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〔9〕非婚の母の「偉大なる抵抗」


 知人のフリーライターの女性から、久しぶりの電話がかかってきたのは、ちょうど一年前の十月のことだった。

「急な話ですけど」と、受話器の向こう側の彼女が話を切り出した。

「実は私、結婚することになったんです。相手は、最近知り合った三十四歳のサラリーマンです。ええ、子供達の父親じゃありません。あの人とはこれできっぱりと別れるつもりです」

 彼女の名前は、S子としておく。二十八歳。主として育児雑誌などに寄稿しており、私生活では二人の子供を抱える非婚のシングル・マザーである。子供たちの父親は、三十七歳の自営業者。子供の認知はしており、養育費も負担しているが、入籍はしていない。 

 二人が籍を入れていないのは、知り合ったときすでに、彼に妻がいたからだった。S子は、既婚の男性と恋に落ち、子供を産んだのである。何もかも、お互いに納得ずくのはずであった。

「……私、嘘をついていたわけではないけれど、お話していなかったことがあるんです」

 結婚したら、夫と一緒にアメリカへ行く予定で、しばらく会えなくなる。それまでにきちんと話しておきたい、と言う。是非もない。私たちは、彼女の自宅近くで会うことにした。




 中野坂上駅(東京都中野区)の近く、青梅街道沿いのファミレス。秋晴れの空高くから、ウィンドー越しに、柔らかい午後の陽射しが降り注いでいる。バイクのヘルメットを小脇に抱えたS子が、定刻通りに現れた。

 「新世代のシングル・マザー」として雑誌に取り上げられた時も、彼女はバイクにまたがる姿でグラビアに登場した。男への恨みつらみに凝り固まっていたり、自分の身の上を嘆いていたりする「悲しい未婚の母」のイメージが自分にまとわりつくのを嫌っていたのであろう。育児雑誌に掲載された彼女のコラムも、軽いタッチの文体で綴られている。

「私がシングル・マザーの道を選んだのは、ただ単に子どもを育てたいからという理由。(中略)大好きな彼の子のママが私で、その子と遊んだりして育ててゆけたら楽しいだろうなと思っただけです。

 愛しのダーリンには奥さんがいます。私のことも好きでいてくれるけど、長年連れ添った奥さんと別れる気もないそーです。(中略)できれば子どもは夫婦そろって育てるのが理想でしょう。でも子どもを持つためには、結婚してなくちゃいけないというのは固定観念に過ぎないんじゃないかなぁ。

 心配だけど、やってみりゃ案外簡単かもよ。(中略)子どもができればだれもが『お母さん』なんですもの。明るい母子家庭を目指しましょう!」

 御覧の通り、彼女の文章を読む限り、まるでルサンチマンなど、無縁であるかのようである――。

「みじめで、かわいそうな女、という目でみられるのが耐えられなかったんです」と、S子は語った。

「同情されるのが嫌で、シングル・マザーになった経緯について、本当のことを人に話してこなかったんです。

 でも、もう肩肘を張る必要がなくなりました。喋っていなかったことを、お話してもいいかなと思うんです」




 子供の父親である男性と知り合ったのは、約五年前。彼は、彼女の行きつけのバーでマスターをしていた。

「納得ずくで不倫の関係になったわけじゃない。彼は最初、自分のことを『バツイチだ』と説明していたんです。ところがそれは、真赤な嘘でした。彼には奥さんがいたんです」

 不倫といえども、守るべきモラルがあるはずだ――そう書くと、不倫という言葉自体が「倫理の欠如」を表しているのだから、そこにモラルを求めるのは矛盾している、という突っ込みが入りそうである。だが、恋愛関係に至る前に、自分が既婚者である事実を告げるのは、やはり、相手に対する最低限のモラルやマナーのはずだろう。なぜ、彼は最低限のルールも守らず、そんなくだらない嘘をついたのか。

「あとでわかったとき、『騙してでも、つきあいたかった』と言われました。身勝手な人なんです。都合のいいときだけ人を利用して、都合が悪くなると手の平を返す。 

 彼からはずっと、『二人の子供が欲しいね』って言われていました。彼は、きちんと避妊しようとはしなかった。『子供ができたら産んでくれ。僕と結婚しよう』と言ってたんです」 

 避妊のルーズさは、彼の責任をとる覚悟のあらわれであり、自分に対する愛情の証なのだろうと、S子は錯覚していた、という。

「だから私も安心していたし、子供ができたときにはやったー! と思った。当然、彼も喜んでくれるものと思って、ルンルン気分で『妊娠したよ』って告げたら、反応が予想とまったく違う。暗い声で『ヤバイ……』って。喜ぶどころか、私に『で、どうすんの。産む気なの』と問いつめる。全然、話が違う」




 彼は、手の込んだ騙し方をしていた。都心のワンルーム・マンションが自宅で、世田谷に実家があり、時々帰っていると彼女に説明していたが、実際には、世田谷の家は、妻と同居している自分の家であり、ワンルームは「ひとり暮らしの独身男性」を偽装するために借りた部屋だったのである。

「私もうかつだったなと思います。マンションには洗濯機とか、家具が全然ないので、変だなとは思いましたけど、コインランドリーもあることだし、独身男性の生活なんてこんなものかなと深く追及しないで、彼の言葉を素直に信じてしまったんです。

 彼は嘘がバレると、次々と言い訳をはじめました。『僕が妻帯者だと、君は知っていてとぼけていると思ってた』とか、『普通なら嘘だと気づくはず。気づかない方にも責任がある』とか。そのうえ、『頼むから堕ろしてくれ』と言う。自分さえよければいい、他人のことを考えない。結局彼は、自分のことが一番可愛い人なんです」

 妊娠期間中、彼はずっと『堕ろせ』と言い続けていたという。彼女にとってとりわけショックだったことは、妊娠八ヶ月目にさしかかった時に投げつけられた「死ね」という言葉だった。

「彼のマンションに行ったら、いきなり罵倒されたんです。『来るな! お前の顔なんか見たくない! お前のせいでこんな目にあっているんだ!』って。そのうえ、『頼むから、母子ともに死んでくれ』って言われました。彼は躁鬱が激しい人で、その日はとりわけブルーだったんでしょうけど……」

 いくら気分の波があったとしても、言っていいことと悪いことがある。

「母子ともに死んでくれ」とは、妊婦に向かって投げつける言葉ではない。

「もちろんショックでしたよ。妊娠中は、毎日泣いてました。夜になると、さて、そろそろ泣くかって感じで、中島みゆきをかけてから泣く(苦笑)。泣くのはもう、日課でした。 

 でも、どんなにひどいことを言われても、子供を産む決心だけはぐらつかなかった。なぜか? 子供が欲しかったの一言につきます。私、結婚願望よりも出産願望の方が強いんです。子供を産み育てることを抜きにした結婚なんて考えられない。

 昔、つきあっていた彼氏に、『結婚しよう。ただしDINKSでいこうよ』って言われたことがあるんです。えっ、とか思った。子供をつくらないDINKSなら、籍を入れる必要はない。同棲でいいじゃないと思った。」




 好きな男と暮らすことと、出産は原則的に別のことというS子の論理は、至極まっとうである。

 しかし、疑問もないではない。「死んでくれ」とまで言われたにもかかわらず、彼女は彼との関係を続け、第二子までもうけた。なぜなのか。

「子供がいたからです。他に理由なんかありません。子供がいなければ、彼が既婚者だとわかった時点で別れていたし、最初からそうと知っていれば、つきあわなかった。

 下の子をつくったのは、上の子に同じ血を分けた兄弟がいないとかわいそうだと思ったからです。私にもしものことがあったら、一人ぼっちになってしまう。それに、もし私が別の男性と結婚したら、父親の違う兄弟ができるわけでしょう。もしも兄弟不仲になったら、この子だけ孤立してしまう。両親とも同じ血を分けた兄弟がいると心強いんじゃないか、と思ったんです」

 何という深謀遠慮だろう。いつか別の男性と結婚する日がくるかもしれないと考え、第二子はいわば「戦略的」に懐妊したというのだ。

 舌を巻くと同時に、私は怪しんだ。本当に当時そこまで、先を見越していたのだろうか。

「考えてました。何よりもまず第一に、彼が奥さんと別れ、私と一緒になることはないとわかっていましたし。

 出産してから、彼と彼の奥さんをまじえて、三人で話しあったこともありました。でも、奥さんには彼と別れる意思はまったくなかった。年齢の問題もあります。彼女の方が十二歳も年上で、来年には五十歳になる。しかも、彼女には子供がいない。だから彼女にとっては、彼がすべてなんです。そういう女性から彼を奪うことなんてできないな、と思いました。」

 彼女の父親が彼と会い、「責任をどうとるのか」と問いつめたこともあり、子供の認知と養育費の問題だけは、スムーズに話がついたという。

「下の子が産まれてからは、彼とは男女の関係はなくなりました。それでも、他の人とつきあうことにはなかなか踏み出せなくて……。最近になってからです。女としての自分の人生を踏み出していこうと決めたのは」




 今度結婚することになった男性とは、インターネットの独身者サークルで知り合った。情報システム会社でSA(システム設計)として働いている彼が、駐在中のニューヨークから、一時帰国した折に、タイミングよくオフ会が開かれたため、顔を合わせることができたという。

「バイクが趣味ということで、話が合って、二人でツーリングに行ったんです。ラブラブの恋人気分、というのではなかったですね。彼は骨っぽいんですよ。私が今までつきあってきた男たちとは違う。三回目のデートの時に、ああ、こういう人と一緒に生活していけたらいいな、と思ったんです。恋よりも生活が先にきた(笑)。

 それで思いきって私が自分の気持ちを打ち明けたら、彼も『同じことを考えてた』って。それからとんとん拍子にことが運んだんです」

 惹かれあう要素を、二人はもともともっていたのかもしれない。

 彼には離婚経験がある。ただし、子供はいない。前妻が子供をかたくなにのぞまず、子供を欲しがっていた彼と対立し、破局を迎えたという。彼の目には、結婚をのぞんで出産をのぞまなかった前妻と、出産をのぞんで結婚を犠牲にしてきたS子は、対照的な存在に映ったに違いない。

「彼は『子供をつくりたいと思ってたけど、最初から子供が二人もいるのも、悪くないかな』って言ってくれたんです。恋愛しちゃうと、男を見る目がくもってしまう私ですけど、今度は恋愛から入ってないので、ま、今までよりは長くもつかな、と思ってます」

 四ヶ月後、S子から再度連絡があった。子供の父親との話し合いは、はじめのうち難行したものの、最終的に先方が子供を籍から抜くことに同意し、円満解決がはかられたという。

「いろいろとお世話になりました。ありがとうございました」

 FAXで、手紙を送ってきた彼女は、今年三月に子供を連れてNYへ旅立っていった。彼女はもう、「シングル」ではない。




 日本では、全出産数に占める非婚の婚外子の割合は、95年時点では1.2%にとどまってる。75年は0.8%、85年は1.0%だったから、年々、微増の傾向にあるが、欧米先進諸国と比べれば格段に低い。前出のS子のようなケースは、まだまだ少数派に属する、といっていい。

 とはいえ、こうした傾向が今後も続くかどうかは、わからない。今後は、ひょっとしたら非婚のシングル・マザーの数が増えるかもしれない。そう考える根拠は、未婚率の上昇にある。

 30歳から34歳の女子の未婚率は、75年時点では7.7%だったが、10年後の85年では10.4%。さらにバブル期をはさんで10年後の95年時点では、一気に19.7%にまで急上昇した。また、いわゆる「マル高」のラインを迎えた35歳から39歳の女子の未婚率は、75年には5.3%、85年は6.6%と、大きな変化はなかったが、同じくバブル期をはさんだ10年後の95年では、10.0%と倍増している。この10年間で晩婚化の傾向に急激な拍車がかかっているのである。

 こうした三十代の未婚女性たちの多くが、生涯を通じて非婚を貫くとは、考えにくい。今は独身でも、四十代になってから、あるいは五十代に入ってからでも、人生の伴侶を求めて結婚することは大いにありうる。結婚には死ぬまで生物学的限界はないのである。

 だが、出産となると話は別である。子供を産むには出産可能年齢という生物学的限界が存在する。結婚年齢が高くなればなるほど、その結婚が出産に結びつく可能性は低くなってしまう。

 かくて結婚・出産という選択を回避してきた女性たちは、三十代も終わり近くになって、ぎりぎりの問いに直面することになる。時間切れとなって、出産を断念せざるをえなくなったとしても、「出産の前に結婚ありき」という、伝統的な規範をかたくなに順守すべきか、それとも一緒に後半生を過ごす男は、あとでゆっくり見つけるとして、〆切り前に駆け込みで受胎し、子供だけはひとまず産んでしまうか。そのどちらを選ぶべきか――。

 規範の拘束力が強かった今まではともかく、今後は後者の生き方を選びとる女性達が出てきても不思議はない。具体的なケースを紹介しよう。

 橋本ヒロ子(仮名)が、37歳で非婚のまま長男を産んだのは、約半年前のこと。彼女は、出産可能年齢のリミットを明確に意識して出産を決断した、という点では、典型的な後者のケースに相当する。




 待合せの場所にベビーカーを押しながら現れた彼女は、息子が可愛くてたまらない様子である。

「子供ができて、そりゃ嬉しいですよ。半ばあきらめたこともありましたから。実は私、二年前の97年に子宮筋腫と診断されたんです。それもかなり大きくて、手術をしなければ、近い将来、子宮癌になるだろうと、宣告されたんです。ものすごいショックでした。医者から『出産するなら、早目にお願いします』とも言われました」

 子宮の全摘手術を受ければ、子供は産めなくなる。半摘手術であれば妊娠・出産の可能性は残されるが、リスクが高くなることは避けられない。

「医者にそう言われた時、真っ先に思ったのは、アメリカ人だったらよかったのにな、ということでした。アメリカ人なら精子バンクで精子を買って、自分が欲しいときに自由に子供を産むことができるでしょ。

 もうひとつは、精子バンクのようなドライで合理的な考え方とは正反対なんですが、このままではウチの墓守をする人がいなくなっちゃう、ということでした。私には弟が一人いるのですが、子種がないと診断されているんです。ですから私が産まないと、橋本家には後継ぎがいなくなっちゃう。代々続いてきた血のつながりを、私の代で終わらせてしまっていいんだろうか。古い考え方ですけど、ご先祖様に申し訳ないという気持ちはやはりありました」

 手術に先立ってホルモン投与を受けなければならないことに心理的な抵抗があり、手術は結局受けなかった。そのかわり現在に至るまで、さまざまな自然療法を続けている。

「筋腫は今のところ悪化せず、逆に小さくなっています。結果論ですが、手術を受けないで良かったなと思ってます。全摘手術をしたら、この子はこの世にいなかったわけですから」

 彼女の子供の父親はどういう男性なのか、その点はひとまずおくとして、なぜぎりぎりの年齢まで、妊娠・出産せずに過ごしてきたのか、彼女の半生を順を追ってたずねた――。




 生まれ育ったのは、東京東部の下町である。19歳で父親をなくし、高校卒業後はアパレル業界で働きづめに働いてきた。

「中学・高校はお嬢さま私立でした。父親はある企業の役員をしており、父が元気な頃は、ウチの暮らし向きもそこそこよかったんです。ところが、父が癌で亡くなってしまうと、今まで通りには行かず、私は大学進学をあきらめざるをえませんでした」 

 時はちょうど80年。高度消費社会の幕開けの時代である。

「『何となくクリスタル』がベストセラーになったり、第一次ブランドブームが巻き起こった頃です。かつての同級生達は、『JJ』を片手に、ウエッジ・ソールの靴をはいて、ディオールやグッチなんかのブランドを身につけていた。そういう時に私は、スーパーの特価の2,980円のブラウスを買おうかどうしようか迷い、翌日、決心して買いにいったら、すでに売れてしまっていて悔しい思いをする、などという生活をしてたんです。

 だからお金が欲しい、女でも稼がなきゃだめだと痛切に思ったんです」

 この時期に、25歳までに達成すべき目標として、手取り20万円以上の給料をとること、肩書き付きの名刺を持つこと、ローレックスの時計を持つこと、マンションを買うことの四つを自分に誓った、という。

「最初はハウスマヌカンから始めて、営業に移り、段々とキャリアアップしていきました。アパレルはあの当時、急成長していたので、お給料もどんどん上がっていったんです.そのおかげでバブル直前の85年には、3LDKで1,980万円のマンションも買えましたし、四つの目標をすべて達成することができたんです.

 でも、欲しかったものをみんな手に入れてしまうと、何だか虚しくて仕方ない。彼氏ができても、仕事が忙しいので、なかなか会えず、三ヵ月くらいしか続かない。仕事以外に何もない自分に気がついて、はぁ〜とため息をついた。これじゃ、企業戦士のオヤジみたいだ、こういう生活は、もうやめよう、と」




 激務のアパレル・メーカーを辞めて、同じアパレル業界でも、土・日は休める卸問屋に転職した。仕事は楽になったものの、一時は手取りで約30万円あった給料が、約15万円まで下がってしまった。

「その分は、夜、カラオケ・スナックで働いて補いました。でも、夜のバイトも30歳でやめました。その年に、同い年の彼氏と結婚したからです」

 相手は、東京六大学の有名私大を卒業したサラリーマン。彼女の取引先の担当者だった。結婚といっても、挙式はしたが、入籍はしなかった。彼女の戸籍に、90歳を超える母方の祖母が扶養家族として入っていることに、相手の親が難色を示したため、という。

「入籍にこだわらなかったもうひとつの理由は、何となく直観でこの結婚は長続きしないんじゃないか、という思いがあったからなんです。直観は、結果的にあたりました。結婚前はまったくわからなかったことですが、彼はギャンブル狂だったんです」

 結婚前は、麻雀を少したしなむ程度だと彼自身は言っていたが、実際にはポーカー・ゲーム賭博に手を染めており、結婚した時点ですでに負債が300万円を越えていた。

「結婚式のご祝儀も、借金の返済の一部に消えてしまった。仕事ぶりは真面目だし、性格はおとなしくて優しいし、そんないいかげんな人には思えなかったから、ショックでした」

 ある土曜日の朝、見ず知らずの男達が、土足でどかどかと家に上がり込んできた。家財の差し押さえである。

「家の中はもう、メチャクチャです。『警察を呼ぶわよ!』と叫びましたけど、向こうは『呼べば。俺達は平気だから』って。亭主に『いったい、どういうこと!?』と迫ると、『実は、負けた分を取り返そうと思って、またポーカーをやり、逆に借金を増やしてしまったんだ』と言う。馬鹿じゃないか、と思いましたよ。結局、借金のために、会社も解雇されてしまいました」 

次の職場がどうにか決まった。仕事はハードだが高賃金で知られるS急便で、宅配ドライバーとして働くことになったのである。毎月の給料は50万から60万近くになる。今度は彼女が給料を完全に握り、借金の返済も計画的に行なった。ところが――。

「別のサラ金業者へ行って、また借金してたんです。その返済のため、私の宝物のローレックスや貴金属類まで、こっそり質屋へ持って行ってた。決定的だったのは、仕事でお客さんから集金したお金に手をつけたことです。これで、もう駄目だと思いました」

 質草のローレックスなどは、彼女が自分のお金で取り戻した。使い込まれたお金などを合計すると、損失は約1,000万円。彼からは、今に至るまで一銭も返してもらっていないと言う。

「性格の不一致や、異性の問題での離婚の方が、どれだけよかったか。お金でくっついたり、離れたりするのは、本当に嫌。自分が汗水たらして働いたお金をロスした分だけ、恨みや憎しみに変わるから」




 94年。結婚生活は2年でピリオドを打った。

「とにかくもう一度働き出さなきゃいけない。でも、同じような働き方をする気にはなれなかった。女は、休みなく働き続けるのは難しい。ずっと毎日働かなくてもすむように、『権利収入』を得られるようにならないと、いざという時に困ると思ったんです」

「権利収入」を求めて彼女が手を出したのは、家庭用洗剤などのマルチまがい商法だった。最初は好調だったものの、最後は在庫の山を抱え、今度は自分自身が多額の借金を抱えるはめとなってしまった。

「もう、目眩がしました。気がついたら800万円くらいに膨らんでいて。夫の借金に苦しめられたのに、まさか自分が、こんなことになるなんて、と。

 そんな時に相談に乗ってくれたのが、この子の父親だったんです」

 彼は三歳年上の41歳。仮に名前をTとしておく。離婚経験があり、前妻との間に3人、現在の妻との間に2人の子供がいる。知り合った当時は、中古車販売会社の経営者だった。

「事業の立ち上げの仕方をアドバイスしてくれ、最初の資本金も一時的にですけれど、貸してくれたんです。そのおかげで私は、96年の11月に自分の会社を設立することができた。今は家庭用情報機器の販売代理店を経営しています。借金もほとんど返し終えたし、育児に時間を取られていても年収700万円は入りますから。その点はたしかに、彼のおかげですよね。

 だからかな、彼に言い寄られた時に脇が甘くなったのは。それと、彼への同情もあったし。彼の奥さん、尋常じゃないヒステリーなんです」

 ジェットコースターのような人生である。「禍福はあざなえる縄の如し」とはいうものの、ここまで規則的に幸と不幸のアップダウンが繰り返される例も珍しい。借金苦から抜け出す糸口が見えて、ほっと安堵したのもつかの間、Tと男女の間柄になってからしばらくして、彼の会社が不況のあおりを受け、倒産してしまった。さらに悪いことには、二人の関係がTの妻に発覚し、彼女から凄まじい攻撃を浴びせられることとなった。

「彼女にも、お金を貢いでくれるパトロンの愛人外留。それなのに、夫に対してはものずごく嫉妬深い。私のマンションに乗り込んでドアを叩き、『出てこい! ぶっ殺してやる!』などと怒鳴る。私への脅迫電話なんて毎日です。ものすごく気性が荒い。彼の仕事が忙しい時に、帰りが遅いと言って会社に乗り込み、放火してボヤ騒ぎを起こしたこともある。ちょっとまともじゃない。

 そんな女とは、さっさと別れちゃえばいいのにと、私だけでなく、誰でも思うでしょう。ところが、彼は『子供が人質になっているから』という。彼女はヒステリーを起こすと、自分の子供に殴る蹴るの虐待を加えるんです。最初の頃はまさかと、半信半疑でしたが、後日、私もこの目で見ました。

 三人で話し合いの場を持ったときに、荒れはじめて、まだ二歳の自分の子供を壁に投げつけたんですよ。そればかりか彼にも殴りかかりましたし。彼は、彼女に指の爪を噛みちぎられたこともあったんです。信じられないかもしれませんが、本当の話です」

 話をしているだけで、アドレナリンがわき上がってくるのだろう。恐怖感と怒りとがないまぜになった興奮が、彼女からひしひしと伝わってくる。




 失礼な質問で申し訳ないですが、と私は彼女に訊いた。

 こんな厄介な事情を背負い込んでいる男性と、なぜあえてつきあい、子供までもうけたのですか――。

「普通ならつきあいませんよね。私もそう思いますよ」と、彼女は答えた。

「でも、その時には私は、医者から子宮筋腫と宣告されていた。自分にはもう時間の余裕はない、とわかっていたんです。何となくTとつきいはじめた頃から、自分は妊娠するだろうな、という予感がありました。予感というよりは期待だったのかもしれない。もちろん、意識の表面ではそんなことは考えてない。意識のレベルでは、やっぱり彼のことが好きだから、つきあっているわけです。

 でも、あとから考えてみると、無意識とか本能のレベルでは、子供を産むことに向けて着々と進んでいた、と思う。ふと気がついたら、産み分けの本や育児書を買っていたり(笑)。やはり40歳前にはなんとか産みたい、という気持ちが自分の中に強くあったんでしょう。もしも妊娠したら、それが私にとって最後の出産のチャンスになるだろうって思っていたし」

 予感なり、期待なりがあったとしても、いざ妊娠したとわかると、やはり気が動転した、という。

「妊娠が判明したのは去年の8月で、その一ヶ月前に、家を飛び出してきたTと一緒に暮らし始めていたんです。でも、今までの経緯から考えて、スムーズに奥さんと別れ、私と一緒になれるとは思えなかった。

 本当のことをいうと、堕ろそうと思ったんです。そのための手術の予約もした。でも、当日、予約した病院が緊急の出産や手術が入ったとかで、中絶手術を延期してくれっていわれたんです。でも、こっちはその気になっているから、延期したくないので、ハローページを見て都内の別の病院に駆け込んだんです。ところがそこで、超音波で胎児の様子を見せられたんですよね。まだ小さいのに指しゃぶりをしていた。それを見たら、泣けて泣けて。もう駄目、堕ろせないと思って。

 そこのお医者さんにも、思い直すように諭されたんですよ。

『もう一度、考え直してみたらどうですか。産める状況になったときに、子供ができるとは限りませんよ。』と――。 

 あの日、予約していた医者が手術をキャンセルしなければ、この子はたぶん産まれてこなかったでしょうね」

 その日以来、ものの考え方が大きく変わった。お腹の子にはお腹の子自身の運命があり、産まれてくる定めの子には、自分が産まれるための環境を作り出す運命の力が備わっているんだと、考えるようになった、という。

「妊娠中、Tの妻が押しかけてきて、彼を連れていってしまったんです。大きいお腹を抱えて、私は一人ぼっちになってしまった。彼が戻ってくるかどうか、すごく不安でしたけど、それもお腹の子の運命に委ねようと決めました。この子にとって、あの人が父親として必要ならば、なんとしても呼び戻すだろう。戻ってこないならば、この子にとって必要ないんだ、と。 

 結局、彼はそれっきり、帰ってきませんでした。これから先も、私たち母子のもとに戻ってくることはないでしょう。今はもうあきらめています」 

 以前占い師に「あなたは40歳を過ぎるまで結婚してはいけない」と言われたことがあるという。たかが占いではないかと思っても、「自分は子供に恵まれないのだろうか」と、ずっとその御託宣が気にかかっていた。だが、結婚=伴侶を見つけることと、出産は別のことだと切り離しさえすれば、この問題は解決できると気がつき、それ以来気持ちが楽になったという。




「子供に、いつもこう話しかけているんです。『君が3歳になって、ママが40歳になったら、新しい素敵なパパを、一緒に見つけようね』って(笑)。この子の父親に対する恨みつらみはありません。この子を授かったのは、あの人がいてくれたおかげなんだし。 

 私も少しだけ成長したんです。前の主人に対して、ずっと怒りや恨みの感情が消えないでいた。でも、そういう気持ちを抱いていると、自分も同じ目にあってしまう。現に、私も借金地獄に陥りましたし。今回のことでも、なんて自分は不幸なんだろうと、マイナスの感情を抱いたら、すごく危ないことになると思うんですよ。 

 一度だけ、この子を産んでから、育児ノイローゼ状態になったことがあるんです。Tの妻からさんざん嫌がらせをされ、精神的に滅入った時に、ほんの一瞬ですけど、(この子さえいなければ、私は楽になれるんだ)と殺意を抱いたんですよ。すぐに正気に戻りましたけど、人間の心って本当に恐ろしいものだと思いました。

 人を許すことができなかったら、自分が一番大切にしているものまで傷つけてしまう。恨みがましくって、未熟だった私という人間を、この子の存在が、成長させてくれているんです」

 未婚率の上昇という無味乾燥なデータの背後に存在しているのは、「気楽なままでいたいから、子供は欲しくない」というモラトリアム青年男女ばかりではない。子供の誕生を望み、そのための努力も惜しまなかったものの、巡りあわせに恵まれず、中年期に至ってしまった人々も存在しているのである。ここで取り上げたヒロ子にしても、結婚相手がギャンブル狂でなかったとしたら、おそらくは三十代の前半で母親になっていただろう。三十代後半まで、子供を産まずにいたのは、彼女一人の意思でも責任でもない。

「非婚の母の存在、婚外子の存在は、家族秩序の美風良俗を乱す」として、シングル・マザーとその子供に対する社会的差別を容認する人々が、今もいる。しかし、未婚のまま生きてきた人それぞれに、様々な事情があるのだ。シングル・マザーを十把一絡げにして「不道徳」呼ばわりする人々には、想像力と思慮とが欠けている。何よりも狭量である。

 ひとつの生命を誕生させようとする懸命な努力に対しては、顰蹙ではなく、祝福をこそ贈るべきだろう。何といってもこの時代に子供という「希少な公共財」を産む女性は、誰であれすべて少子化という破滅的な趨勢に対して、ささやかだが偉大な抵抗を試みた「英雄」なのである――本人の個人意識には、そんな大げさな自覚など寸毫もよぎったことがないにしても。




 さて、それでは一方、出産という営みの「傍観者」でしかない男たちは、この少子化時代に、どのような役割を果たすべきなのか。

 今日ほど、男たちが自信を喪失し、自らの役割を見失い、矜持を忘れてしまった時代はない。程度の差こそあれ、男たちの多くは、自らの無能と無力に傷つき、意気消沈してしまっている。そんな時代に、男として、夫として、父親として、パートナーとして、何もかも完璧な存在であることを求めるのは現実的ではないだろう。

 考えるべきことはまず、マキシマムではなく、ミニマムである。自分には大したことはできないと、自信喪失気味の男たちが、子供を産みたいと願う女性たちを前にして、最低限何をしたらいいのか。何ができるのか。 

 この問いを考えるためのヒントを与えてくれた女性がいる。数年前に非婚でシングル・マザーとなった、佐々木サト子(仮名・39歳)という女性である。本人との約束にもとづき、彼女の職業や家族構成等についての詳細は割愛する。東京在住で、高等教育を受けており、知的職業についているとのみ、記しておく。

「妊娠したとわかったとき、産める状況ではなかったんです。相手は外国人で、しかも妻帯者でしたから」

 都内のシティーホテルのラウンジ。ティーカップを口もとに運びながら、彼女は淀みのない口調でそう語った。

「普通ならば、そういう状況下で女から妊娠を告げられた男は、沈み込んだり、頭を抱えたりして、苦悩するものでしょう? そういう男の姿を見て、傷つく女性もいると思いますけど、もともと産める状況ではないとわかった上で、双方合意の上ですすめた恋愛なんですから、それは仕方がない。

 苦しむ男はむしろ、誠実なんだと思いますよ。誠実で、論理的な思考ができる男であれば、そこで安易に『産んでくれ』とは言えないはずです。 

 ところが、私の子供の父親は、あっけらかんと、『それは素晴らしい! 是非とも産んでくれ』と言ったんですよ。なんの躊躇もなく。もともと、知識人としては尊敬できるけど、生活者としては幼稚園児みたいなものとわかってはいましたが、それにしてもなんて能天気な奴だと呆れましたね」

「でも」と、間を置かずに彼女はこう続けた。

「呆れた反面、そう言われたことがものすごく嬉しかった。彼が、無条件に私の妊娠を肯定し、喜んでくれたことで、私はものすごく救われたんです。

 妊娠初期の妊婦って、心理状態がとても不安定になるんですよ。私自身は産むことに決めていましたけど、混乱もしていました.そんなときに彼は私の背中を、ポンと押してくれた。私が子どもを産めたのは、彼の『何とかなるさ』という無神経な能天気さ、『子供が産まれるのは、何にしてもめでたいことだ』という、前近代的で、無邪気な野蛮さのおかげだと思うんです」




 自分は彼とは正反対の性格だと、彼女は言う。よく言えば論理的で理性的。悪く言えば理屈っぽく、生真面目過ぎて、神経質。要するに「近代的」で「日本人的」なのである。 

「合理的で誠実な人間を、嫌いではない。中絶を選び取る男女についても、批判はしたくない。それはそれでやむをえない選択をしたのであり、認められるべき権利だと思いますから。

 でも、合理的な思考だけじゃ子供はつくれないとも思うんです。出産て、もっと原始的で、野蛮な決断がいるんですよ。そのことがよーくわかった。 

 今、少子化が進んでいるのは、色々な社会的理由があるかもしれないけれど、そういう野蛮さを持った男たちが少なくなってしまったからかもしれない。女が不安にならずに子供を産むためには、男からの肯定とか承認が必要なんですよ。たとえ、無神経で、実務に関してはまったく無能なお馬鹿さんでもいい。お腹に子供がいる女を愛して、産むことを肯定し、励ましてくれる男でさえあれば、女は勇気を奮って、子供を産めるんです」

 背中をポンと押されて、出産を決断した彼女は、一人で産み育てることを決意し、彼との連絡を絶ったという。

「産む決断をするにあたって、一番気がかりだったことは、彼の奥さんに知られないか、ということでした。私たち二人は、恋愛関係になった時から、ある意味で『確信犯』だったわけですから、つらい目にあっても仕方ない。

 でも、彼女は違う。彼女には罪はない。私が子供を産むことで、彼女が苦しむことだけは避けたい。彼は鈍感な男ですから、私たちが連絡をとりあっていれば、いつか奥さんにバレるだろう。だったら、いっそ完全に連絡を断ったほうがいいと思ったんです。

 再び連絡を取り出したのは、最近です。これは予定通りの行動。。日本人としてこの子を育てると決めたのだから、日本人としての土台をまずしっかりと固めないと。

 でも、息子にはずっと、父親のことを言ってきかせてきたんですよ。『お父さんは、遠い外国にいるの。とっても素晴らしい人で、尊敬できる人。君のことが大好きなんだけど、事情があって今は会えないの。大きくなったら会えるから、待っててね』って。

 友人を介して、彼にもこう伝えてあるんです。『あなたの息子は、ちゃんと立派に育ってますから、安心してください。あなたのことは、素晴らしい人間だと言っています。子供についてはすべて任せて下さい。そのかわりあなたには、何も要求しません。ただ、お願いがひとつだけあります。今度子供と会ったときに、あなたが判断して、この子に必要だと思う言葉をかけてあげてください』と。

 彼も喜んでいてくれているようです。来年になったら、父と子を引き合わせようと思っています」 




 子供の父親を「能天気」「無神経」「鈍感」「野蛮」等々、あらゆるレトリックを駆使してののしるけれども、彼女が口にする言葉には、一語一語に愛情がこもっている。女から「馬鹿」と言われながら、愛される男ほど幸せ者はいない。彼はすでにその時点で女に赦されているからだ。そして女に赦されるという「狭き門」を彼がくぐり抜けられたのは、大雑把とも丼勘定ともいえるおおらかで温かい情愛を、打算抜きで女と子供に注げる男だったからに他ならない。

 大急ぎでつけ加えておくが、男は子種をバラまいておいて、あとは女まかせにしておけばよいという話ではない。子供の誕生を理屈抜きに肯定する「野蛮な愛情」が何より必要だといっても、男が果たすべき扶養義務という「文明的な義務」が軽減されるわけではない。

 佐々木サト子の場合、たまたま彼女が賢明かつ有能であったため、男性からの援助をあてにすることなく、自立して子供を育ててこれたが、一般の母子家庭の場合は、男性からの仕送りや社会的支援なしでは、生活そのものが立ちゆかない。当然、精神的にも窮地に陥ってしまう。そして、そうした苦境にある母子は決して少なくない。

 次回は、一般のシングル・マザーの生活の現実をレポートする――。

(以下次号に続く)

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