「Number」 No.185 1987年12月20日 文藝春秋社
「どうです、未来都市みたいでしょっ、ねっ、ねっ。筑波大は日本のUCLAって言われてるんですよ」
半年前まで筑波大生だった週刊文春編集部のO君が、我々にしきりと同意を求める。ナビゲーター役を引き受けてくれたO君には申し訳ないが、私と林カメラマンにはにわかにはうなずけなかった。筑波学園都市の中央にある美しいペデストリアン・デッキに立ち、磯崎新の設計になるセンタービルのポスト・モダンぶりを振り仰ぎながらも、筑波おろしの寒風に身を縮めて、思わず「さぶい……」とつぶやいてしまうのであった。
さびし−−。何とさびしいところなんだろう、ここは。私は別に未来に行きたいとは思わない。日本のこんにちというものにしっかり足を踏んばって生きてゆきたい。日本のこんにちとは、たとえば気ぜわしい雑踏と慢性の渋滞道路と喧噪に満ちた都市だ。だが、ここはあまりにもそれらからかけ離れてしまっている。人がいない、空が広い、そのくせ道も建物も異様なまでにカネがかけられ、ピカピカに輝いている。人を尻ごみさせる、ブキミな輝きだ。
「筑波方面がどうも怪しい。調査してきたまえ」というナンバー編集部の指令で、東京駅発直行便の高速バスに乗った我々、筑波探検隊の第一歩は、おおよそそのようなとまどいに染めあげられたのであった−−。
筑波大の運動部が、やけに元気である。野球部は創部85年目にして初めて首都大学リーグで優勝をかざり、その勢いをかって大学日本一を決める明治神宮大会でも、あれよあれよと勝ち進み、初出場にして初優勝。もちろん国立大学初の快挙である。ラグビー部も負けていない。あの"重戦車"明治を、これまた創部以来初めて破り、早稲田をあと一歩のところまで追いこんだ。対抗戦グループの優勝戦線からは一歩退いたが、交流試合出場はほぼ手中に。名門サッカー部も、4年ぶりに関東大学リーグで優勝。他のクラブも強い。大学日本一になった柔道部、男女バレーボール、陸上。そしてバスケットボール、体操……。
なぜ筑波大の運動部は、かくもカクカクたる戦果をあげているのか。その秘密を探る、ということが本稿の第1テーマである。第2テーマは、このブキミなハイテク都市における学生の生態をつぶさに観察し、レポートすることにある。
さて、本題に入ろう。まず、「筑波大野球部はいかにして覇者となりしか」である。我々は、だだっ広いキャンパスの中を循環している無料の学内バスに乗って、野球部監督の功力(くぬぎ)靖雄助教授の研究室をたずねた。短く刈った髪には白いものも混じるが、いかにも熱血先生といった風情を漂わせた監督である。
「うちがここまでこれた原因は、3つあります。ひとつは、56年に専用グラウンドができたこと。2番目は推薦で優秀な人材が入ってきたことです」
筑波大の体育専門学群(筑波大では学部を学群と呼ぶ)では、1学年240名中の約30%が推薦入学者によって占められる。いずれもスポーツエリートばかり。彼らこそ、筑波スポーツパワーの中核である。野球部の推薦枠は2人。毎年5名前後を推薦でとるラグビー部やサッカー部などと比べると少ないが、これは野球が体専の正課として認められていないため。文部省の学習指導要領に定められた義務教育段階の教科として野球が取り上げられていないので、教員養成を主眼においた筑波では野球は"日陰者"なのだ。
"ナショナル・スポーツ"とも言うべき野球が、日陰者扱いとはちと解せないが、少数であっても推薦入学者がレギュラーの大半を占めている点では、野球部も他のクラブと変わりはない。
「……3番目は質の高い訓練。野球は筋書きのないドラマだからこそ、確率を追求することが大切なんです」
ナイター設備がないこともあって、一日の練習時間は2時間がせいぜい。この条件下で強いチームを作るためには、理にかなった無駄のない練習をしなくてはならない。そこで「野球は点を取られなければ負けない」という功力監督の野球理論にもとづく、守りを中心にした効率のいい練習体系が生きてくる。強制的なシゴキなど一切ない。疲労の限界まで練習することは、「体を痛めるだけ」だからだ。無意味な精神論の押しつけを廃し、すべてが理づめで運ばれる。
「うちは試合後のミーティングのとき、私の采配に対する疑問があれば遠慮なく発言させますよ。そのうえで納得いくまで采配の"意味"を説いてきかせます。うちの選手は頭も優秀ですから、のみこみはいいですよ」
功力理論と、筑波大野球部の「知的水準の高さ」が幸福な邂逅を果たした、その結果の優勝だったのである。
今度は野球部員に話を聞きに行った。いささか意表を突かれたのは、彼らのいでたちである。それぞれ思い思いのヘアスタイル。オリジナル・デザインのおそろいのスタジャン。一見すると東京の私大のミーハー・テニス・サークルあたりのノリである。体育会といえば、即座に坊主頭に学ランに押忍(オス)、の世界がイメージされるものだが、彼らにはそんな匂いがまったくない。
「上から押しつけられることがないので、のびのびやれました」というのはキャプテンの大間啓(まさる)君(4年)。彼も推薦組だ。
「以前は挨拶は『押忍』だったんですけど、今は『こんにちは』です。上下関係の最低限のけじめはありますけど、アットホームな雰囲気ですね。練習以外では思いっきり自由です」
1年生ながらレギュラーに定着している梶田茂生(しげお)君ののびのびした活躍も、そんな背景があってのこと。明治神宮大会の準決勝、対東洋大戦で9回裏にサヨナラヒット。同大会決勝の法大戦では延長10回裏にサヨナラホームランを放つという離れ業を演じたラッキーボーイ。
「いえ、じつは東洋大戦では9回裏2死まで2−0で勝っていたんです。ところが僕のエラーで同点。あのときは焦りました。完封目前の渡辺さんに申し訳ないことをしてしまったと……」
「気にしてないよ」と柔和な笑顔で後輩を気づかうのはエースの渡辺正和君(3年)。180cm、83kgの恵まれた体から143kmの速球をびしびしときめる、文字通りの大黒柱である。その実力を「慶応の志村以上だ」と高く買うムキもあり、すでにプロのスカウトからのアプローチもかかり始めている。
野球部員の誰にとっても、100点満点、大満足のシーズンであったが、一つだけ寂しかったことがある。それはこれほどの活躍にもかかわらず、球場へ応援にきてくれる学生の数がきわめて少なかったことだ。
「うちは実績ないですから、応援にきてくれなんて図々しいことは言えませんけど……」と謙虚な大間君であるが、
「正直に言えば、やはり応援してもらいたいですね。うちの大学には応援団もチアリーダーもないんです。六大学並みに応援してもらえたらどんなにいいだろうか、と思います」
甲子園で活躍、常に人々に注目される華やかさを味わってきた梶田君は、それだけによりいっそうガラ空きのスタンドがこたえるようだ。
「まわりが盛り上げてくれない分、ベンチの中で自分たち自身で盛り上げていかないと……。でも、応援されないってかなり寂しいですね」
応援してもらえない寂しさは、他のクラブの選手たちもしみじみ味わっている。
「早明の人気はすごいですよ。彼らと試合すると、スタンドでは向こうの応援一色なんですよ。『ああ、俺たちってホントに応援されてないんだなぁ」とつくづく思うことがあります」
と言うのは、ラグビー部の中里豊君(4年・プロップ)。昨年交流戦に出場したラグビー部は、今年も快調である。早大に3−0で敗れたのは惜しかったが、交流戦、そして全日本大学選手権と、雪辱のチャンスはまだ充分にある。高森秀蔵ヘッドコーチは、快進撃の秘密についてこう語る−−。
「昨年から学生に自主性をもたせて、すべての練習スケジュールを自分たちで組み立てさせているんです。これがよい結果を生んでいるようですね」
野球部同様、ラグビー部も練習時間は他の私学と比べて決して多くはない。量の不足を質で補うためにはどうしたらいいか、各学年の代表が集まってプロジェクトチームを組み、練習方法の改善について研究した。その成果が独特のサーキットトレーニング。
「これでずいぶんパワーとスピードがつきました。明治の重量フォワードとぶつかって互角以上に戦いましたからね。スクラムなんかはうちが勝ってましたよ」
スポーツを"科学する"ところが、筑波らしさの真骨頂。サッカー部のスローインもその成果のひとつだ。前方へ回転してから投げるこのウルトラCは、体専大学院の小野剛君と、体専学群4年の岩橋秀夫君の論文をきっかけに誕生した。名づけて「ハンド・スプリング・スロー」。普通のスローインより飛距離が1.5倍にのびるこの秘密兵器は、関東大学リーグでの対東海大戦で初公開された。見事にセンタリングに結びつけてゴール。東海大の選手たちは、あっけにとられてなすすべがなかったという。
「筑波はサッカーのエリート校なんですよ。もともとは力はあるんです。それを試合でいかしきれなかったのは、気持ちの問題なんです。今シーズンはミーティングを重ねてよく話し合いました。その結果、優勝へ向けて気持ちがまとまったのがよかったんだと思います」
そう語る平岡主将も、推薦入学のサッカーエリート。チームメイトの長谷川健太君(4年)とは、それぞれ帝京の主将、清水東の主将として高校選手権の決勝で競いあった中だ。高校時代にならしたそうそうたるスター選手で、レギュラー陣は占められている。個々人の素質と、スポーツに対する合理的な姿勢、そして部員同士のコミュニケーションの円滑さが、ここでも勝利を呼び込んだようだ。
筑波学園都市は、北関東の田園にぽつんと浮かんだ、いわば陸の孤島である。娯楽施設がきわめて少なく、遊ぼうと思ったら遠出を覚悟しなくてはならない。いきおい学生たちのオアシスは、大学周辺にある飲み屋に限られる(断っておくがあくまで飲み屋であって、カフェバーやレストランバーではない)。
夜更けに二、三軒のぞいてまわると、飲むわ歌うわ踊るわと、三拍子そろっためったやたらとにぎやかな女の子のグループに出くわした。筑波大女子ハンドボール部−−ここも強豪チームである。
「今シーズンは、全日本学生選手権の決勝で東京女子体育大学に負けて2位に終わりました。向こうは韓国のナショナルチームを引退したプレーヤーが2人、留学生として入ってたんです。彼女たちがいなければ勝てたと思うんですけど」
主将をつとめる中島華江子さん(4年)は、いかにも悔しそうな様子。女子ハンド部は「監督命令」で恋愛が御法度になっているため、みんなBFがいない(ことになっている)。そこで女子だけで思いきり盛り上がっていたというワケだ。
「他のクラブの女子は、だいたいBFがいます。相手はほとんど筑波の体専の学生ですね」
体専の学生は、一般の学群の学生や、他校の学生とほとんど交流がなく、知り合うチャンスがないという。したがってカップルの誕生はどうしても、体専同士の組み合わせにかぎられてくる。
「体専の学生と、他の学生との交流がまったくないことが、優勝しても学校全体で盛り上がらないひとつの原因なんです」
たまたま同じ飲み屋に同席していた体専大学院2年の嵯峨野君が、スルドク分析してくれた。
「交流する場所もないですし、機会もない。だから互いに無関心になってしまう。体専の連中は連中で、スポーツ一色の生活でしょう。彼らはスポーツなしの生活をイメージできないんですよ。つまりスポーツが労働化されちゃってるんです」
ナルホド。要するにワーカホリックの会社人間のようなものだ。そういえば話し合いで練習内容を改善していくあたり、QC運動に似ていなくもない。コンセンサスを重視し、組織内部のコミュニケーションには熱心だが、外部との関係を求めることには消極的−−。日本人がつくる集団というものは、不思議と似かよってくるものだ。考えてみれば、これもまたニッポンのこんにちであろう−−。
しかし、スポーツの試合というものは、本質的に"祭り"ではないのか。プレーヤーと観る者が一体となる祝祭こそ、スポーツの快楽ではないのか。スポーツからお祭り騒ぎを取りのぞいたら、その快楽は半減してしまうだろう。
野球部の優勝など85年に1度の出来事である。ハレー彗星より珍しいのだ。これを祭りにしない手はないのに、もったいない話である。我々は筑波の体専学生と一般学生と双方のために惜しむ。
筑波が強いのは、メジャー・スポーツばかりではない。ラグビー、野球、サッカー、バレー……ばかりが、筑波のスポーツではない。
ロス五輪銅メダル・元好美和子のシンクロナイズド・スイミング、山口香の女子柔道。射撃、水球なども、日本のトップ・レベルにある。スピードスケートの結城匡啓(ゆうきまさひろ、体専4年)は、現在大学チャンピオンであり、あの黒岩彰を追う存在と目されている。
バドミントンも、筑波大勢の台頭が注目されている種目の一つだ。
バドミントン部員、高田次郎。レギュラーの一人としてインカレにも出場。人文学類4年。体専ではない。
「体専以外の部員は多いですよ。医者になったOBも3人います。運動部としては異色でしょうね。新入部員は、コンピューターの扱い方を叩き込まれます。試合の分析などに役立てるためです。
指導陣も、様々な分野や経歴の人達で、総監督の勤務先は出版社です。ナンバーを出している会社ですよ。これ、特に強調しておきます(笑)。先輩達からも、自分の専門分野とバドミントンの接点を見つけるよう、いつもいわれます。クラブというよりゼミですね。
僕も、専門の英語学が、何とかバドミントンと結びついて、日本代表チームの海外遠征には、通訳兼マネージャーで、3回ほどついていきました。スタディ、スポーツ、それともうひとつ、頭文字をとって、筑波の3Sというんですが、前の2つはバッチリですね。あとのひとつ(註・セックス)? サッパリです(笑)。
創部わずか10年ですが、競技レベルは高いですよ。男女ともに関東リーグの一部校ですし、今年のインカレでも、谷藤千香(たにふじちか、体専4年)が、女子シングルスで優勝してます。彼女、来年大学院に進みますが、入試成績はトップだったそうです。たしかに異色なクラブですが、考えようによっては、一番筑波らしいクラブかもしれませんね」
前身は東京教育大学。「筑波研究学園都市構想」の一環として、昭和48(1973)年に東京から現在の茨城県つくば市に所在地を移し筑波大学として生まれ変わった。「国内的にも国際的にも開かれた大学」であることを建学の理念とし、「国際性」「未来志向」「問題解決型」の人材養成に取り組んでいる。「従来の大学が狭い専門領域に閉じこもり、停滞・固定化し、現実の社会から遊離しがちであった」ことの反省から、従来の大学における学部制を廃止し、新に「学群・学類」制度を設けた。第1学群(基礎学群)、第2学群(文化・生物学群)、第3学群(経営・工学群)と、医学専門学群、体育専門学群、芸術専門学群がある。「学群」は従来の学部のような伝統的な専門体系にとらわれることなく、広い視野のもとにいくつかの学問分野を組み合わせ、総合的な教育が可能なように構成されている。第1学群は、人文学類(哲学・史学・考古学・民俗学・言語学)、社会学類(社会学・法学・政治学・経済学)、自然学類(数学・物理学・化学・地球科学)に分類される。第2学群は比較文化学類(比較文学・比較地域文化学・現代思想学)、日本語・日本文化学類、人間学類(教育学・心理学・心身障害学)、生物学類(基礎・応用)、農林学類(生物資源生産学・生物環境造成学・生物応用化学・生物生産組織学)に分類される。第3学群は、社会工学類(社会経済計画・経営工学・都市計画)、国際関係学類、情報学類(情報科学・情報工学)、基礎工学類(物理工学・物質分子工学・変換工学・構造工学)に分類される。これらが森林公園を基調とした245ヘクタールの敷地に効率的に配置されている。大きな特徴である推薦入試制度は、医学専門学群を除く全学群・学類で実施され、生物学類と体育専門学群が定員の30%、他はすべて25%と定められている。入学定員総計1,840名。
いったい筑波大生の"祭り"は、どこにおきわすれられてしまったのであろうか。"祭り"を喪失してしまった筑波大生とは、何者なのであろうか−−。
筑波大体育会の取材をすすめるうち、そのようなモンダイ意識に突き当たってしまった我々は、大きなお世話だというのに、この謎の究明に挑むことを敢然と決意。広大なキャンパスを東奔西走、徹底的なフィールドワークを試みた。1泊2日にわたる短期集中決戦型取材の結果、浮かび上がってきた「筑波大生」像を報告しよう。
「スタディ、スポーツ、セックス」の略である。筑波大学のキャンパスライフを語るとき、必ず出てくるキャッチフレーズである。即ち筑波大生は、すべて学問に打ちこみつつ、スポーツでさわやかな汗を流し、セックスにいそしんでいる、というわけだ。まるで筑波大生は学生生活の「三冠王」ではないか。しかし人間学類3年のY君は、深い確信と実体験にもとづいて「そんなことはあり得ない」と否定する。
「3Sのうち、スタディは事実です。みんな実によく勉強します。スポーツもやろうと思えば可能でしょう。体育会のクラブに入部しなくたってサークルはありますし、スペースはいくらでもありますから、その気になればテニスだって草野球だって可能です。残るS……セックスはそうはいきません。というのは筑波大生の男女比率は7対3。仮に女子学生がすべて男子とくっついたとしても、男子学生の過半数は余ってしまうんです。残った僕らは悲惨です。筑波の外へ一歩出れば、見わたすかぎり北関東の田園地帯です。若い女の子なんて一人もいやしません。あぶれてしまった僕らは、すっかりできあがったカップルを横目で見ながらホゾをかむだけです」
筑波大生は、まず合コンをしない。しようと思ってもできない。近場に合コンの対象となる女子大がまったくないからである。
「度胸のある奴は、東京までナンパしに行きます。僕も友だちに誘われて行ったことがあるんです。だけどうまくいきませんよ。東京の女の子ってぴしっとオシャレしてお化粧してるでしょう。スッピンの筑波の女の子とは全然違いますから、声をかけようとしてもあがっちゃって……。それでも僕、一度声をかけようとしたんです。そしたら一緒にいた友だちが僕の服を引っぱって止めるんですよ。『やめようよ、恥ずかしいよ』って。そいつが『オレはナンパできるから、一緒に行こう』って言ったくせに……。筑波大生ってマジメだから、イザというときにバカになれないんですよね」
そうなると、行き着く先は風俗しかない……。
「とんでもない! ソープへ行ったとかファッションマッサージへ行ったなんて言ったら、みんなからケーベツされますよ。僕も行ったことないし、行きたいと思わない。僕のまわりの友だちでも行ったことある奴はいませんよ」
それじゃ結局……。
「……結局、レンタルビデオ屋の会員になるんです。大多数は、そうなんじゃないでしょうか……」。嗚呼。
筑波大のキャンパスには、学生寮が隣接して建てられている。男子寮、女子寮、夫婦寮があるが、管理人がいるわけではなく、出入りは24時間自由である。要するにワンルームマンションのようなものだ。ちなみに単身者用の部屋は月額9,500円。安いが3畳程度のスペースしかなく、かなり狭い。戸数にかぎりがあるため、入居にあたっては新入生が優先される。2年生になると、ほとんどの学生がアパートへ移る−−。
「今年の春、入学したばっかりの頃なんですけど、毎晩知らない男子学生に部屋のドアをノックされて、神経がまいっちゃいました」
と言うのは比較文化1年のK子さん。
「ドアを開けると、すごくいかつい男子が、『すみません、すぐそこの店でコンパやってるんですけど、先輩にどうしても女の子を連れてこいって言われまして。お願いします、ちょっとでいいですから顔を出してもらえませんか……』と言ってペコペコ頭を下げるんです。みんな体専の運動部の下級生なんです。その頃は田舎から出てきたばかりで、何もわからないでしょう。だから怖くって……」
中にはとにかくヒョーキンにいくしかないと、持参したマヨネーズをいきなり自分の頭にぶちまけて、
「ホラ、ボク、こんな面白いこともできるんですよ」
と言って、一層女の子を怯えさせてしまう奴もいるらしい。
「私の友だちもみんな、『お願い』されてるんです。それ以来、体専の子には絶対近づかないようにしてるの。だってイヤだもの、ああいう人たちって。理解できない。脳みそまで筋肉って、私たちよく言うんです。運動部の応援? 全く関心ありません!」
かくして体育会の好漢の、学群・学類の壁を乗り越えてコミュニケーションを求めようとする前向きな試みは、はかなく潰(つい)える。時には逆効果にすらなる。K子さんと同様の体験談、および体専学生に対する類似の見解は、他にも多数収集された。いちおうウラを取るために、某運動部の4年生に話をきいてみたが−−。
「あ、僕らが1年の頃は先輩によくやらされましたよ。イヤがる子ばっかりじゃなかったですよ。僕なんか5人も連れてったので、先輩にびっくりされましたからね。『お前は新記録だ』って。ハハハ。困るのはノックして出てきた女の子がブスだったとき。そういう場合は『あっ、間違えました』ってごまかすんです。今ですか? 僕ら下級生に強制してませんよ。無理強いはしません」
見知らぬ男子学生に部屋のドアを次々ノックされ、そのたびに「間違えました」と言われ続けた女の子がいたかどうか、それは定かではない−−。
比較文化4年の岡本聖堂君は、下級生の手ごたえのなさにいささか脱力感をおぼえている。
「1年生と酒を飲んだんですよ。ボクがビールをつごうとしたら、『飲めませんから』と言って受けつけようとしないんです。別に飲まなくてもいい、ただカンパイぐらいやろうよと言っても、『いや、結構です』って言われちゃって。そういう奴が多いんですよ。人とペースを合わせてつきあおうとしないんです、みんな」
岡本君は『筑波大学新聞』のスタッフ。スポーツ取材も担当していたから、体専学生の知己も多い。
「同学年にこんなに面白い奴らがいたのかって、驚きました。彼らと飲むと盛り上がってすごく楽しいんです。それに比べると、一般の学類の生徒はマジメですね。マジメは悪いことじゃないんだけど、酒飲んでて楽しくないんですよ。中年みたいにエネルギーがなくて、ボクがコンパ芸やっても、誰も笑わない。芸が下手なのかもしれないけど、それだけじゃなくて笑うのをこらえようとするんです、みんな。酒のんでるっていうのに、クールさを保とうとするんですよね。誰も彼もが自閉的になっちゃって、人間関係を求めることをあきらめちゃってる。今、サークルの人間同士でもその中で3〜4人の小グループをつくって、そのグループだけで固まっちゃう傾向が強いんですよ。そんな調子だから、体専の連中のことなんて無関心。ボクが『応援に行こう』と言っても、誰ものらない。本当は大人数で彼らを応援してやりたいんですが」
「うちの大学は、地方出身の優等生ってタイプが多いんですよね。私も仙台出身だからよくわかるんですけれど、女の子が入学してから経てゆくプロセスってあるんです」
S子さんは、国際関係学類の3年生。最近は勉強が面白くてしかたないという。
「まず、田舎にいるときから"東京の女子大生の生活ってこういうものだ"っていう先入観がアンアンとかJJによって植えつけられてるんです。それで筑波も東京の文化圏だろうと思いこんで入学して、そのギャップにがく然とするんです。ここでは東京の文化にまったく触れられないでしょ。入学したことをすごく後悔して落ち込んで……。その次は週末ごとに東京へ出かけるようになるんです。週末だけの盛り上がり(笑)。遊びたいというのではなく、情報から疎外されていることがたまらなくイヤなんですね。ここは外の世界から隔絶された人工的な空間で、生きた情報が入ってこないから不安になるんです。でもそのうち、東京の女子大生ってバカだなーと思いはじめて、私たちのほうがまだマシだねってことになり、完全に筑波の人になってしまうんです。そこに至るまでは、ずいぶんと落ちこんで悩みますけどね、結局、結論は自分が一番可愛いってことです。だから正直言って、運動部がどうしようと関係ないんです、私には」
帰りのバスに乗る直前、もうひとつの学生新聞である『筑波学生新聞』の窪田喜泰君(3年)の話を聞いた。彼らの新聞は大学側に認められていない。従って大学側からの財政的援助はまったくない。
「僕たちは新聞本来の批判精神を維持しているだけで、特定イデオロギーの背景があるわけじゃありません。僕自身、筑波大が嫌いなんじゃないんです。好きだからこそ、創造的批判をしていきたいと思っているんです。でも許されないんですよ。筑波大っていうところは、学生が自主的な活動をすることを認めたがらないんです。ビラだって学校のハンコがいるし、学園祭の企画も届け出をして許可をもらわなくてはいけない。与えられたことをただひたすら従順にこなしていく人には、いい学校なんでしょうけど。もともと筑波大は、前身の東京教育大で学園紛争が激しかったもので、そういうことが二度と起こらないように、徹底的に管理を厳しくしたんですね。だから管理大学っていわれるくらい、管理が厳しくて。ルーズなのは寮の出入りぐらい(苦笑)」
我々はいささか疲れていた。体専の学生の、のびのびとした明るさに比べて、一般の学群の学生はどこかしら皆、つらそうな表情を頬に宿している。つらそうな人を見るのは、当然のことながらつらいものだ。
帰りのバスの中、O君の恩師の教官と乗り合わせた。O君のモンダイ意識に対し、教官は誠実にこたえてくれた−−。
「脱イデオロギーのために、筑波がつくられたのは確かだ。大学を細長くつくり、広場を設けなかったのも、学生が集まりにくくするためなんだ。でもそんなことしなくても、世の中の方はどんどん脱イデオロギーの方向へ向かっていって、筑波大生は二重三重に元気がなくなっちゃった。これはいかんと、我々の方が思ってるんだよ。一般学生の体育の授業を、体専の学生に教えさせて、学生間の交流をはかることも考えてるんだ……」
彼らが、屈託なくお祭り騒ぎにうつつを抜かせる日が来ますように−−。
大きなお世話だが我々はそう祈るのであった。
春
「エーッ! 雅美が山田とできてる?」
「彼女の部屋から出てくるのをゆかりが今朝見たんだって」
これで8組目のカップルである。どうなってるんだ。うちの学類の女の子の半分が売れてしまった。いくら親元を離れた開放感(1年はほとんど宿舎に入る)といっても、入学してからわずか2月あまり。こんなに簡単に男と女がくっついてしまっていいものか。
「山田は毎晩彼女の部屋に遊びに行ってたらしいぜ」
筑波の女子寮はまったく出入り自由である。まるで子猫がなつくように山田は部屋におしかけたに違いない。そして一人暮らしの寂しい心のスキをついてベッドにもぐり込む。先輩に聞くとよくあるパターンらしい。
他大学と交流のない筑波では合コン等が全くない。つまりガールフレンドは身近で調達するしかないのだ。ところが学園都市の男女比は7対3であるから、スタートダッシュは非常に大切である。
毎日、平井の部屋でビデオを見ていた自分が情けない。
夏
みんなが帰省する筑波の夏はまさにゴーストタウン。しかし、家の都合で帰れない連中や、教習所通いの残留組がわりと安易にくっつくという話を後から聞いて、早々と帰省した私は大いに悔やんだ。
秋
学園祭で張り切ればモテるから、と先輩の言葉を信じた自分が馬鹿だった。雑務ばかりを押しつけられ単位も危い。女子寮でバカ話をしても春のように受けず。
入学時の即席カップルは休み中に壊れるパターンが多い。又、地元の彼氏との別れ話や一夏の感傷を胸に抱いた彼女たちはもはや、押しだけでくどける存在ではないのである。
冬
そして、恋の季節は終わったのである。
−−優勝した野球部は、推薦枠や照明設備などで、他の運動部よりハンディがあるそうですね。
学長 私は医科歯科大から来たから昔のことは知らないが、筑波が移転でこちらへ来たときに、うまく乗っかったとこと、そうじゃないところとあるんじゃないですか。ただ優勝した記念だからね、夜間設備のことは考えてます。環境に対するアセスメントとか、おカネとか、色々調べなくちゃならないけどね……。この間、野球部の監督と会ったときに「筑波は巨人式か、西部式か」って聞いたんですよ。そしたら「西部式」だって言ってたなぁ。失点を最小限におさえて守り勝つってことだろうね。僕も旧制中学の頃、野球やっててね。球拾いばかりだったけど、よく上級生にぶん殴られた。田んぼに入ったボールを、かわかして縫い目を塗ったりね。
−−筑波大の運動部は、総じて封建的な空気が薄く、リベラルな運営がなされているようですが。
学長 大学生というのは、そういうもんじゃないんですか。高校あたりの運動部だと殴ったりして不祥事を起こして、出場停止になる話をきくけど、筑波は前近代的なことをしてないと思いますよ。
−−応援団がないのは何か理由があるのでしょうか。
学長 いや、応援団をやっちゃいかんとは言ってないよ。そういえば、古いわりには有名な応援歌ってないな。応援団がないのは、伝統なんじゃないの……。
いずれにしても学生からの自主的な盛り上がりがなくてはね。
−−筑波大学の新しい学際的な試みとして、スポーツクリニックをスタートされたとうかがっております。その構想について、おきかせください。
学長 医学部と体育学部の両方をもっているところといえば、他に順天堂大学があるけれども、国立ではここだけなんです。筑波大学はもともと学際的研究をするための大学ですからね、スポーツクリニックというのは、消化器科と整形外科の総合なんだが、まず筑波大の保健センターで、体専の学生の健康管理や筋力向上の研究からやろうと。筑波の医学の先生の中でラグビーの経験者がいて、その人は今でも手弁当でケガの手当のマニュアルをつくったりしてたんですよ。日本のプロ野球の投手が、ヒジの手術のためにアメリカへ行くでしょう。日本の整形外科の先生は『日本でできる』というんだが、経験が違うんだな、向こうとは。日本にはスポーツ医学の学会もないのが現状だけれども、今後は必ず必要になってくると思いますよ。とりあえず、これは小さな始まりです。