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「中央公論」 1992.Feb. 中央公論社

ソ連消滅下に

露呈した腐敗

「改革派の旗手」ポポフ・モスクワ市長の身辺疑惑





 「ロシア、ウクライナ、ベラルーシのスラブ三国首脳がソ連邦消滅を宣言」−−12月9日に流れたそのニュースは、思いのほか淡々と世界に受けとめられた。
 もっとも、それは当然のことかもしれない。この数年、世界をにぎわし続けてきたソ連国内の「保守派」対「民主派」という政治ゲームは、8月政変によってすでに大勢が決しており、連邦権力は最終的な破産宣告を待つ状態にあった。今回の「連邦消滅宣言」は、いわば勝敗の決まっていたゲームに響いたノーサイドの笛である。
 ゲームの終結はしかし、ただちにあの国々における混沌の拡大にピリオドを打つことにはつながらない。古い価値と権力は確かに失われたが、それにとってかわる新しい価値はまだ形をなしていないのだ。
 革命以前の信仰に立ち返るという動きもある。キリスト教もイスラム教も、それぞれ民族主義的なパトスや伝統文化の復活とともに息をふき返しつつある。だが、信仰そのものは、魂の慰撫には貢献しても、今日の糧を得る手段にはならない。人は信仰のみに行くるにあらず。パンもバターも、それを買う貨幣も必要なのである。
 結局、経済の再建と社会の安定のためには、過去のなかにではなく、未来に価値を見出すしかない。それが民主主義と法治主義、自由市場経済システムといった近代市民社会の諸価値であることは、この数年、民主派によっていやというほど繰り返し唱えられてきた。しかし一般の国民の多くは、そうした価値のありがたみを聞かされてきたものの、なし崩しの体制転換の過程で、実際に恩恵を受けてきたとはいい難い。たしかに共産党支配の恐怖からは自由になれたものの、生活は悪化する一方で、特に共産党政権を葬り去った8月以降、それははなはだしい。
 月間100パーセントのハイパー・インフレ、生産の低下とひどくなる一方の物不足、犯罪の激増、流血の民族対立、そしてルーブルとドルの二重経済化と、それにともなう深刻な階層分離。
 街頭や地下道に座りこむ物乞いの数が増える一方、入店するだけで50ルーブルもとられるアルバート街の宝飾店「サモツェッティ」には、連日、開店前から成金たちが列をなす。500万ルーブルの宝石が買われていくことも珍しくない。そしてそんな成金たちの多くが、まともな手段で大金を手にしたのではないということぐらい、十歳の子供でも知っている。いま出現しつつある貧富の格差は、フェアな自由競争の結果がもたらしたものではない。そもそもまともな競争のルールすらまだないのだ。
 ロシア人は、あるいは非ロシア人も、実に我慢づよい。我慢に我慢を重ねて、もはやどうにもなるまいと思ってもなお、耐える。しかしそれも、信じられる何ものかがあってこその忍耐である。
 結局のところ、2億数千万の旧ソ連国民たちは、民主主義や市場経済体制という価値そのものを信じているのではなく、その価値を唱えてきたデモクラットたちを信じてきたのである。デモクラットたちの言葉と行動を信じてきたからこそ、果てしなく続くカオスに耐え忍ぶ覚悟もできたのだ。
 したがって、エリツィンやポポフ、サプチャークらの責任はきわめて重い。彼らは、いうなれば来るべき未来の価値を先取りし、地上に実現させる使命を担っていると見なされているのだ。彼らがもし、国民の期待をそこなうことがあれば、それは彼らの政治生命を絶つにとどまらず、国民にとっては信じるに足る価値の完全な喪失に直結してしまうだろう。
 となれば、民主勢力と呼ばれている人々、特にそのリーダーたちのふるまいが厳しく問われざるを得ないのは当然のことである。しかし、彼らは果たして、国民の信頼と期待にこたえようとしているだろうか。あるいはそもそも、その意思をもっているのだろうか?


モスクワ市中心部を再開発


 私の手もとに二通の書類のコピーがある。
 二通とも、モスクワ市内のオクチャーブリ地区の再開発に関する契約ドキュメントである。モスクワを訪れたことのない人でも、テレビ映像や新聞・雑誌の写真等で、市内の巨大なレーニン像の姿を頭の片隅に記憶されていると思う。あのレーニン像の立つ十月革命広場のある都心の地区といえば、イメージが容易になるだろう。この地区はまた、人類最初の宇宙飛行士の像が立つガガーリン広場にも隣りあわせている。
 書類のうちの一通は、そのガガーリン広場と隣接地域の再開発に関する、モスクワ市人民代議員ソビエト幹部会と、同市執行委員会による共同決定の書類である。
 内容を要約すると、モス・ソビエト幹部会と同執行委員会は、オクチャーブリ地区の「公共財産管理局」に同エリアの土地所有権を委譲するとともに、多機能情報・技術センターや各種商業コンプレックスの建設を含む再開発の設計を委任する。また、再開発の実施のために、オクチャーブリ地区執行委員会と、ソビエト建築家同盟、およびフランスのデベロッパー業者「SVS」「SARI」の二社によるソ仏合弁企業の設立を許可する。そして計画実施のために地区住民を移住させる、などとされており、この決定責任者としてモス・ソビエト議長のG・ポポフと、同執行委員会議長Y・ルシュコフ、同執行委員会総務部長のI・シェベルキンの三人が署名をしている。
 改めて言うまでもなく、ポポフはモスクワ市長であり、サンクト・ペテルブルク市長のサプチャークと並び称される「民主派の旗手」である。また、ルシュコフは、ポポフにつぐモスクワのナンバー2の実力者であり、モスクワ副市長でもある。
 要するにこの契約書は、「公共財産管理局」という組織が中心になって、フランス資本とともに、ガガーリン広場周辺の再開発に当たることを、ポポフ以下、モスクワの実力者たちが「承認」したと述べているのである。さらにこの承認に対する同意として、次のような関係者のサインがつらねられている。
 オクチャーブリ地区ソビエト議長(当時)、G・ワシリーエフ。
 ソビエト建築家同盟第一書記、Y・ブラトフ。
 ソビエト建築家同盟「ソユーズ・アルフベス」支配人、D・ゴギシビリ。
 モスクワ建築局局長、I・ババキン。
 モスクワ市ソビエト総務部長、V・シャフノフスキー。
 オクチャーブリ地区公共財産管理局局長、Y・グーセフ。
 さて、この書類のざっと目を通すかぎりにおいては、特に疑問はわいてこない。土地所有権を委譲された「公共財産管理局」という機関がどのようなものか判然としないこと、また、住民の移転が前提となっているが、住民の同意はとりつけたのかどうか、この書類だけではわからないことなど、気になる点はあるものの、再開発構想自体は、市場経済への移行途上にあるモスクワの経済を活性化する起爆剤になるのではと思わせる。


契約をめぐるミステリー


 では、もう一方の書類をみてみよう。
 こちらは「コスモポリス−1」という名前の合弁企業設立に関する契約書類である。91年5月15日付のその書類によれば、先に出てきた「公共財産管理局」と、ソ米合弁企業「コスモポリス」および小企業「インベスト・サービス」の三者は、共同で「コスモポリス−1」を設立、オクチャーブリ地区の大規模再開発をおこなう、とされている。資本金は10万ルーブルで、出資比率は「公共財産管理局」が34パーセント(3万4千ルーブル)、「コスモポリス」が61パーセント(6万1千ルーブル)、「インベスト・サービス」は5パーセント(5千ルーブル)と、それぞれ定められている。
 さらにこの契約締結を承認するオクチャーブリ地区執行委員会の書類もある。91年8月14日付の「地区執行委員会決定第2815号」とナンバーされたその書類には、「公共財産管理局」のグーセフ局長にこの計画の実現を「一任する」とあり、同時に本計画の実現にあたって最初に対象となるのは、シャバロフスカ通り6〜8号と、ドンスカヤ通り7、9、11号におけるビジネスセンター建設である」とつけ加えられている。責任者のサインは、地区執行委員会議長のG・ワシリーエフのものだ。
 再開発指定区域が、プーシキンスカヤ川岸通り、オクチャーブリ広場、シャボロフク通り、オルジョニキーゼ通り、ガガーリン広場を結ぶ五角形の、途方もなく広い地域におよんでいること、また、住民を強制的に立ち退かせることが可能であると記されている点などを除けば、これも特に問題はないように思える。
 ところが、この二つの事業計画の契約書類をつきあわせてみると不思議なことがわかる。どちらも再開発計画の中に、シャバロフカという数ヘクタールの広さの街区が含まれているのである。つまりひとつの土地が二重に再開発の対象とされているのだ。
 これはいったい、どういうことなのか。
 純然たるミスだろうか? しかし、土地の所有権をめぐって混乱している時期とはいえ、どちらも「公共財産管理局」という同一組織が関係しているのだし、ポポフ市長のサインまであるきちんとした契約書である。どんなに事務能力の劣った行政機関でも、そんな杜撰なミスは考えられない。
 では、故意の二重契約か?
 とすればこれは詐欺である。アメリカ資本とフランス資本からそれぞれ外貨をひきだすことだけが目的の、はじめから実現不可能なでたらめな事業計画書、ということになる。
 しかし、まさか、と思う。サインをしている面々は、民主勢力を代表するビッグネームばかりである。たとえば、人民代議員のイーゴリ・ザスラフスキーといえば、民主勢力の連合団体「民主ロシア」の有力指導者のひとりである。ポポフ、ルシュコフはいうまでもない。彼らが詐欺師?! 馬鹿な、と思う。しかし、現実に書類は目の前にある。
 いったい、これはどういうことか−−。


競売に出された帝国


 話は12月1日にさかのぼる。
 ウクライナで独立の是非を問う国民投票が行なわれ、モスクワではこの冬初めての雪が風に舞ったその日、市内を歩き回っていた私は、モスクワ市議会前の広場で偶然に小さな集会に出くわした。
 百人ほどの人の輪の中で、空軍の軍服に大佐の階級章をつけた人物が、拡声器を使って声を張り上げている。モスクワ指導部への抗議らしい。ポポフやルシュコフへの非難の言葉が混じる。集会の話に近づいて、参加者のひとりにたずねると、オクチャーブリ地区の住民による抗議集会だという。
 「再開発に反対して、抗議しているんです。地区の土地所有権が、外国との合弁企業にわたっているなんて、私たちは何も知らされていなかったんですよ」
 ナターリヤ・スベトローワと名乗ったその女性は、先頃結成された反民営化委員会のメンバーでもあるという。
 「計画の中に含まれている土地には、工場も修道院もあるし、私たちが住むフラットもある。にもかかわらず、計画を進めてきた地区執行委員会の人間たちは、秘密に土地を勝手に売却して、あとで私たちを追い出そうとしているんですよ! 前々からおかしな噂があったので、地区ソビエト議員たちは何度もこの問題で議会を開こうとしていたのですが、そのたびにザスラフスキーに邪魔されました。ええ、私たちはみんなかつて彼を民主派の指導者として支持しましたけど、今や彼の支持者はほとんどいません」
 マイクを握って演説している空軍大佐は、同地区選出のモスクワ市ソビエト代議員、ブラショフ。彼も「民主派」の一人であり、一連の選挙ではザスラフスキーらと同じ陣営に立って行動してきたのだという。その彼が今は、激しく昨日の盟友を非難している。
 「私はもともと民主派の指導者たちを支持してきたが、今、彼らに対して猛烈に腹が立っている! 私たちの住む土地を勝手に外国に売り払ってしまうような、そんな民主主義なら、私たちには必要ない!」
 大きな喝采と歓声がわく。

 この集会から4日後、オクチャーブリ地区ソビエトの議会ビルをたずねた。
 「あなたはこの問題に関心を示してくれた最初の外国人ジャーナリストです」
 そう言って対応してくれたのは、ザスラフスキーにかわって同地区ソビエト議長に就任したユーリー・コチャノフ。ほかに数人の代議員が同席した。
 「私たちは集会を開くだけでなく、パンフレットもつくって有力な新聞・雑誌に送付し、アピールしてきたが、反応は鈍かった。ソ連国内のマスコミの場合、圧力がかけられているのです」
 彼らが期待をかけたのは、第2チャンネルのロシア・テレビだった。汚職問題に熱心に取り組んでいるTVジャーナリストがいて、オクチャーブリ地区の事件をふくめ、モスクワの汚職の実態についてのドキュメンタリー番組を完成させたのだが、しかしその番組はなぜかお蔵入りになってしまった。
 「放送中止の決定は、モスクワのレベルではなく、ロシア共和国指導部のトップからの圧力によるものだと聞いています」と、同地区ソビエト議員で弁護士のハリー・ヴォロノフは、事件の背景の広がりを暗示する。
 「私たちはこれから、この番組の放映を要求する運動を始めるつもりです。他にも汚職問題を書こうとした新聞記者がクビを切られた事実がある。ひどい話ですよ。このままではグラスノスチは死んでしまう」
 彼らが働きかけたメディアの中で、積極的に反応し、最初に誌面を提供したのは、皮肉なことながら、最も保守的なメディアとして評判の芳しくない『ソビエツカヤ・ロシア』紙だった。「民主派」のスキャンダルに色めきたって飛びついたのだろうが、同紙編集部の思惑はともかく、91年11月21日付の「ひとつの手に権力とビジネス」と題する記事は、大きな突破口となった。筆者は、同地区経済委員会委員長のユーリー・マレーニチ。科学アカデミー数理経済学研究所に勤めるこの経済学者は、オクチャーブリ地区事件の調査の中心人物である。
 「私がこの記事を書くと、地区住民からの電話の問い合わせが何本もありました。面白いことに彼らがたずねることはみんな同じ。『私は今住んでいる住宅から追い出されるのだろうか』という質問ばかりです。人間というものは、私的所有財産に関わることなら関心も責任ももつが、共同所有財産には注意を払わない。今回の事件の本質的な問題はここにあるんです。ご存じのとおり、この国は共産党支配のもと、すべてが国有化されていました。その支配が終わり、プリバチザーツィア(私有化・民営化)のプロセスがはじまったのです。当然のことながら、本来市民のものである公共財産は、すべて市民に平等に分配されなくてはいけない。しかし、すべての市民がそのプロセスに参加することは難しいし、それに自分の私的所有物でなかった公共財産に対して、市民の権利意識はまだ曖昧です。新しい権力者たちは、まさにその虚をついて、公共財産を私物化しはじめたのです」
 ボリシェヴィキは、国民の私的所有を極限にまで圧縮し、国土、資源、社会的インフラから住宅に至るまでを共同所有とし、その管理の実権を一手に握っていた。何も所有せず、何も所有させず、管理することで支配を貫徹させたのだ。
 したがって管理者である党が消滅すると、所有者のいない、気の遠くなるほど膨大な資産が残され、これを分配することが新政権の最大課題となったのである。
 第二次大戦後に共産化された東欧とは違って、旧ソ連の場合、革命から70余年を数え、革命以前の地権者はもはや生存していない。公共財として蓄えられた富のほとんどが所有者不在なのである。
 したがって今始まろうとしている事態は、誰が持ち主だかわからない世界最大の帝国が競売に出されるという、人類史上空前の、一度きりしかないゲームなのである。いや、それはすでに始まっているのだ。ルールも手続きも不明確なまま、例のごとく、なし崩しで。


民主勢力の変身


 「共同所有の公共財産を不法に私物化してゆくプロセスは、すでに2年前から始まっていたんです」
 そう言ってマレーニチ議員は、現在の事件に至るまでの長い「前史」を説く。
 89年から90年にかけて、連邦の人民代議員選挙で大きなポイントをあげた民主勢力は、市民の高揚を、続く地方レベルのソビエト選挙に結びつけるべく、精力的な運動を展開していた。オクチャーブリ地区においてその先頭に立っていたのは、たびたび名前の出てきたザスラフスキーである。彼は「刷新」という名の地区選挙運動組織をつくり、活発に運動を展開して、民主派議員の大量当選をもたらした。90年4月9日、地区ソビエト第一回定例会議において彼が地区ソビエト議長に選ばれたのも、当時としては当然のなりゆきだったのである。
 しかし、ザスラフスキーは議長の座につくと、選挙前とは政治姿勢を一変させる。その軌跡は、ポポフとどこか似通っている。彼らはともに権力を掌握するとまず、民主勢力が多数を占めるソビエトの権限の縮小を求め、同時に執行権力機関の強化の必要性を訴えた。「私たちは、彼の主張に必ずしも反対ではなかったんです」と、コチャノフ議長はふり返る。
 「様々な改革を実施していくのに、強い執行権力機関が必要であるというのは、ある意味では正しい。しかし、同時に、執行権力から独立した立法機関としてのソビエトも必要です。そのバランスが重要なのですが、ザスラフスキーは自分と深い関係にある人間を執行委員会のメンバーに任命し、実験を執行委員会へとシフトしていったのです」
 地区執行委員会議長に就任したのは、先にあげた契約書類にも名前の出ていたワシリーエフである。都市建設中央設計研究所の主任研究員であり、ソ米文化イニシアチブ基金の常任学術顧問でもある彼は、議長の座につくと、地区経済の活性化のために、区内の不動産を有効に活用することを提唱、具体的には民間企業の資本と人材を再開発のために積極的に導入すべきだと熱心に説いた。共産党政権による非効率的な命令型行政システムに誰もがうんざりしていたから、彼のこの提案は市場経済への移行を加速するものとして地区ソビエト議員の大半に歓迎されたという。
 しかし、議員たちの間から疑念の声があがるまでにさほど時間はかからなかった。ワシリーエフは再開発事業をすすめるにあたって、協同組合などの民間企業にオープンに呼びかけて公正な入札競争を行なおうとはせず、彼をはじめとする執行委メンバーが経営する企業だけで契約を独占しようとしたからだ。


権力とビジネスの兼任


 マレーニチ議員は、インタビューのあいだ、たびたび退屈な、常識以前の話を繰り返した。
 「市場経済体制にある文明国ではどこでも、公的な執行権力のポストにある者が、その権力をビジネスに利用することを禁じています。このような癒着は、権力者が競争相手の企業を抑圧することになり、独占を生み、専制的な独裁体制へと道を開きます。それだけではなく、競争が阻害されることで結局は経済活力が失われてしまうのです。権力とビジネスの兼任は、いうなればプレイヤーが同時に審判でもあるようなもので、勝敗は一方的になり、ゲームは成立しなくなるでしょう」
 わかりきった話である。しかしこのわかりきった原理原則をくどくどしく説かなければならないのが、あの国の現状でもあるのだ。
 「私たちは、議会において、この兼任の問題をたびたび追求したんです」と、コチャノフ議長は言う。
 「そのとき、ザスラフスキーはこうこたえたんです。『ポストの兼任をやめろというのは、生身の人間を裂くようなものだ。文明国では許されていないというが、アフリカでは大統領自身がビジネスをやっている国があるじゃないか』」
 寒い国の新指導者たちは、温帯を飛び越して、遠く南の熱帯に自分たちの未来を見出しているらしい。
 90年5月30日、地区執行委員会の中に「企業活動促進セクター」が組織された。メンバーは代表責任者がS・カカバーゼ。ほかにY・グーセフ、D・ザハレンコ、Y・フォゲリソン。全員、地区執行委メンバーである。このセクター結成の決議書には、新規企業の成立と登記に関わるすべての事務作業を一手に行なう、とされている。すなわち、新規企業成立に関わる利権はこの機関に独占的に握られたのである。
 同じ5月30日、さっそく二つの会社が設立申請し、登記を行なった。
 ひとつは建築設計と科学研究を行なうという企業「フィリット」、もう一社は法律コンサルタント会社「アシステント」。この二社に対して、「企業活動促進セクター」は設立許可を与えると同時に、執行委員会の予算から資本金として2万5千ルーブルを支出し、事務所のスペースを提供し、税金面での優遇措置まで保証するという面倒見のよさをみせた。
 新しく事業をスタートしようとする企業家たちにとって、これほどの祝福はない。では、市場経済に理解ある、新時代の民主官僚に感謝したに違いない幸運な事業家とは誰か。
 「フィリット」の代表は、Y・フォゲリソン。「アシステント」の代表はK・カカバーゼ。設立許可を与えた「企業活動促進センター」のフォゲリソン、カカバーゼと同姓同名の別人物? そうではない。まったくの同一人物である。
 この「フィリット」と「アシステント」の設立は、最初のステップにほかならなかった。
 6月に入ると、地区の官庁と諸機関の全職員に対して、地区執行委員会の6月6日付決議が通達された。この決議によって、地区の諸機関、諸施設および地区住民に関する情報を、執行委員会の情報サービス業務担当責任者であるフォゲリソンの許可なく外部へ流すことが禁じられ、逆にすべての内部情報を彼が代表を務める「フィリット」に提供することが義務づけられた。こうして、一民間企業にすぎない「フィリット」は、公共財に関するすべての情報を、無償で独占的に入手することが可能になったのである。
 不思議なことに、情報の入手に際しては1ルーブルも払わないにもかかわらず、逆に「フィリット」は、地区ソビエトに対して情報を提供したとして、91年度だけで100万ルーブルを請求しているのである。
 「アシステント」のほうも同じようなエピソードにこと欠かない。
 この法律コンサルタント会社の業務の中心は、私企業の設立に必要な公的文書の作成と法的手続きである。地区執行委員会は同社が設立された3ヵ月後に、区内の公共財産を私企業に分配してゆく際の法律事務サービスを委託するとして、契約をとりかわした。その契約によれば、「アシステント」は毎年5万ルーブル相当のサービスを地区執行委員会に提供することとされており、契約当日、2万5千ルーブルの前払いも約束された。契約書にサインしたのは、「アシステント」側は同社代表のS・カカバーゼ。そして執行委員会側は、法律家であり、「企業活動促進セクター」の責任者でもあるS・カカバーゼだった。
 この「アシステント」はその後、実においしいビジネスにありついている。
 企業登記の規定によれば、新規企業が登記を申請する場合、会社の現住所が必要となる。しかし当然だが、ビジネスマンの卵は事務所のスペースなど所有しているはずはない。賃貸することも可能だが、不動産の賃借契約は登記済みの企業にしか許されていない。つまりこの規定は、閉じた円になっているのである。このサークルの中にはいるには、入口はひとつしかない。「アシステント」の所有する事務所の住所を、一時的に書類の上でだけ借りて登記する方法である。「アシステント」だけは、自分の住所を新規事業者に貸し出す権利を、執行委員会から特別に認められているのである。
 「この特権を手に入れるために『アシステント』が執行委員会に払ったお金は、わずか5千ルーブル。そしてこの”住所貸し出し”のビジネスによって、『アシステント』が新規事業者から得る収入は、一件あたり3万〜5万ルーブルとみられています」
 こうして、プリバチザーツィアが進み、市場経済への移行が本格化すればするほど、黙っていても巨額の金が転がり込んでくる仕組みとなっているわけである。なんという合理的なシステム! 「アフリカ」式自由市場経済万歳!


食欲は食べているうちにわく


 こうなると、「ビジネス」への意欲はますます盛り上がるものらしい。マレーニチいわく「食欲は食べているうちにわいてくる」。
 90年8月15日、「都市建設センター」(略称「グラド」)という建設投資会社が設立された。代表は地区執行委員会議長ワシーリエフ。例のごとく、資本金2万5千ルーブルと、417平方メートルの広さの建物が、地区執行委員会から拠出され、「グラド」代表のワシーリエフと、執行委議長のワシーリエフとの間で契約がとりかわされた。おなじみのやり方だが、その内容は一段と大胆である。
 契約書によれば、執行委員会は、「グラド」に対して以下の義務を負っているとされている。
 「会社の資本金として、建物、設備、装置、その他の物質的価値のあるもの、有価証券等を出すこと。さらに土地、水、その他の自然資源、建物、設備、施設の使用権利、および知的所有権をふくむその他の財産権、ルーブルおよび外貨資金を出すこと」
 要するに、オクチャーブリ地区に存在するありとあらゆる富は、一企業にすぎない「グラド」のものになる、と書かれているのだ。
 契約書はさらに、「会社の設立と発展に対する投資は無利子とし、会社の口座に組みこまれる」と続く。
 厚かましい、というよりも、ほとんど強欲の誇大妄想のような文章である。しかし彼らはふざけているわけではない。大真面目にこんな契約書をつくり、地区の公共財産のすべてを、このちっぽけな「グラド」という胃袋にのみこもうとしていたのだ。
 しかし、この誇大妄想の実現には大きな障害があった。執行委員会自体は、国有財産の所有者ではないのである。ロシア共和国法によれば、かつて国家所有であった財産の所有権は、すべて人民代議員ソビエトの手にあるのだ。したがって、公共財産の処分に際しては、ソビエトの決議がぜひとも必要になる。ところがオクチャーブリ地区ソビエトは、ワシーリエフやグーセフらの目論見を承認する決議を一度も行なっていない。
 さらにいえば、公職と私企業のポストの兼任も、「商品市場における競争および独占活動制限に関する」ロシア共和国法第9条で禁じられている。そもそも事のはじめから、すべて違法なのである。だが、その違法行為を誰も取り締まれない。捜査機関も司法機関も沈黙を守るのみである。
 むろん、地区ソビエト議会では何度も、こうした執行委員会メンバーの専横がとりあげられ、追求がなされた。あるとき答弁に立ったグーセフは、こう答えたという。
 「兼任の問題は、当地区には存在しない。モスクワ士執行委員会でも、副議長以下ほぼ全員が企業のトップの座についているが、にもかかわらず、市のレベルにおいても兼任の問題は存在しない」
 彼の発言は実に興味深い。彼は「兼任の問題は存在しない」とは言っているが、「兼任の事実は存在しない」とは言っていないのである。兼任の「事実」を「問題」とするかどうかは、では、何によって決められるのか。法か、権力の力関係か。その問の答えは、グーセフの言葉の中にすでに含まれているように思う。
 そもそも、演説のレトリックから、賄賂の受けとり方まで、下位の者は上位の者のふるまいを忠実に模倣するのが、なべて旧ソ連の党官僚の習性だった。習い性というものは、クーデターや革命によって、一夜にして政権を転覆させるようには変えられない。週刊はしぶとく強固である。そして習慣の歴史と体系は、ある意味で成文法以上に社会秩序そのものである。
 グーセフの言葉には、上の者のふるまいに我々は従っているのだ、という居直りが響いている。彼らはロシア法には忠実ではないが、少なくとも官僚としての習慣という秩序には背いていないのだ。
 ということは、オクチャーブリ地区の執行権力者の面々を告発するなら、彼らに範を垂れているモスクワ市の執行権力者のふるまいにこそ目を向けなければならないということになる。


存在しない法の支配


 ポポフの命令によって、モスクワの行政機関が執行委員会(イスパルコーム)から市庁(メリア)へと名前を変える前のこと、モスクワ市に「組織委員会(オルグコミチェット)」という企業が設立された。90年12月12日のことである。名称は官僚機構を思わせるが、れっきとした株式会社、私企業である。
 この企業の設立者として、役員名簿に名前をつらねたのは、次のような法人・個人だった。
 モスクワ市執行委員会、および同議長ルシュコフ。モスクワ商業銀行「インコムバンク」、および同行頭取ビノグラードフ。モスクワ市執行委員会建設委員会、および同副議長スホツキー。モスクワ合弁企業協会、および同会長グヌトフ。モスクワ市文化遺産保護管理局、および同局長サービン。非住宅建造物長期貸出に関する公募実行委員会、および同議長サプルイキン。
 以上6名は、全員がモスクワ市執行委員会メンバーである。ほかにモスクワ市執行委員会の下部組織である非住宅建造物管理局非住宅建造物課課長クニクも、役員として加わっている。この会社の業務内容は、定款によれば「非住宅建造物の賃貸・売買サービス、賃貸者の斡旋、不動産の賃貸・売買の仲介等」とされている。要するに、モスクワ市内の不動産のプリバチザーツィアにからんで、ビジネスを展開することを目的とする会社なのである。
 さて、この企業が設立されてから約一カ月半後の91年1月30日、エリツィンは、さる90年6月20日に採択されたロシア人民代議員大会の決議を、実際に実行に移すことを承認するロシア最高会議幹部会決定にサインした。以下、引用する。
 「地方の人民代議員ソビエトが、ソビエトの正・副議長、執行委員会の正・副議長、執行委員会各局各部の局長・部長を、選出・指名・承認する決定を下すとき、もしこれらの人々が政党・社会団体・大衆運動組織・企業・機関等における職務を兼任することになるのであれば、その決定はより上級の人民代議員ソビエトによって、91年3月15にちまでに破棄される」
 職務の兼任を禁じる、明快な決定である。この決定の全文は91年2月8日に、ポポフとルシュコフのもとへ届けられた。
 ところがその翌日の2月9日、モスクワ市執行委員会は、「組織委員会」に関するこんな決定を採択した。
 「モスクワ市執行委員会は、株式会社『組織委員会』の企画を承認すること。『組織委員会』に、モスクワ市庁舎をふくむ、市内の住宅・非住宅建造物の賃貸・販売の許可証交付権を与えること。『非住宅建造物長期貸出に関する公募実行委員会』の活動によって得られた収入のうち、市執行委員会の取り分を『組織委員会』の資本金として納めること」
 ロシア共和国法も、ロシア人民代議員大会の決議も、エリツィンのサインのあるロシア最高会議幹部会決定すらも、モスクワの権力者たちを拘束することができないのだ。モスクワには事実上、法の支配は存在しない。あるのは別の種類の秩序と法則なのである。


ポポフ、辞意を表明


 話をオクチャーブリ地区に戻そう。
 私の手もとに、91年1月21日に採択された、モスクワ市執行委員会の決定第138号のコピーがある。これを見ると、モスクワ市の執行権力と、オクチャーブリ地区の執行権力との関係が鮮明に浮かび上がってくる。
 「決定第138号」はまず冒頭で、オクチャーブリ地区の公共財産のプリバチザーツィアに際して、「モスクワ市執行委員会とオクチャーブリ地区ソビエトの機能を制限する実験を実施する」と述べる。その上で、公共財産の所有と使用の権利は「オクチャーブリ地区ソビエトに委譲する」と続ける。地区内の財産は地区ソビエトの者であると、とりあえず認めるのである。
 重要なことはその次だ。問題の「公共財産管理局」は、ここに登場してくるのである
 「オクチャーブリ地区に『公共財産管理局』(略称「ウコソ」)を創設することを承認する」。そして「オクチャーブリ地区ソビエトの管理に移った資産は、オクチャーブリ地区執行委員会公共財産管理局に権利の委譲を行なうことが妥当と考える」。つまり、いったんは地区ソビエトの所有権を認めるが、それをただちにこの「公共財産管理局」にすべて委譲せよ、と迫っているのである。「オクチャーブリ地区執行委員会公共財産管理局」などと名乗られると、いかにも地区執行委の一部局のような錯覚を抱いてしまうが、正体は前出の「組織委員会」と同様、私企業にすぎない。例のとおり、役員は地区執行委員会のおなじみのメンバーで占められ、代表は執行委員会副議長のユーリー・グーセフがつとめている。
 このドキュメントにサインしているのは、ルシュコフと、モスクワ市執行委員会総務部長のシェヴェルキン。思い出していただきたい。彼らは「SARI」「SVS」との合弁企業設立の秘密契約書に、ポポフとともに署名した二人である。
 何のために、この決定が採択される必要があったのか。考えこむまでもない。モスクワ市ソビエト代議員と、オクチャーブリ地区ソビエト代議員たちの抵抗をやりすごすためである。
 公共財産は各地区ソビエトに所有権がある、といってしまえば、市ソビエトは口をさしはさめない。そして地区ソビエトの議員たちは、上級機関である市執行委員会から、地区ソビエトの所有する資産はすべて「公共財産管理局」に委譲すべしと”命令”されれば、抵抗がしづらくなる。
 実際、市レベルでも、地区レベルでも、プリバチザーツィアをめぐってソビエトと執行権力機関は激しく対立し、議論はつきることがない。代議員たちの多くは市民への平等な分配のために、公正なルールを議会で確立してから行なうべきだと主張しているが、ポポフらはそれでは時間がかかりすぎると反対している。ポポフがたびたび繰り返しているモス・ソビエト議員への批判は、要約すればこういうことだ。
 代議員たちは、お喋りばかりに夢中になっていて、本当の仕事をしようとしない。公共財産の分配に関する実務は、議員ではなく、実務かである官僚にまかせるべきである。そうでなくては、いつまでたっても市場経済への移行は果たせない。かつては改革にブレーキをかけていたのは保守派だったが、今やブレーキ役は民主派の議員たちだ。現在のような経済危機の中では、くだらないお喋りで時間つぶししている暇はないのだ。
 正論だと、たしかに思う。ただし、その実務を実行する人間が、私利私欲に走ることのない、清廉で有能な官吏であれば。そして、そんな官吏が現実に存在するならば。
 「すでに『公共財産管理局』をはじめとする彼らの会社は活発に活動していて、地区内の小さな物件を少しずつ非国有化し、民間高値で転売することに成功しています」
 マレーニチ議員は、数字をあげて説明する。
 「91年末までに『公共財産管理局』の予想収益は1億ルーブルと、500万ドルになるだろうといわれています。この情報は、グーセフがモスクワ市指導部にのみ報告したもので、地区ソビエトへの報告はまったく違います。90年から91年にかけての活動を通じて、『公共財産管理局』から地区ソビエトの金庫に入ったお金は1ルーブルもありません。彼らは正しい情報を我々に対して公開していないのです」
 地区執行委メンバーのねらいは、不動産を商品化し、市場へ売りに出して利ザヤを稼ぐ投機ビジネスにあるのだろう。たとえば、サドーヴォエ環状道路のはずれにある広さ1,150平方メートルの3階建てのアパートは、5万2,235ルーブルで買われ、670万ルーブルで転売されようとしている。こうした投機商法の極端なエスカレートが、例の「コスモポリス−1」計画であり、「SARI」「SVS」との合弁企業にほかならない。
 「なぜ、この二つの計画がだぶっているのか、我々にはわからない。でも、ご覧の通り、それは事実です」と、弁護士のヴォロノフ議員は、首をすくめてみせた。
 「ともかく彼らがビジネス・パートナーとして不誠実で信用できないということはたしかだ。政治指導者としてもモラルをまったく欠いていることははっきりしている。この契約では、オクチャーブリ地区の土地の99年間におよぶ租借権が勝手に外国資本に売り渡されている。売国奴のやることでしょう、これは」
 99年租借とは、モスクワの都心を香港にする気だったのだろうか。グーセフのデータによれば、事業への投資の見積もりは65億ドルから80億ドル。他方、収益は計画の初年度から数百万ドル、それ以後は数千万ドルか、ひょっとすれば数億ドルにもなると、バラ色の未来を描いている。
 しかし、じっさいのところは、それすらもどこまで本気なのかわからない。
 今の時点ではっきりしていることは、ロシアの首都の指導者たちは、自由主義経済を成立させるための根本的な原理である、契約に対する責任感を著しく欠いていること、そして彼れが「プリバチザーツィア」というマジカル・ワードを唱えながら、摩天楼をわがものにする甘い悪夢に酔いしれているのだろうということだけだ。



 12月6日、『コムソモリスカヤ・プラウダ』紙が、オクチャーブリ地区のこのスキャンダルをはじめて取り上げた。すべてを書いたわけではない。ほんのさわりだけである。しかし反響はさすがに大きく、地区ソビエトには問い合わせが相ついだ。その勢いをかって、9日、地区ソビエト代議員と地区住民はオクチャーブリ広場で集会を開き、ポポフとルシュコフの退陣を要求した。
 そして15日。ついにポポフ市長が辞意を表明した。
 この稿の締切を過ぎてから入ってきたニュースであり、この辞意表明が実際の辞任につながるのか、見届けることは残念ながらできない。また、足元で火がつき始めたオクチャーブリ地区のスキャンダルが、この決断に影響を与えているかどうかも、今は確認できない。ただ、辞意表明の記者会見での彼の弁は興味深い。
 彼はプリバチザーツィアのプロセスが遅れていることへの不満をあらわすと同時に、辞任を決意した理由として、シュワルナゼらの率いる民主改革運動に合流して新党を結成するためであると語った。同日放送されたTV番組「ブレーミヤ」で、かれはこう言ったものだ。
 「政党政治のポストと、市長のポストを私が兼任することは許されない」
 彼らが欠いているものは、職務への誠実や契約に対する責任感だけではないらしい。おそらくもうひとつ、恥の観念も不足している。


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