ヶ月でやめてしまい、失業中は、家に引きこもって、ずっとパソコンに向かっている。
今どきの若者らしく、表面的には優しい。育児や家事をマメに手伝いもする。だが、外で働こうという意欲はない。というより、なぜ自分が働いて生活費を稼ぎ、妻子を養わなければいけないのか、本当に理解できないらしい。扶養責任という観念が完全に欠落しているのである。
「私と衝突すると必ず、『なんで俺が働いて、生活費を稼がなきゃいけないの?』と言うんです。そのたびに私が、『じゃあ、誰が働くの? 私だって働いているけど、それだけじゃ足りない。その不足分はどうするの? 空からお金が降ってくるのを待つわけ?』と言うと、彼は黙ってしまう」
働けない体なのではない。スポーツマンで体力は人並み程度にはある。確信犯的なヒモでもない。どちらかといえば子供好きの、小市民の部類に入るだろう。ただ、彼は「男は外で働いて、妻子を養うべきである」という扶養責任の観念を、誰からも刷り込まれることがなかっただけなのだ。
フェミニストが声を大にして廃棄を唱えている性別役割分業の観念など、人為的な刷り込みが行わなければ、容易に失われてしまうものなのだ。あっけないものである。
結婚当初は、夫の実家からの支援があった。だが、何年たっても自立しないため、関係が悪化し、支援を打ち切られてしまった。それから二年たち、三年たっても彼は変わらず、貯金はついに底をついてしまった。
事情があって、彼女の実家からは支援を期待できなかった。彼女のパートの稼ぎだけでは、一家四人の生活費は、到底まかないきれない。耐えきれずに、別居して約半年。彼はその間も変わらず、一人でパソコンと戯れつづけ、ときおり「子供がいなくて、寂しくてたまらない。早く帰ってきてくれ」という手紙や電話を寄こしてくるという。
彼女が私の取材に応じたのは、そんな時だった。生活に疲れ果てていて、明らかに自暴自棄に陥りかけていた。私は、彼女の問いかけに対して、頭ごなしに売春を否定することは避けた。
――生きて働いて、子供を育てあげることの重さに比べたら、身体を売るかどうかとうことは、二時的な問題だと思う――。
まず、そう言ってから、そのすぐあとに、だけど、とつけ加えた。
――身体を売ったとして、それで後悔しない? しないと思えるなら、自分の決めた通りにすればいい。でも、後悔すると思うのだったら、別の方法でもう少し頑張ってみたら?
彼女はその場では、結論を口にしなかった。しかし結局のところ、身体を売ることは思いとどまり、離婚成立後、パソコンを使った在宅ワークをはじめて、子供を抱えながらも、今は前向きに人生を切り開きはじめている。
さて、彼女の身の上についての物語を詳細に書くことが、この稿の本旨ではない。「身体を売る」と言い出した時、彼女は売春をどうイメージしていたか、それを取り上げたいのである。彼女は、こう言ったのだ――。
「絶対に誰かの愛人になるのは嫌。そうなるとソープランドかしら……。どうしたらいいのかな、私」
特定の男性の愛人になるより、ソープランドで働くことを選ぶ女性がいてもおかしくはない。問題は、その理由である。話をしていくうちにわかってきたのだが、彼女はソープランドは合法だが、愛人になることは違法であると思いこんでいたのである。
ソープランドでの「本番」は売春防止法違反だよと私が言うと、「ええーっ! 嘘でしょう!?」と、彼女は驚きを露わにした。
「じゃあなんで、街の中で堂々と営業していられるの? ソープランドは表に看板を出して営業しているじゃない。なぜ平気なの?」
――それは建前としてはソープランドは、個室内で「本番」は行われていないことになっていて、当局も見て見ぬふりをしているから。たまには摘発されることもある。それに対して、愛人という契約関係は、通常、売春とはみなされていない。だから違法か合法かという点では、君の解釈は逆なんだよ。
「なぜ!? わからない。全然、理解できない。だって、ソープランドってその時だけの身体だけの関係でしょ。お客さんが結婚している男性だとしても、感情が入っていない。しょせんは遊びじゃないですか。
それに比べて愛人というのは、感情が入っているし、長期的に続く関係でしょ。軽い遊び、とはいえない。そっちの方が奥さんに対する裏切りとしては、はるかに罪が重いじゃない」
不意を突かれた気がした。「性の商品化」に反対するフェミニストとはまた別の、しかし明らかに女性の視点からの発想である。
「本音では私は、ソープで働きたくないと思ってます。好きな人としかセックスしたくないから。でも、仕事で割りきってやれる女性がいてもおかしくないし、避妊や病気予防をちゃんとして、手抜きをせず、料金にみあったサービスを提供するなら、ちゃんとした仕事だと思う。
それに比べて愛人は、相手との間に子供がいる場合は別として、そうでなければただの不倫と同じなのに、お金をもらうなんてずるいと思う。おかしいわよ、それ。もし愛人が合法なら、ソープランドも合法にするべきよ」
なるほど、と思う。彼女の言い分は素朴ではあるが、生活感情に根ざしている分だけ、妙に説得力があった。
「売春」という言葉に対して、誰もが否定的な、負のイメージを抱いている。しかしそのイメージするその内容となると、必ずしも一致していないばかりか、人により、世代により、かなりのズレがあるらしい。
六法全書をひもといてみよう。売春の定義は、売春防止法第二条に、以下のように定められている。
「第二条 この法律で『売春』とは、対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう」
続いて第三条では、売春の禁止がうたわれている。
「第三条 何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない」
第二条の条文に照らしてみると、ソープ嬢と愛人の違いは、定義上は相手方が「不特定」か否か、という点のみである。ソープ嬢の相手方が「不特定」であることは、間違いない。それに対して愛人契約では、「特定」の相手方との関係が前提となる。
だが、少し考えてみればわかることだが、この差異も実は不確かなものに過ぎない。愛人契約をかわしている男も女も、必ずしも一対の関係だけにおさまっているとは限らない。それぞれ別の女性、別の男性と、同様の関係を複数結んでいるかもしれない。
また、愛人関係がすべて、長期にわたる継続的な関係であるとは限らない。一度だけ交渉をもったあと、疎遠になって別れてしまう場合もあるだろうし、頻繁に相手をとりかえることもあるだろう。そうした場合、「不特定の相手方と性交」という定義に限りなく、近づくことになる。
「売春」とは何なのか。何を指す言葉なのか。売春の定義と是非について考えはじめると、次から次へと疑問がわいてくる。自明と思われていたはずの事柄なのに、実は少しも自明ではないのである。
そもそも売防法に定義されている代償を受けての「性交」とは、どこからどこまでをさすのか。「本番」はないものの、現在の性風俗産業は、過激な性的サービスを売りものとしている。アナルファックや素股プレイによる射精は、「性交」というカテゴリーに入らないのだろうか。仮にそれらが「性交」ではなく「性交類似行為」だとしても、代償を受けてそうした行為におよぶことは、売防法における「売春」に該当しないのか。
第三に、なぜ売春禁止法ではなく、売春防止法なのか。先にみた通り、売防法では、売春を禁じてはいるが、処罰規定があるのは、売春の斡旋業者や助長行為等をした第三者に限られている。しかし、売春婦については、第一条に「売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更正の措置を講ずる」と定められてはいるものの、処罰規定はない。相手方となった客に対しては、処罰規定も保安処分規定も何もない。いったいなぜなのか。
第四に、自己決定による売春を禁じる論拠は何か。暴力や詐欺、脅迫などによる売春の強要や、人身売買があってはならないのは当然である。しかし自由意志で性的サービスを売っている性労働者に対してまで、売春行為を禁じることは、労働者の権利の侵害にならないか。
考えれば、考えるほど、わからなくなってゆく――。
「売防法第ニ条における『性交』とは、文字通りの性器結合だけを指し、それ以外の行為は一切含みません」
売防法の所管官庁である法務省の担当官は、私の取材に対し、逡巡なくそうこたえた。
事前に送っておいた質問状に「肛門挿入(アナルセックス)、オーラルセックス、男性性器と女性性器の接触(素股)、ヴィギナへの指、または器具の挿入は、売防法第二条の、『性交』に含まれるのか」と、具体的な質問項目を挙げておいたのだが、担当官はすべてきっぱりと否定した。
「それらはすべて性交類似行為であり、売防法に規定する『性交』にあてはまりません。従って、風俗営業においてそれらの行為が行われたとしても、『売春』に該当しません」
アナルファックも、性交にならないのですか? くどいとは思ったが、私は念を押した。
「含まれません。『性交』は、性器結合のみで、その他はあくまでも性交類似行為です。売防法で禁じられているのは『性交』だけで、性交類似行為を行っている性風俗営業等に対しては、風俗営業適正化法等の関連法規で、規制をかけています。現行の法体系ではそうなっているのです」
担当官はそう言い切るが、法曹関係者が参照する解説書『刑事裁判実態体系3〜風俗営業・売春防止』を読んでみると、売防法制定当時には「売春」の定義に着いて、実は様々な説が並立していたらしい。同書に掲載されている東京地裁の須田ッ判事の論文「売春の定義」から、売防法制定前夜の状況についての一節を引く。
「各地でいわゆる売春取締条例が制定され、それらはほとんどが『売春』ないし『売淫』について定義規定を持っていたが、その定義内容は様々に分かれていた。(中略)一方で、『性交類似行為』も『売春』あるいは『売淫』に含ましめる定義規定を持つ条例も少なからずあり、また、中には、相手方が『不特定』であることを不要としているものもあった。」
売防法が制定されるまでは、「売春」および売春の要件となる「性交」の定義規定には、さまざまなヴァリエーションがあった。ということは、売春の社会的実体が変われば、定義も書きかえうるということだ。現行法の定義が、永遠に不変の公理なのではない。
続けて須田判事は、代償を得た上での性交類似行為が売春に相当しない理由について、こう述べている。」
「『性行為』等とは記述されていないから、性交類似行為(『おかま』などと呼ばれる行為)は売春には含まれない。性交類似行為の規制が本法に盛り込まれなかったのは、性交類似行為はわが国においては必ずしも多くなく、したがって、その実害も大きくないこと、売春防止の観点から規制すべき事柄というよりは、一般風俗の観点から規定すべき事柄であることなどの理由からである」
法律の言葉が持つ力は、おそろしい。仮に第二条に「性交」ではなく、「性行為」と規定されていたら、現在の性風俗産業は、どれも合法的な形では存在していなかっただろう。興味深いのは、須田判事の論文中の「おかま」という言葉である。これは、恐らくアナルファックを意味すると思われるが、この本の初版が上梓されたのは九四年。風俗専門記者達によると、その前年の九三年あたりから、性感・イメクラブームが巻き起こり、前立腺マッサージだの、アナルファックだの、アナルバイブだのという、「A感覚」に特化したプレイが大衆化して、性産業市場を席巻するようになった。
須田判事が「性交類似行為はわが国においては必ずしも多くなく。と記したのは、売防法制定当時の状況を指してのことだろうが、四十余年後の現在では、当てはまるとは言い難い。
池袋の、アナルファックOKの性感マッサージ店で働く、二三歳の風俗嬢は、アナル体験についてこう語った。
「アナルは、このお店へきてはじめてしたんですけど、話にはよく聞いていたから、別に抵抗はなかった。友達の中には、彼氏とAVを見てやってみたら、病みつきになっちゃたって話してた娘も痛し。アナラーって、増えてるんじゃないかな?みんなそんなに抵抗ないみたいですよ。
変なコトしてるって、思わないか?ウーン、それを言ったら、フーゾクの仕事は全部ヘンだと思うし……。一番ヘンだと思うのは、なぜ本番だとバイシュンで、アナルだとバイシュンにならないのか、そこがよくわかんない。
お店の人から本番はするなって言われてるけど、似たようなものでしょ。本番の方が不自然じゃないし、かえってラクなんだけど。だからなかなかイッってくれないお客さんのときは、お尻が痛くなるので、お店に黙ってこっそり本番しちゃう女の子もいますよ。
あえていえば、本番とアナルは、妊娠する可能性があるかないかが、唯一の違いかな。でも、ピルのんでゴムしてれば、本番だって同じだし。やっぱりよくわかんないですね、法律って」
私にはする客も、させる彼女たちの気持ちもよくわからないが、一番わからないのは、彼女の言う通り、それを許す法律の論理に違いない。
話を先に進めよう。相手方が「不特定」という定義規定について、須田判事は、前出の論文の中で「相手方を特定せず、無差別にということである」と解説し、こう続ける。
「もっとも、まったくの無差別であることは必要はなく、肉体を提供するものが不特定の人間の中から多少好みを入れて相手方を選択しても(近時流行の『愛人バンク』などに登録加入し、アルバイト感覚で売春する者の中にこのような者が相当数含まれていることは顕著な事実である)、性交と対償の関係が露骨で、対償の取得に主眼をおいて相手方を選択していると認められる限り、なお『不特定』である」
ここで問題となるのが、冒頭で疑問を呈した、愛人契約と売春との差異である。「不特定」と関連して、須田判事は「いわゆる妾若しくは二号」について、こう論じている。
「両者の関係が固定的で一種の身分関係とも見得るような場合においては、両者間の性交取引は、特定男女間のそれとして、本法の関知するところではない。
つまり固定的な社会的身分関係としての“妾”であれば、その女性は売春婦とはみなされない。というのである。
だが、「中には両者の関係が売春婦とその相手方との関係に近い偶発的、浮動的なものもあると論述は続く。
「相手方との関係が終了すれば、さらに不特定の男性のうちの任意の一人と同様の関係を持つであろうことが予想されるような場合である。このような男女間における性交取引は、これがある程度の期間継続していたとしても、『不特定』の相手方のそれとして、『売春』に該当するというべきである。」
要するに、妾や愛人と、売春婦との境界線は、つきつめてゆくと限りなくゼロに近くなるのである。にもかかわらず、売防法は「特定の相手方との性交」つまり、妾や愛人との関係を、売春として規定しなかった。その点について、反対の論陣を張ったのは、九州大学の青山道夫教授である。
「妾関係も売淫関係も婚姻外の性関係ということに重点を置けば区別はない。(中略)一夫一婦制の純潔の価値体系からいえば妾も売淫もともに擯斥さるべき性関係である。(中略)
第三者が妾を斡旋して金銭を取得する場合、例えば芸妓置屋の女将が芸妓を特定の『旦那』にとりもつような場合はこれを罰することは決して不当ではあるまい。(中略)
私は、売春防止法がこのような場合を刑事処分から除外したのは、むしろ、現実の支配者層の意見を反映しているように思われる。婦女の貞操を商品化して利益を得る者に対して、婦女の相手方が特定か不特定かを区別して罰することは、極端にいえば、好色破廉恥なブルジョワジーを喜ばせる以外に何があろうか。(中略)将来の立法においては、売淫の定義に不特定の相手方との性交ということを削除すべきである」(「判例評論」)第十一号「妾契約と売春」)
再び思う。法律の言葉のもつ力、その規範力はおそろしいものだと。「不特定の」というたった四文字がもし削られていたとしたら、不倫や愛人関係、援助交際なども、今日のように公然と横行していたかどうか大いに怪しい。
売買春の絶対否定論者でしかも潔癖な一夫一婦制至上主義者であれば、この「不特定の」という言葉を削除した上で、売買春の当事者をも処罰すべきだと考えるだろう。しかし先述した通り、売防法には倫理規定しかなく、売買春の当事者に対する処罰規定はない。なぜなのか。前出の法務省の担当官は、こうこたえた。
「法律にはそれぞれ生い立ちがありまして、売防法制定当時は、売春斡旋業者を取り締まり、強制売春や管理売春を撤廃して、女性を保護することに主眼が置かれていました。当時、いろいろ議論がなされたようですが、結局、売春婦は社会的弱者であり、保護の必要があるとして、売春は禁止するものの、売春婦は保護処分にとどめ、売春行為の当事者は処罰しない非処罰主義を採り、売春を助長する者のみを罰するとしたのです。
売防法制定当時と、背景の社会情勢は変わったかもしれませんが、実態にそぐわないとして、改正を求める目立った動きは、今のところ政府内にも、国会議員の間にもありません」
売春といえば、管理売春であり、強制売春のことを指していた時代は、何が<悪>かを決定することは容易だった。売春斡旋業者は<悪>であり、売春をする女性は貧困や強要の<犠牲者>であって、保護し、更生させれば、それでよかったのである。しかし、現代では、そう単純に何が<悪>かを決定することはできない。
欧米では、売春の非処罰化からさらに進んで、売春婦の置かれている状況を変革するために、売春を職業として認め、性労働者(セックスワーカー)としての権利を保障せよと主張する女性たちの団体が、登場してきている。
たとえば、七三年にサンフランシスコでCOYOTE(売春に関する全米特別対策委員会)を創設した元看護婦のマーゴ・セント・ジェームズは、社会心理学者のゲイル・フェターソンらとともに、八五年に売春婦のための国際組織ICPR(売春婦の権利のための国際委員会)を組織した。ICPRは八五年にオランダで、第一回世界娼婦会議を開催している。彼女たちに言わせれば、売春婦の、労働者としての権利を認めないことこそ<悪>なのだ。
性的自己決定権にもとづき、合法的な労働として売春をする権利を承認せよという、彼女たちのラディカルな主張は、売春婦の存在を、男性による女性差別と抑圧の象徴とみなし、売買春廃絶を唱えてきたフェミニストたちを困惑させている。日本でも、ミスコン批判から「性の商品化」批判へと射程をのばしてきたフェミニスト陣営と、性的自己決定権を認めるべきだとする論者の主張とがぶつかりあい、熱を帯びた論争が展開されつつある。
セックスワーカーの是非については、稿を改めて論じる予定なので、ここでは深入りせずにおく。
日本における非処罰主義について、話を戻そう。
高橋省吾・東京地裁判事は、前出の『刑事裁判実務体系3』所収の論文「売春の禁止」の中で、売防法の立法思想についてこう述べている。
「売春防止に関する立法思想には、売春それ自体を処罰をもって禁圧しようとする禁圧主義、売春行為それ自体は処罰しないが一切の公娼制度を廃止し、管理売春をはじめとする売春助長行為を処罰しようとする廃止主義、及び一定の条件の下に売春営業を認め、これを公の規制下に置くことにより弊害を少なくしようとする規制主義の三つがあるが、日本など廃止主義を採る国が大半であるといわれている。
また、わが国か加入している『人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約』も単純売春の処罰を求めていない」
日本も先進国の一員らしく、非処罰主義を採用して、足並みをそろえているというわけだが、しかし考えてみるまでもなく、それは法律上、形式的にそうなっているというだけにすぎない。性産業の現状と行政当局の取り締まりの実態においては、日本は明らかに規制主義である。
売防法と並び、日本の性産業を取締る日本の柱の一柱である風適法(「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」)は、性産業を管理下におくことをねらいとした「業法」であり、その目的は同法の第一条にあるように、「善良の風俗と正常な風俗環境」の保持と、「少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止」することにある。
先述した通り、現行法制下では、売防法で禁じられた「性交」は狭義の性器結合のみである。いいかえれば、性器結合以外のありとあらゆる性行為の「商品化」が許されており、そうした「本番」以外の性的サービスを提供する業者は、風適法によって規制され、当局の管理下におかれているのである。これを規制主義といわずして、何というのだろう。
しかもこの「規制」は、たいへん物わかりがよい。業者が新しい性的サービスを開発して供給した場合は、決まって少し遅れて風適法の改正が行われ、無規制だった新サービスに規制がかけられる。しかし、規制とはいっても、実際には既成事実化した新業種の追認にとどまるのである。四十年にわたってそうしたイタチごっこが繰り返され、その間に性風俗ビジネスは、合法の射精産業として、着実にその版図を拡大し続けてきた。
現在、風俗産業の年間売り上げは、裏風俗を含めると、一兆五千億円から二兆円。一説によれば三兆円近くにのぼるともいわれている。この増殖と隆盛は、売防法による禁止領域をミニマムにとどめ、同時に風適法がセックスビジネスのどん欲な版図拡大を寛容に容認するという、二重化された政策基準がなければ、決してありえなかっただろう。そうしてこうした二重基準の政策によって膨張した「商品化された性は」、「商品ではない性」の在り方にも確実に影響を与えてきたのである。
新宿・歌舞伎町。ネオン街に隣接したラブホテル密集地に建つマンションの、ある一室。ソファがおかれ、電話がひかれているだけの2DKの部屋に、〈性〉の匂いはまったく嗅ぎとれない。ここは、この四月一日に十四年ぶりに行われた風適法の大改正により、届け出営業が認められるようになったデリバリー・ヘルス(宅配型ファッションヘルス、通称デリヘル)の『FuPuBuエディ倶楽部』の事務所である。
「お客さんからの問い合わせは頻繁にかかってきますが、仕事になるのは一日に十件くらい。まだまだですね」
と、『エディ倶楽部』のマネージャーの村西透(「すける」、業界内における通り名)は語る。
「四月二十二日に、届け出を出して開業しました。新業種ですから、お客さんに浸透するまで時間がかかる。立ち上げは苦しいですよ。現在は、女性の取り分を別にした売り上げは、一日に十万円から二十万円。これだと広告宣伝費をのぞくと、赤字なんですよ。
宣伝効果はチラシが一番大きい。でも、風適法の改正でチラシが許されなくなりましたから、スポーツ新聞や風俗情報誌などに出す広告に頼らざるをえなくなった。これが高いわりには、チラシと比べて効果が小さい。風適法の改正で一番儲けたのは、広告業者と一部マスコミでしょう(笑)」
公衆電話ボックスに貼られたり、マンションなどの郵便受けに投げ込まれていたピンクチラシは、たしかに最近はあまり見かけなくなった。今回の風適法改正の狙いは、苦情の多かったピンクチラシを一掃することにあったといわれており、環境美化という点では、一時的にかもしれないが、奏効したといえる。
業者にしてみれば痛手かもしれないが、引き替えに宅配型風俗の法的な「認知」を手に入れたことは大きい。私的な空間にまで、「商品化された性」が上がりこむことが許されたことで、性商品が売買される現場はもはや、歌舞伎町や吉原のような盛り場=悪所に限定されなくなった。今やあらゆる空間が性売買の現場になったのだ。
制約が無くなったのは、空間だけではない。時間の制約も撤廃された。店舗型風俗産業は、深夜零時までの営業が午前一時に延長されたにとどまったが、非店舗型は、時間制限なし、二十四時間営業が認められたのである。
前出の『エディ倶楽部』の村西マネージャーは、「大変な前進ですよ、これは」と語る。
「場所の規制も、営業時間の規制もない。これからは原則的にいつでも、どこでもプレイできるようになったんですから。時間制限が無くなったのは特に大きい。深夜でも、デリヘルならば、遊ぶことが可能になったわけです。実際、ウチでも営業時間のピークは十時過ぎから午前三時頃までです。
店舗型風俗が無くなることはないにしても、宅配が、これからの風俗の主流になってゆくんじゃないですか」
それまで、派遣型の風俗産業の代表は、「本番」を売りものにした非合法のホテトルだった。この場合、客がホテル(主にラブホテル)にチェックインしてから電話をし、女性を呼ぶ形式が一般的で、自宅に呼ぶことはほとんど考えられなかった。
「非合法のホテトルの場合、お客さんも名前や住所を伏せておきたい。だから自宅ではなくラブホテルを使う。女の子にしてみれば、一人でホテルへ行くのは怖い。実際に暴行されて殺されたり、縛られ、現金を奪われたりといった事件が過去に起きていますから。安全じゃないと、若くて質の高い女の子は集まらない。
合法化されれば、お客さんも安心して自宅に呼んで遊ぶことができる。また、女の子の方も安心です。自宅ならば万が一、お客さんとトラブルになっても、私たちが女の子を守ってあげられますから。そうなれば、安心して働けるから、いい女の子が集まるようになります」
目算通りにいくかどうかはわからないしが、客と女の子の双方にデリヘルのメリットが浸透すれば、好循環が巻き起こり、ブレイクする。という読みである。
デリヘルが業者の狙い通りブレイクするかどうかは、私の関心の外にある。しかし、デリヘルというビジネスが成立する社会背景と、その影響については無関心ではいられない。
風適法の改正後、デリヘルの開業を届け出た業者の数は、全国で約一千社といわれているが、申請のあった営業所の設置場所は、東京を筆頭に圧倒的に大都市圏に偏っているという。なぜか。理由は簡単なことだ。大都市圏にシングル世帯が集中しているためである。自宅に風俗嬢を呼ぼうとする客の大半は、家族と同居していない、一人暮らしの独身男性である。要するにデリヘルというビジネスが成立する背景には、ひとり暮らしの独身男性の増加という未婚化現象があるのだ。
東京都生活局が九十八年に行った調査によると、東京都では、単独世帯が百八十九万世帯で、全世帯数のなんと三八%を占める。この比率は、もちろん全国で一番高い。しかも単独世帯は今後も緩やかに増加し、二〇〇五年(平成十七年)には、二百三万世帯に達する見込みという。
少子化の原因となっているこうした未婚化・晩婚化というトレンドによって、ひとり暮らしの不便を補うサービスの需要が生まれ、コンビニやコインランドリー、ファミレスをはじめとする外食産業、便利屋やハウス・キーピング・サービスなど、家事労働を部分的に外部化して代行するサービス業が着実に成長をとげてきた。こうしてシングル生活のための外部環境が整ってくると、単身で都市生活を送る独身男性の、無理をしてまで結婚相手を探そうとする情熱は、ますます薄れてゆくことになる。
あとに残るのは性的欲求の充足の問題だが、それも性産業の伸長によって、半ば解消されつつある。とりわけデリヘルは、自宅で恋人と過ごす気分を擬似的に味わえるため、一人暮らしの寂しさを紛らわす効果をもたらすことだろう。
「現代の性風俗のキーワードは『癒し』でしょう」と、風俗情報誌の「ナイタイ・スポーツ」紙の山田鉄馬編集長は話す。
「現代人は皆、ストレスを非常に溜め込んでいる。日常のそうしたストレスを、一方では、イメクラのヴァーチャルプレイやSMクラブでのアブノーマルプレイなど、非日常的なプレイで発散し、自分を開放する。それが癒しになる。
他方では、過激なプレイとは正反対に、必ずしもヌキをメインにしないソフトな風俗が増えてゆく。かつては風俗に『非日常の快楽』を求める傾向が主流でしたが、今は二極化している。片やイメクラ、SMなどで、より過激に『非日常』を追求し、他方では、逆に限りなく『日常性』に近づきつつあるんです。出張ヘルス(デリヘル)はその代表で、オプションとしての客のリクエストによっては、料理や掃除のボランティア・サービスがプラスされることもある。これも癒しを求めている、現代の男性たちのニーズにこたえるものです」
大事なことは、料理や掃除などの家事の代行サービスを、機械的に提供するのではなく、「普通の女の子が自分の部屋に遊びにやってきて、自然に料理や掃除をしてくれた」かのような疑似恋愛感情を気分が味わえる演出が重要なのだ、という。
「こういうお客さんは、女の子とのふれあいを求めていて、ヌキそのものには重きをおかない人も少なくない。昔なら考えられませんが、女の子の柔らかい肌にふれ、自分の話を聞いてもらうだけで満足するんです。これは、社会的なストレスや、TVゲーム、ビデオ、インターネットなどのヴァーチャル文化の影響による、若い男性のおタク化が背景にあります。
ナンパもできない、口説けない、女の子と話もできない、そういう男性が、風俗にきて、生の女性の感触を味わい、癒され、満足して帰る。彼らは自分の興味のある話題だったり、得意分野だったりすると饒舌なんですが、いったん話題が変わると、とたんに無口になってしまうそうです。彼らはある種、病んでいる今の時代を象徴しているのかもしれません」
若い客に「向上心」――おかしな表現だが――があれば、性愛のレッスンの場として風俗が機能することが、ひょっとしたらありうるかもしれない。しかし話を聞く限り、彼らに他者との接触を通じて学習しようとする意欲は、きわめて乏しいように思われる。「日常」にもっとも近い風俗であるデリヘルが浸透していけば、自宅に引きこもっている若い独身男性にとって、結婚という難事業に乗り出す動機づけの機会が、またひとつ消えることになるかもしれない。
「私、かなりおくてなんです。初エッチ?遅いんですよぉ。十八歳の時なんです。プライベートでエッチしたのも、まだ五人なんです。少ないでしょう」
三週間前から『エディ倶楽部』で働き始めたさつきという女の子は、おずおずとした様子でインタビューに答えた。二十歳というが、丸顔の童顔にはまだ少女の面影が残る。
「風俗はじめたの、最近ですよ。去年からです。動機ですか?親とケンカして実家にいづらくなっちゃって、一人暮らしをはじめたんですよ。最初はレストランで働いてたんですけど、仕事がきつくてやめちゃったんです。それでもっとラクなバイトないかな、と思っているときに、風俗で働いてた友達から誘われて、まあいいかなと思って、ヘルスとか性感とか、ちょっとずつ働いては、やめて、またやりだしてとか。
今もここと店舗型のヘルスをかけもちしてます。でも働き安さは、断然、こっち。お店だと、個室の中にずっと閉じこめられていて、息がつまってくるんです。そのうち、自分は何をバカなことしてるんだろって、精神的に不安になってくる。
でもデリヘルだと、事務所に待機していなくていいから、そんなに不安にならない。携帯をもって新宿近辺にいるんだったら、どこにいてもいいので、ぶらぶらとウィンドー・ショッピングしたり、本屋に行ったり、ご飯を食べたりしていればいいから、すごくラク。家が新宿に近ければ、自宅で待機していればいいんで、もっとラクなんだけど……」
同席していた村西マネージャーが、「デリヘルは、女の子本意のシステムでもあるんですよ」と解説を加える。
「今の若い娘は拘束を嫌いますから。 自分の生活を大事にして、そのあいた時間に風俗でバイトできればいい。そういうバイト感覚の娘ほど、シロウトっぽいということで、お客さんに好まれるんです。風俗になれてしまって、プロっぽくなると敬遠されてしまうんです。だから、女の子には気楽なバイト感覚でやってもらってます」
敷居が低くなればなるほど、風俗に縁の無かったような女性の参入機会が増える。その中には、プロ意識をもたず、この業界に長居をせずにやめていく者も少なくないだろう。風俗は、女の子の出入りが激しいというが、その傾向に拍車がかかるに違いない。
客と業者にとっては、「素人」に近ければ近いほどいいのだろうから、そうした傾向は大歓迎に違いない。しかし、セックスビジネスに嫌悪感を抱くような潔癖なタイプの男性にとっては、それは悪夢以外の何ものでもないだろう。風俗体験のある女性の絶対数が増えれば、ごく普通のOLや学生だと思ってつきあい始めた女性が、元風俗嬢だった、などということが珍しくなくなるからである。
現役東大生で、ランパブ嬢の高橋さやかという女性が、『オンナたちの「体験取材」2』というムックでこんな手記を書いている。
「女は、男たちのように”輝き”を努力や競争によって手に入れる必要がない。
私が風俗に引かれる理由はここにある。女は、女という資格によって風俗の世界に『まったり』と身を浸せば、そこでは誰もが受け入れられ、一般社会に比べ、はるかに平等に扱われる(中略)。しかも、風俗は単に精神的な癒しの場であるだけではない。きちんとした経済的基盤を伴っているのだ(中略)。女の生の古典的な二分法によれば、女には良妻賢母か娼婦か、という生き方しかなかった。しかし、ここで働く女たちは、確実にその両方の世界を横断するだろう。(中略)この事実が帰結することはなにか。日本の男たちが、将来において結婚するとき、妻が風俗や売春の経験者であるということは、珍しいことではなくなるだろう。しかも(中略)、彼女たちは結婚しても、何らかの性産業に関わり続けるだろう。それは、女の生を良妻賢母と娼婦に分断していた規範が曖昧になったことの一つの成果なのである」
この女性ライターの見通しが、現実のものになれば、貞淑な良妻賢母タイプの女性を妻に求めるような男性の何割かは、結婚そのものを諦めることだろう。そして残念ながら、彼女の見通しは、おそらく間違ってはいない。
「結婚は、今は全然考えてないです」
と、前出のさつきは語る。
「彼氏ができても、当分は結婚しない。やっぱり自分が自立できるだけの生活力が身に付いてからでないと、分かれたときに困るから。
夢は調理師になることなんです。専門学校で調理師の勉強してましたから。レストランで一度働いて挫折しちゃったから、もう一度トライしたい。
風俗は、もう少し働いてお金が貯まったらやめると思います。もし、調理師の仕事が続かなかったら……ウーン、風俗に戻ってくると思う(笑)。そうしたら三十歳くらいまで、ボロボロになるまで働いて、お金貯めてから引退します。結婚も、その頃にはしたい。
結婚後は風俗の仕事はするか?たぶん……すると思う(笑)。旦那に隠れてこっそりと。浮気も……たぶんする。だって、この仕事やってから、男の人の裏を全部見ちゃったから。真面目そうな人でも、風俗にくるんだなってわかったし。もう幻想なくなっちゃったもん。男の人が風俗通いするんだから、女だって浮気もするし、風俗のバイトもしますよ」
嘆息するのは、まだ早い。人妻の性の「商品化」は、将来ではなく、いますでに現実となってしまっている。その現状について、次回はレポートする。
(以下次号に続く)